23. 告白されました

 転移魔法で移動した先。夕闇に包まれた通りを見回すと、路地の向こうに、見覚えのある小さな一軒家が佇んでいるのが見えた。

 窓から明かりが漏れている。少し緊張しながらノックすると、「うぇーい」と気だるい返事があった。


「お久しぶりです、ラーシュ。僕です」


 扉越しに声をかける。ガタタッとすごい音がして、ガチャッと勢いよく扉が開いた。大丈夫か。

 そして、出てきた男の顔を見た瞬間──僕は絶句した。少し見ない間に、彼の雰囲気がガラッと変わってたからだ。


 ──ラーシュは一見人好きに見えるけれど、実際はそうでもない。他人との間に薄い膜を張って、容易に踏み込ませない用心深さがあった。

 でも彼の飄々とした陽気さは、そういう部分を上手く隠し、相手に膜の存在を悟らせない。


 だが、玄関から顔を出した彼は、膜の外側に纏っていた陽気さをかなぐり捨て──何というか、別の生き物になっていた。

 言うなれば、「憂いを湛えた、気だるい美形男子」。


 これはこれで需要がありそうだけど、僕の知ってるラーシュと違う。誰だこれ。

 唖然として彼を見つめていると、ラーシュの方も、僕を見て琥珀色の瞳を丸くした。


「マール…………どうした?」


 いや、それこっちの台詞です。


「あなたの雰囲気が随分変わったので……ちょっと驚いてしまって」

「……誰のせいだと思ってんだよ」


 思った事をポロッと言えば、ラーシュは仏頂面でむくれた。どこか子供っぽいその表情は、川で遊んでいた二十歳児を彷彿とさせる。

 普段の彼に近くなって、少しほっとしたけれど、言われた事に心当たりがない。ラーシュは何に怒ってるんだろう。


「あの……僕、あなたに何かしました?」

「……この街を出て行くんだろ」


 成程、それか。僕が言う前に、彼はどこかでそれを耳にしたのだろう。確かに、伝えるのが遅くなってしまったのは僕の落ち度だ。彼にはとてもお世話になったわけだし。

 けれど、責めるような口調に僕も少しだけムッとした。そして同時に悲しくなった。


 独立して別人になったら、彼とは二度と会えない。最後の最後で険悪になるのは嫌だった。

 だが出立まで時間はあるし、虫の居所が悪いだけなら仲直りできるかもしれない。一旦帰ってまた会いに来よう。


「…………今日は、このあいだ助けて貰ったお礼と、独立して街を出る話もしようと思っていましたが、出直した方が良さそうですね。邪魔してごめんなさい、また伺います」

「いや待て……今のは俺が悪かった」


 すっかりしょげて踵を返そうとした僕を、彼はハッとして引き留めた。立ち止まった僕と、何かを言おうとして躊躇うラーシュの間に、気まずい沈黙が流れる。

 僕は一つ息を吐いて、「少し中で話をさせて貰えませんか」と提案した。彼は眉を寄せて逡巡した後、小さく頷き、僕を中に招き入れた。




 背後で扉が閉まる音がした。すぐ後ろで大きなため息をつかれ、振り返ると、ラーシュは目を逸らして、「砦の副官と結婚すんの?」と聞いた。


「えっ……何で、」

「何で知ってるかって? フローラに聞いた。あいつに求婚されてんだろ」

「それは、」

「お前、女なんだろ」


 どーーーいうこと!?

