この国を壊す、その日まで

篠宮すずや

第1話 夢は終わらない

《速報です。国家転覆未遂事件の首謀者、伊吹カナト死刑囚の処刑が本日、公開で行われました》


《総理暗殺未遂および政府の中枢機関へのサイバー攻撃……前代未聞の凶行に、国民の不安は今も続いています》


《なお、政府関係者によると、遺族に対する対応は──》


 モノクロの画面に映るのは、自分だった。

 手錠をかけられた姿、伏せた顔。

「冷血なテロリスト」と、赤い文字が冷たく貼り付けられている。


(なんだよ、これ。)


 罪状の一覧。血の滲んだ法廷写真。

 テレビ越しに、“俺の終わり”が報道されていた。



 ──ガバッ。


 伊吹カナトは、汗ばんだ額を押さえて飛び起きた。

 息が荒く、胸が波打つ。シーツは冷たく濡れていた。


「はぁ……っ、はぁ……」


 夢だった。そう理解するには、あまりに感触が生々しすぎた。

 首に残る縄の感覚。耳の奥に響く群衆のざわめき。


(……夢?……)


 痛みはなかったのに、確かに“死んだ”記憶があった。


「う……くっ……!」


 こみ上げる吐き気を堪え、ベッドの端で膝を抱える。


 ――何だったんだ、あれは。

 予知夢?幻覚?それとも……


 思考が追いつかないまま、下から母の声が聞こえてきた。


「カナトー、ごはんできたわよー!」



 食卓に降りると、父が新聞を読んでいた。

 コーヒーの香り。トーストの焼ける音。母は優しい笑顔で食器を並べている。


 けれど、どこか違和感があった。

 家の中の“空気”が、やけに柔らかすぎた。


「珍しいな、寝坊とは。お前、今日も数学の課題満点だったんだろ?」


 父が笑った。

 父の名は伊吹総一郎。現・総理大臣補佐官──つまり、日本政治の最前線にいる男だ。


 その息子として育ったカナトは、成績優秀。常に首席、先生にも一目置かれている。

 それでも、政治には興味がなかった。父の仕事は、遠い世界の話だった。



 授業中も、夢の後遺症なのかは分からないが頭がぼんやりしていた。


 昼休み、教室の扉がノックされた。


「伊吹カナトくん。ちょっと来てくれるかな」


 担任と教頭の顔は、妙に硬い。



 応接室。差し出された紙コップの水は震えていた。


「……お父さんが、事故に遭われました。……搬送先は――」


 理解が追いつかない。

 今朝、笑っていたはずの父が――死んだ?


 話を聞き先生が病院まで車を出して連れて行ってくれた。


 病院の霊安室、シーツの下から見えた顔は、静かすぎるほど静かだった。



 夕方、家に戻った。先生に付き添われていたが、無言のまま玄関のドアを開けた。


 その瞬間、電話の呼び出し音が響いた。

 使われていないはずの、固定電話だった。


「はい……伊吹です」


「伊吹涼子さんが、本日午後、交通事故に遭われました。現在、意識不明の重体で──」


 言葉が止まり、手から受話器が滑り落ちる。


 ガチャン。


 何も考えられなかった。

 その場に膝から崩れ落ち、床に両手をつく。


「う、うあぁ!!……くっ……!」


 喉の奥から漏れる嗚咽。

 体が動かない。世界が灰色に見えた。



 母のいる病室は、冷たかった。

 人工呼吸器の奥に、母の顔はあまりに静かで、美しかった。


「……先生……母は……」


 震える声で問いかける。

 医師は目を伏せて、静かに答えた。


「今は、脳波が非常に不安定で……。意識の回復は……正直、不透明です」



 その時、病室のドアがそっと開いた。


「カナト……!」


 振り返ると、同級生の結城アオイと羽瀬川シンジが立っていた。

 2人は小さい頃からの親友だった。いつも一緒にふざけていた、あの教室の風景が一瞬だけよみがえる。


 でも今、何を言えばいいのか分からなかった。

 アオイが目を伏せ、シンジが苦しそうに肩をすくめる。


「……ごめん、今は……そっとしておくよ」


「カナト……何かあったら……言ってよね、私達親友なんだからね」


 2人は、それ以上何も言わず、静かに病室を出ていった。



 数日後、父の葬儀が行われた。


 多くの政治家が集まる中、**明らかに異質な“誰か”**がいた。

 黒いスーツ。黒いネクタイ。サングラスをかけた、無表情の男。


「伊吹カナトさん。少し、お時間をいただけますか」



 男は“政府の者”だとだけ名乗った。

 口にしたのは、父の死に伴う補償金の話だった。


「特例措置で、未成年のあなたにも現金でのお支払いが可能です。こちらがその用紙です」


 封筒が机の上に置かれる。

 けれど、男は話が終わる直前、ふと声のトーンを変えた。


「それと……お母様、なにか“お持ちになって”いませんでしたか?」

「たとえば、封筒とか。お父様の書類のようなものとか」


 何かを探っている。

 そう直感した僕は、ほんの一秒で答えた。


「……知りません」


「そうですか」


 男は何も言わず、小さく頷いて立ち上がった。

 その背中を見送りながら、僕は確信していた。


 ――父は殺された。

 母も、“何か”を持っていたから狙われた。


 そして、次はきっと、僕の番だ。

 

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