22. さよならと無自覚な何かです

 ──暫くして目が覚めた。

 時間はそう経ってなさそうだ。太陽はやや西に傾いているが、空はまだ明るい。

 僕の胸には見覚えのある上着がかけられていた。ふと見上げると、ラーシュが心配そうに僕を覗き込んでいる。目覚めるまで、付きっきりで待っていてくれたらしい。彼は本当に優しい。


「……マール、体はどうだ?」

「大分良くなりました。"女神の霊薬"のおかげです……ありがとう、ラーシュ」


 肩の傷はもう塞がっている。全身にあった打撲や擦り傷もすっかり消えていた。取りあえず起き上がってみたが、まだ万全ではないようで、軽くふらつく。

 傾いだ体を「無理はするな」とラーシュが支えてくれた……が、僕の腕を掴んだ瞬間、彼はポンと真っ赤になった。なぜか目も泳いでる。


「なに、ど、どうしたんですか?」

「べっ別に? ほらなんか今日暑いじゃん!」

「寧ろ肌寒いくらいですが……」

「あーーーっ、俺筋肉ついてるから! 暑がりなんだよなぁ!!」

「……はあ」


 よく分からないけどそうなのか。目眩がおさまって、まだ心配そうなラーシュに笑みを向ける。


「僕はもう大丈夫です。魔法も問題なく使えそうですし、フローラさんのうちに帰還しましょう。きっと心配しています」

「あ、ああ」


 ラーシュは僕から慎重に手を離すと、やけに遠くに後ずさった。まるで、見慣れない物を警戒する犬みたいな動きだ。何それ。


「ラーシュ、そんなに離れたら魔方陣からはみ出ちゃいますけど……」

「いや、だって…………あぁーもう!」

「僕が何かしました……?」

「お前は何も悪くねえ! 俺の問題だから!!」

「はぁ……なら、もっとこっちに寄って下さいよ……」

「うぅ、分かったよ…………」


 ラーシュは変な唸り声を上げて、ぷいっと顔を背けた。いや何なの本当。

 しかし挙動不審な友人に構ってる場合ではない。僕はさっさと移動魔法を行使して、何故か目を合わせてくれないラーシュと共に、どうにかフローラさんの自宅に帰還を果たしたのだった。

 だが無理を押したせいか、僕は再びぶっ倒れてしまった。




 +++++




 ────盛大に床にひっくり返った後、フローラさんはガルナ砦に魔法の小鳥を飛ばして、僕の無事を知らせてくれたらしい。


 僕は丸一日こんこんと眠り続け、その後は数日、うちで大人しく静養した。その間、レゼク様が一度だけ顔を出した。


「君が無事で良かった」


 リビングに通した彼は、相変わらずの無表情である。可憐な見舞いの花束と、修行僧のような固い雰囲気が絶妙に合ってない。しかし彼の低い声に、この上ない安堵が込められていたのは分かった。

 「ご心配をおかけしました」と軽く頭を下げると、砦の副官は、躊躇いがちに僕の手を取って、目の前に跪いた。


「……もう二度と、君をこんな危険な目に遭わせたくない。冒険者にならず、どうか私の妻になってくれないか」


 彼の瞳には深い切実さが浮かんでいた。


 ──レゼク様の魔獣討伐部隊は、黒獅子との戦闘で少なからず被害を出した。本当は崖から落ちた僕を、自ら探しに行きたかったそうだが、彼には部隊の長としての責任があり、それを放り出すわけにはいかなかったのだろう。

 撤収や後処理を優先し、僕の捜索は、同じくギルド所属のラーシュに一任した。フローラさんの連絡で僕の無事を知り、ようやく時間が出来て、会いに来てくれたのだと言う。


 妻になってほしい、と率直に請われて、全く心が動かなかったと言えば嘘になる。それが僕を思っての申し出だというのも痛いほど分かった。

 味方なんて一人もいないと思っていた令嬢時代、取るに足らない自分を見初めてくれたと知って、あの頃の自分が救われたような気持ちになったのも事実だ。

 けれど、僕はもう、あの場所に二度と戻らないと誓った。目を伏せて、穏やかに首を振る。


「いいえ、やはり僕に貴族の奥方は勤まりません。大変有難い申し出ですが……今の自由を大切にしたいと思っています。本当にすみません」

「そうか……ならば仕方ない。潔く引き下がろう」


 彼は手を離し、立ち上がって微かな微笑を浮かべた。


「君なら立派な魔法師になれるだろう。だが、無茶はしないでほしい。……いつも君の幸せを祈っている」


 そう言い残し、レゼク様は砦に戻っていった。二度と会わないであろう騎士の綺麗に伸びた背中に、僕は深く頭を下げた。

 とてもしんみりしたけれど、僕は僕の道を行くと決めた。だから後悔はなかった。




 ──それから更に数日後。

 すっかり元気になった僕は、着々と引越の準備を進めていた。新しく住む場所は、国境を二つ跨いだ海際の街。海は見た事がないので、楽しみだった。


 そういえば……レゼク様が去り際に言ってたっけ。

 「君の実家は没落寸前で、家出した娘を探す余裕はないだろう。数年以内に爵位返上すると思う」、と。

 父は娘を売り損ねて、資金援助の見通しが立たなくなったのだろう。


 不思議な事に、家族の話を聞いても、僕の胸には何の感慨も浮かばなかった。彼らはとうに過ぎ去った過去で、いつの間にか、赤の他人以下の存在になっていたようだ。

 でも、それでいいと思う。どうでもいい人間の事をくよくよ考えるより、自分にとって大事な人達に胸を張れる生き方がしたい。


 だが──どういうわけか、大事な友人であるラーシュが、魔獣討伐の後から姿を見せなくなっていた。

 思えば、あの時やたら挙動不審だった。何かあったのだろうか。




 +++++




「今日ギルドでラーシュに会ったわよ」


 仕事から帰ってきたフローラさんが、何気なく言った。帰る途中でギルドに寄ったら、ラーシュにばったり会ったという。僕はパッと顔を上げた。


「元気そうでした?」

「んー、まあまあってとこかな」

「最近こっちに来ないから、どうしてるか気になってたんです。忙しいんでしょうか?」

「そういうわけじゃないけど……まあ、色々考える事があるんじゃないかしら」


 うっすら言葉を濁すフローラさん。今日もかわいいです。


「せっかくだし、今日はあなたからラーシュを夕飯に誘ってみたら? 私は疲れちゃったから、うちで適当にいただくわ」

「そうですね……」


 結局、あれからラーシュとは一度も顔を合わせてない。

 会ったらお礼を言おうと決めていた。霊薬の代金は、貯めてからフローラさん経由で返すつもりでいた。でも、呑気に構えすぎて不義理を働いてしまったかもしれない。


「お礼もしたいし、今晩はラーシュと出掛けてきます」

「そうしたらいいわ」


 師匠に告げると、何故か意味深な含み笑いを返された。魔女的に何かあるのだろうか。謎だ。

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