 目を零れ落ちそうなほど見開いて、口をぱくぱくさせる。


「いつ知ったんですか……それもフローラさんが……?」


 呆然としながら尋ねると、彼は気まずそうな顔をした。


「違う。お前が"女神の霊薬"を飲んで、気を失ってた時だ。息苦しそうだったから服を緩めたら、サラシ巻いてんのが見えて」

「裸を見た…………と?」


 コロス。


「いや見てねえよ! ちょっと触っただけ!!」


 なお悪い。


「──みじん切りにして差し上げます」

「だから誤解だ!!」


 無詠唱の攻撃魔法を発動しそうになったのを、ラーシュが慌てて止めた。


「ここで魔法使うのやめろ、まずは話を聞け!」


 我にかえって、魔法を消去する。そうだ、超高額な"女神の霊薬"の代金に加え、ラーシュの自宅を破壊したら弁償金がとんでもない額になる。そうなったら僕は独立前に破産だ。危なかった。


「落ち着いたか?」

「…………はい」


 すうはあと深呼吸して気持ちを静めると、ラーシュは困った顔で小さく苦笑し、すまなさそうに謝罪した。


「まあそれで、緩めた服から覗いたサラシの下に、何かあったから、何だこれってつついて、それで気づいた」

「………………」

「本当に、悪気はなかったんだ。ごめんな」


 事情が分かれば、大体自分のせいだった。

 だからあの時様子が変だったんだな、思いながら、僕もペコリと頭を下げた。


「いえ……あなたは命の恩人で、ただ介抱してくれただけだったのに、みじん切りとか言ってごめんなさい」

「で、あいつと結婚すんの?」


 視界が灰がかった白に覆われる。一瞬遅れて、それがラーシュの上着だと気づく。僕は、緩く抱き締められていた。

 「止めとけよ」と囁いて、彼は腕に少しだけ力を込めた。固まって思考停止に陥った僕に、ラーシュは切なげに呟いた。


「好きだ」


 明るく陽気な女好きから、ダウナー系色男に変化したラーシュの琥珀の瞳が、切なげな光を湛えて僕を見下ろす。

 あまりの衝撃に目眩がする。

 石像のように固まった僕は──数分経過してもそのままだった。そうして遂に、ラーシュが焦れた。


「…………いい加減何か言えよ。俺が滑ったみたいだろ。つうかそんな無防備でいいのか。襲うぞ」

「おそ…………?」

「別の男と結婚するくせに、こっちの気も知らず、のこのこ家に上がり込みやがって」


 苛立たしげに舌打ちされて、鈍感な僕もさすがに危機感を覚えた。どうも、知らない内に飢えた狼の巣穴に飛び込んでしまったらしい。だとしたら一刻も早く逃げないと。

 だが三十六計逃げるに如かず、と言っても、これだけは訂正しておかねばならない。


「あなたは何か誤解しています。僕は、レゼク様の求婚をお断りしました」

「……は?」


 今度はラーシュがポカンとする番だった。そして。


「ちくしょう、フローラに嵌められた……」


 ラーシュはガクリと項垂れていた。





「──ハーネに帰還して、お前はフローラの家でブッ倒れただろ。あん時フローラに、マールは女なのかって確認したんだ。そんで、あのスカした副官がお前に構ってた理由も聞いた」


 ラーシュは経緯を教えてくれた。

 彼は僕を離そうとしない。が、この際そっちは置いておく。

 フローラさんは、「マールは砦の副官に求婚されている」「近々ハーネを出ていく」とだけ伝えたらしい。それで、ラーシュはまんまと「マールは副官と結婚してハーネを出ていく」と勘違いしてしまった。


「ちくしょう、フローラの誘導に乗せられた……」


 呻くラーシュは、僕への気持ちに気づくと同時に、失恋したと思いこんだらしい。


「あいつ貴族だし、誠実だし、結婚相手としては最高だろ。選ばない訳がないと思ったんだよ」


 口を尖らせるラーシュ。失恋。ラーシュが僕に。一体何がどうしてそうなるのか。現実感がないんだけど夢かな。


「…………そもそもフローラさんは、何でまた紛らわしい事を言ったんでしょうか」

「色々自覚させたかったんだろ、俺に。あいつは今も昔も、お節介ばあさんなんだ」


 フローラさんが聞いたら激怒する事をさらっと宣って、ラーシュは肩を竦めた。何もかもお見通しだったのですね、フローラさん。さすが師匠。

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