12. 少しだけ不安になりました

 「戸締りちゃんとしとけよ」と言い置いて、朝食を食べたらラーシュはさっさと帰っていった。途端に部屋がガランとする。

 でも、寂しがってる場合じゃない、今日はフローラさんが帰ってくる日だ。留守番もあと少しで終わる。

 幸い二日酔いなどもなく、朝から掃除や読書に時間を費やす。


 その日の午後。

 フローラさんは遠征先から帰還し、僕の留守番はつつがなく終わった。




 「ただいまぁ!」と勢いよくドアが開く。弾かれたように立ち上がった僕は、主を出迎える飼い犬の如く、玄関に駆け寄った。

 満面の笑顔のフローラさんは、疲れた様子もなくとても元気そうだ。うっかり泣きそう。


「お帰りなさい師匠!! 一日千秋の思いでお待ちしてました!!」

「やだ、マールったら大袈裟ね」


 師匠はふふっと笑って、「あなたも元気そうで良かったわ」と言った。


「はい、元気です。師匠はお怪我とかありませんか?」

「見ての通り元気よ。それよりうちの中がピッカピカね。綺麗にしてくれてありがとう!」


 若草色の瞳が室内をぐるっと一巡し、嬉しそうに細められた。


「初めての留守番、大成功ね!」

「はい、ありがとうございます」


 フローラさんば眩しい笑顔で褒めてくれた。

 うちの師匠はものすごく褒め上手だ。僕が何か一つでもスキルを獲得すると、どんな小さな事でも喜んでくれる。それが嬉しくて、また頑張ろうと思う。


 トランクを受け取って、リビングに移動する師匠に続く。ソファで一休みするというフローラさんのために、とっておきのお茶を丁寧に淹れた。


「どうぞ」

「ありがとう、いい香りね」


 品よくカップに口をつけたフローラさんは、トレイを持って横に立っている僕を見上げた。


「留守の間、何か変わった事はなかった?」

「特に何も……あ、そういえばラーシュに、お前は酒は禁止だって言われました」

「お酒?」

「はい」

「何それくわしく」


 キラリと目を耀かせた師匠に、斯々然々かくかくしかじかと事の経緯を話した。すると、「なーるほどねぇ」と含み笑いが返ってきた。


「若いっていいわね。それにどっちも無自覚とかなんてかわいいのかしら!」


 一人テンションが上がってるフローラさん。でも何の事だかさっぱりわからない。

 そんな事より異議を唱えたい。


「かわいいのは断然フローラさんです」


 訂正するととても微妙な顔をされた。


「マール……あなたは男装してるのだから、気軽にそういう事を女の子に言ってはダメよ、わかった?」

「はい。でも、僕がかわいいと思うのは師匠だけなので、大丈夫です」

「だからそういう所……まぁいいわ。それよりラーシュって相当鈍感だったのねえ」

「鈍感……?」


 また話が読めず、首を傾げる。女だと気づかなかった事かと聞いたら、少し違うと言われた。フローラさんは結局、意味ありげに微笑むだけで、詳しく教えてはくれなかった。

 意味深な言葉の裏には、きっと魔女の深淵なる叡知があるのだろう。いつかそれを知れたらいいな、と思う。




 さて、留守番を無事こなした後も、修行に励んだり、家事スキルを磨いたり、ラーシュとご飯を食べに行ったりして、月日が過ぎていく。

 師匠が泊まりがけの依頼で留守にしても、もう全然平気になった。ラーシュが様子を見に来てくれるけど、ただ遊びに来てるという感じだった。


 ハーネに来てから、穏やかな日々が続く。魔法もたくさん覚えた。修行も順調だ。なのに──

 時々、本当にふとした切欠で、僕は不安を覚えるようになった。目下一番悩んでるのは、敬愛する師匠との距離感、だったりする。


 というのも。

 最初の留守番以降、僕とラーシュの関係は、ただの顔見知りから、仲の良い先輩後輩という感じになった。いや、どちらかといえば、兄弟に近いかもしれない。彼はとても面倒見が良いから。


 ラーシュがうちによく顔を出すようになって、フローラさんと三人でご飯に行く機会も増えた。それは僕にとっても嬉しい事だった。

 しかし最近の師匠は、「二人で行って来てね!」と僕らだけで食事に行かせようとするのだ。


 師匠には師匠の付き合いがあるだろうし、話題が豊富なラーシュと一緒に食事をするのは、人見知りな僕でも本当に楽しい。

 でも──師匠が僕と出かけなくなったのは、自分を疎ましく思ってるからではないか。うっかりそのように考えてしまって、少し落ちこんだ。


 今日もフローラさんは、「用事があるから二人で行ってきてね!」と僕たちを送り出そうとする。ラーシュは「おう」と快諾した。うーん複雑。


「うちの子の面倒を見てくれて助かるわー。ありがと、ラーシュ」

「別に構わねえよ。じゃ行くか、マール」

「はい。師匠、では行ってきますね」

「楽しんできてね~!」


 師匠に手を振って、僕らは歩き出す。食堂は近所なので、移動魔法を使うほどでもない。

 向かう途中。悩みに悩んでいた僕は、思い切って、ラーシュに胸の内を打ち明けようと決めた。


「あの、ちょっと聞いて欲しい事が……」

「何、あらたまって」

「もしかして師匠は……僕が邪魔なんでしょうか。ラーシュから見て、どう思われますか?」

「は?」


 男の琥珀の瞳が点になった。


「一応理由を聞いておくが、何でそう思う?」

「それは……最近、三人でご飯に行かないじゃないですか。僕がラーシュと出掛けてる間、師匠は息抜きしたいのかな、と……要するに僕が邪魔なのかも、と思ったんです」

「はーん成程な。一丁前に分離不安か。言いたい事は分からんでもないが、お前って結構めんどくさい性格だったんだな」


 ばっさり切られて苦い顔になる。彼はニヤッと笑って、僕の頭をワシャワシャと撫でた。

 分離不安と彼は評したが、それはたぶん正しい。今の僕は本当に幸せだ。その裏返しで、大切な人に見捨てられるのが怖いんだろう。ちょっとした事で不安になるのはそのせいだ。

 そういえば、フローラさんにも以前似たような事を言われた気がする。


 実家にいた頃は、理不尽への怒りが大きかった。

 でも、今は不安に陥りがちだ。満たされているはずなのに、心は実にままならない。


「よーく考えてもみろ、お前の師匠は誰だ?」

「フローラさんです」

「そう、あの"獄炎の魔女"だ。あいつが嫌いな奴を家に入れたりとか、絶対するわけねえだろ。まして一緒に住むのを許してんだから、好かれてないはずがないんだよ」

「そうでしょうか……」

「当たり前だ。つうかあれ、孫をかわいがる婆さんだろ」

「…………フローラさんに言ったら、しばかれますよ」

「今のは冗談だ。聞かなかった事にしてくれ」


 渋い顔になったラーシュに懇願された。こいつは多分、昔は何も考えずに思った事を口にして、どやされたに違いない。


「あと、お前って世間知らずだし、俺と一緒なら安心して他人と交流させられる、とかもあるんじゃないか。魔女だと色々難しいとこもあるしな」


 ラーシュの言葉に、今度は僕が目を丸くした。

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