13. 心穏やかではありません
──僕の人生は、フローラさんの一言で大きく変わった。彼女は僕にとって救いの女神で、人生の目標で、まさしく至高の存在だ。
しかし──魔女と人間はやはり違う。要するに、ラーシュの話はそういう事だった。ハーネはさほどでもないが、世の中には、魔女を忌み嫌う地方も少なくないという。
「確かに、ちょっと怖いとこもありますけど! フローラさんは誰より優しくて、世界一の師匠です!!」
本気で憤慨する僕に、ラーシュは「そういうとこがあいつにとってはいいんだろ」とケラケラ笑った。
「お前らめっちゃ仲良しだよ。はたから見て、ちょっと羨ましいくらいだぞ」
そう言われて、愕然とする。ヤバい。また落ち込みそう。
「だとしたら、師匠を疑った自分は最低……」
「だから考えすぎんなって」
あっけらかんと笑った男は、僕の背中をパシッと叩く。痛い。馬鹿力。
違う意味で涙目になったが、ザワザワしてた心は、気づけば静かになっていた。
「……あなたに話して、とてもスッキリした気分です。ラーシュって本当に聞き上手ですよね」
「だろ?だから俺はモテるんだ」
……僕はラーシュの事も密かに尊敬している。でも軽い。色男なだけに、台詞とドヤ顔の軽薄さが際立つ。これさえなければなぁ……と思ったその時だった。
ガラガラガラ……と大きな音を上げ、二頭立ての馬車が、僕のすぐそばを勢いよく通りすぎていった。
「わ………っ」
「あっぶねー、おい馬車ごとぶった斬ってやんぞ!……マール、大丈夫か?」
ぐっと肩を引かれて、顔を胸に押し付けられるような形で難を逃れた。僕の運動神経なら、ボーッとして轢かれてたかもしれない。心臓がバクバクする。
ふと目を上げると、琥珀色の瞳と視線が重なった。物凄く近い。この距離で色男が真剣な顔をしていると、本当に格好よかった。
さっき呆れた事も忘れて、思わず見とれてしまう。同時に、固い腕とか大きな手とかをうっかり意識してしまい、顔がカーッと赤くなった。心臓がバクバクしてるのを誤魔化すように、思わず顔を伏せる。
「あの…………ありがとうございます…………」
「………………」
俯いたまま小声で礼を言う。しかし返事がない。
不自然な沈黙にちらっとラーシュを見たら、耳を僅かに赤くして、穴が空くほどこちらを見つめていた。
え、何。もしかして女だってバレた?
一人焦りまくってたら、ラーシュはそろりと慎重に僕を離し、「お前、男のくせになんつう……勘違いしちゃうだろ……ヤバい」と片手で顔を覆った。
あ、バレてなかった。良かった……のか?
僕らの間に気まずい空気が流れる。けれど、その雰囲気はすぐにぶった切られた。
ダダダ……ッと歩道の向こうから誰かが突進してきて、ぎゅっとラーシュに抱きついたのだ。
「ラーシュじゃない! 久しぶりねー!」
「うわ。リッカかよ」
挨拶代わりに抱きつく、というアグレッシブさもさる事ながら、体当たりする勢いで胸に飛び込まれ、びくともしないラーシュもすごい。体幹の鍛え方が違う。
リッカさんと呼ばれたのは、十代後半と思われる少女だった。彼女を首からぶら下げたラーシュは、素の表情を消し去って、いつもの軽薄な笑みを浮かべていた。
「相変わらず元気そうじゃん、リッカ」
「まあねー! ラーシュはここで何してんの?」
「こいつと飯行くとこ」
「へぇー新しいお友達?」
ラーシュと話していた彼女がこちらを向いた。愛嬌のあるかわいらしい美人さんだ。スタイルも良い。特に胸部。ちょっと羨ましい。
「こんばんは」とペコリと頭を下げる。すると彼女は「ふぁっ!?」と奇妙な声を上げ、僕をじいっと見てパチパチと目を瞬かせた。
「うっわ、この子すっごくかわいー! ねえラーシュ、紹介して!?」
「ダメ」
「即答! なんで!?」
「こいつはくそ真面目な純朴少年なの。お前の毒牙にかけるわけにはいかねえわけ。そんな事したら、こいつの師匠に俺が丸焼きにされかねん」
「うわ、ひっどーい!」
笑いながら、リッカさんはふざけてラーシュをバシバシ叩き、「あんた少年趣味に宗旨替え?」と揶揄った。
「バカ言うな、俺は今も昔も、女が大好きだ」
ラーシュが得意げに胸を張った。自慢げに言う事だろうか。
アハハ、と明るく笑った少女は、「暇だったらあたしを誘ってよ」とラーシュに流し目を送って、「またねー!」と嵐のように去っていった。
「……本当、騒がしい奴だなぁ」
「綺麗な方でしたね。恋人ですか?」
「いや、元カノ。あーでもリッカはやめといた方がいいぞ。あいつ、わりと節操ないし」
「そんなんじゃないです。あと、リッカさんだって、あなたにそんな事言われたくないと思います」
ツンとそっぽを向いたら、「何怒ってんだよ」とラーシュが苦笑した。
「別に怒ってないです」
「別にって顔してないぞ」
「むぅ…………ていうか、ラーシュはああいう感じの女性が好みなんですか?」
「ん? そうだなァ」
僕の質問に、彼は軽薄に笑った。
「かわいい子は、みんなタイプだ」
こいつ、まあまあ最低だった。
「かっる……雲よりかっる!」
「だって女の子ってかわいいだろ……でもそーだなぁ。いろんな子と付き合ったけど、一番ツボに入るのは、気位高くてなかなか懐かない猫みたいな女が、俺にだけ甘えてくるやつだな」
「具体的すぎて聞きたくなかった……」
「何でだよ、聞けよ!……てか、マールが女だったら多分ドンピシャ」
爽やかに言いやがった、この女好き。
複雑な気分が顔に出たのか、ラーシュに「変顔やめろ」とつっこまれた。
「俺は、あくまで女が好きなんだ。そこは安心しておけ」
「安心、ねー……」
「何。疑ってるわけ」
「いえ、そういうわけではないんですが」
安心しろと言われても、心穏やかではない。僕は性別を偽っていて、本当は女だから。
──今日は、気分の乱高下が激しい。一つ悩みが解消したと思ったら、また新たな悩みが生まれる。人生とは難儀なものだ。
そしてこの日を皮切りに、僕はラーシュの元カノと立て続けに出くわした。五人くらい……いやもっとかな。今は彼女はいないそうだけど、本当に女の子が好きなんだな……
ラーシュと彼女たちは今も仲が良さそうで、拗れた様子は微塵もない。彼は女の子に偉そうにしたり、嫌がる事を絶対にしないからだろう。
そんなラーシュだから、知り合いでもない僕なんかを、人攫いから助けてくれたのだ。
──だけど、元カノと楽しげに話すラーシュを見ていると、何故だか非常にモヤッとした。判然としないこの感情に、僕は上手く名前をつけられない。
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