第2話 壊れていく、音

壊れていく音

父の葬儀が終わり数日がたった。

 

学校なんて、もうどうでもよかった。


目が覚めても、すぐに眠ったふりをした。母がいない朝に、父の影を探すのが怖かった。


スマホは枕元に置きっぱなしだ。担任からのLINE、友達からの未読、通知だけを積み重ねていく。


(何が……起きたんだ。なんで、俺だけ……)


目の前の現実を、頭がまだ理解していない。理解したくなかった……。

夢じゃなかったのかと願った。けれど、夢ならこんなに同じ朝が来るわけがない。

父がいない朝も、母の声が響かない食卓も、すべて現実だった。


なのに空だけは、昨日とまるで同じように青かった。

それが理不尽で仕方なかった。

 

ご飯は何を食べても味がしなかった。何もしていないのに、腹は減る。それすらもストレスだった。


(なんで腹が減るんだよ……)


もう、父さんと母さんと一緒にテーブルを囲むことなんてできないのに。


何もせずに時間だけが流れ食糧は1週間で底を尽きた。


ふと、部屋のテレビを付けると父の名前が報じられていた。


ニュースキャスターの口ぶりは、あまりに機械的だった。

まるで誰かの死を伝えているんじゃなく、交通情報でも読んでるような口調で。


(俺の父親のことを……そんな顔で、他人事みたいに……)


頭ではわかっている、ニュースキャスターも仕事でやってるだけなんだと、だけど……。


頭がカーッと熱くなった。


衝動だった。机を蹴った。カーテンを引き裂いた。

手に持ったマグカップを壁に叩きつけた。


ガチャン、と鈍い音がして、破片が散らばった。


けど、何も壊れなかった。壊しても、何も変わらなかった。


やがて、自分を殴った。


拳で、壁を、机を、床を――叩き続けた。


自分の手が痛んでもいい。皮がめくれても、骨がきしんでも、止められなかった。


夜になると、吐き気がした。


母の声が頭の中でリピートする。「カナトー、ごはんできたわよー!」

もう二度と聞けないのに。

 

(うあああああ!!!)


布団に潜って、喉が潰れるほど叫んだ。誰にも届かないように、枕を握りしめて。

声が出なくなっても、涙は止まらなかった。


でも、誰も来なかった。


いや、本当は……来てほしくなかったのかもしれない。

こんな惨めな自分を、誰にも見せたくなかった。


(俺が……弱いから。何も、できなかったから……)


思考はループした。同じ場所をぐるぐる回って、抜け出せない迷宮のように1人でさ迷った。


もう、どれだけ日が経ったのかもわからない。


──そんなある日、玄関のチャイムが鳴った。



「カナト、大丈夫なの生きてるの……」


スマホの画面を見つめながら、アオイはつぶやいた。


最後にカナトから返ってきたLINEは「大丈夫」って一言だけ。

それが、もう一週間前のことだった。絵文字も何もない。まるで、誰かが代わりに打ったような乾いた文面。


「時間を置けば落ち着くだろ」って、シンジは言っていた。

でも、それは自分に言い聞かせてるようにも見えた。


「……今日、放課後。行こう、カナトの家」


アオイの声は、強くも優しくもなかった。けれど、その一言で決まった。


放課後。ふたりは、伊吹家の前に立っていた。


門は閉じられていたが、ポストには手紙が溢れていた。


玄関のチャイムを押す。反応は、ない。


もう一度。何も返ってこない。


「まさか、家に……いないとか……?」


不安が過る。シンジがドアノブにそっと手をかけると、カチリと、簡単に開いた。


二人は、顔を見合わせた。


靴を脱いで家に上がる。中は、異様なほど静かだった。


 「おじゃましまーす……」

2人は声を合わせてカナト聞こえるように言った。


誰かが暮らしている気配は、かすかにある。けれど、それ以上に「人のいない音」が、重く響いていた。


「二階だ。カナトの部屋」


階段を上がる。手すりには薄く埃が積もっていた。


玄関には、履き潰したスニーカーが一足。

だけど、他には何もなかった。


部屋の前に立つ。


「行くぞ……」


シンジがドアノブを回す。ギィ……と音を立てて、扉が開いた。


瞬間、鉄のような匂いが鼻を突いた。


視線が部屋を這う。そこかしこに、赤黒い斑点。

床に落ちたガラス片。裂けたカーテン。横倒しの机。


壁には、拳の跡のような凹みが複数あった。


その真ん中に、カナトがいた。


うずくまるように座り込み、ぼんやりと、窓の外を見ていた。


彼の両手は、血で固まり、関節が腫れ上がっていた。

乾いた血がこびりつき、皮膚はひび割れていた。


「カナトッ!!」


アオイが駆け寄った。シンジも続く。


しかし、カナトは反応しない。


呼びかけにも答えず、ただ視線を宙に投げていた。


「カナト……何があったの……なんで、こんなことに……」


アオイが震える声で問いかけた。


しばらくして、カナトの唇がわずかに動いた。


「……壊したかったんだ。……全部」


かすれた声だった。


「だけど……俺には、何もできなかった」


その目は、深い底のように静かで、虚無だった。


そして、その沈黙は、しばらく破られなかった。

 

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