錬金術師の僕は、この世界を丁寧に生きることにした

@kuro4510

第1話 目覚めたら錬金術師見習い

目が覚めたら、見知らぬ天井だった。

コンクリートの匂いも、パソコンのファンの音も、上司の怒鳴り声もない。

代わりに漂うのは、乾いた草と、何やら薬品のような、そして…古い木の匂い。


「…ここ、どこ?」


声は思った以上に幼い。ベッドから起き上がり、小さな手のひらをじっと見つめる。これは…明らかに自分の手じゃない。中学生くらいの、まだ柔らかい少年の手だ。


頭が割れるように痛む。洪水のように、見知らぬ記憶が流れ込んでくる。


「アルト・メイヤー」 これが今の自分の名前。15歳で、辺境の町「エルム」の一人の老錬金術師「バルド爺」さんに拾われ、見習いとして暮らしている孤児だ。


そして同時に、別の記憶…。佐藤健一(さとう けんいち)、30歳、日本の平凡なサラリーマン。過労で倒れ、そのまま…。


「…転生か。異世界もの、か。」


健一…いや、アルトは呆然と呟いた。小説や漫画で読んだことはあったが、まさか自分がその当事者になるとは思いもしたさなかった。しかも、勇者でも剣士でもなく、錬金術師の見習いだ。ゲーム的には「生産職」、いわゆる非戦闘職だ。


「……まあ、いいか。前の人生、会社で消耗し続けるよりマシかもしれない。」


彼はそう開き直った。少なくとも、ここにはノルマも、嫌味な上司もいないし、空気まで澄んでいる。


部屋を出ると、薬草の匂いが濃厚になる。作業場があるようだ。中をのぞくと背筋の曲がった老人が立っていた。バルド爺さんだ。鋭い眼光が特徴だが、根は優しい…いや、アルトの中の健一の目には、職人肌の頑固親父に見えた。


「おう、起きたか、アルト。熱はもう下がったか?」

「はい、バルド爺さん。すみません、心配かけました。」

「ふん、無理はするなよ。体が資本だ。今日は軽い仕事でいい。庭の『ブルームスター』の水やりと、棚の整理を手伝え。」


バルド爺さんの指示は、いつも具体的で無駄がない。アルトは健一の几帳面さと、この体の記憶にある錬金術の基礎知識を頼りに、黙々と作業をこなした。


錬金術師の仕事は地味だった。薬草の栽培、材料の収集(時には危険な森へ)、精製、調合、そして出来上がった薬や素材を町の店に卸す。魔法のように派手なものは作れない。せいぜい傷薬や栄養剤、魔物除けの香、簡単な金属の精錬くらいだ。


しかし、アルトは驚いた。バルド爺さんの作る薬は、町では評判で、特に安価で効果的な傷薬は冒険者や町の人々に重宝されていた。その技術は、長年の経験と観察、そして膨大な試行錯誤の積み重ねの上に成り立っている。バルド爺さんの堅実さそのものだった。


「爺さん、この『マンドラゴラの根』の乾燥方法、少し変えてみてもいいですか? 天日干しの時間を短くして、代わりに弱い風魔石の気流で…」

「…おう? どうしてだ?」

「根の苦味成分が、長時間の直射日光で変質している気がするんです。風魔石の微風なら、均一に乾燥させつつ、成分の劣化を防げるのでは…」


アルトは、健一が趣味でやっていた料理の知識(素材の扱いや保存法)と、アルトの持つ錬金術の知識を融合させて提案してみた。バルド爺さんは一瞬眉をひそめたが、試しにやってみろと許可を出した。


数日後、新しい方法で乾燥させたマンドラゴラの根から作った鎮痛剤は、従来品より苦味が少なく、効果の発現がわずかに早くなっていた。


「…ほう。」 バルド爺さんは無表情だったが、その目はわずかに輝いていた。「頭でっかちの小僧が、たまには良いこと言うこともあるようだな。」


その褒め言葉(?)が、アルトには意外なほど嬉しかった。地道な作業の中にも、改善の余地はある。小さな成功が、確かな手応えとなった。


堅実に生きる。 前の人生では忘れかけていた感覚だ。目立たなくても、一歩一歩、自分の技術を磨き、確かなものにしていく。それは、派手な冒険やチート級の能力に頼らずとも、この世界で「強く」なっていく一つの形だと、アルトは気づき始めた。


彼の目標は明確になった。

『この世界で、錬金術師として一人前になる。バルド爺さんの技術を継ぎ、さらに発展させる。そして、このエルムの町で、静かだが確かな幸せを掴む。』


そのためには、知識(健一の合理的思考と、アルトの錬金術知識)と、経験(バルド爺さんの教えと、日々の実践)を積み重ねるしかない。異世界転生者としてのアドバンテージは、その「積み重ね」を効率的にするための視点くらいだ。


数週間後、アルトはバルド爺さんに連れられて、初めて森へ薬草採集に出かけた。森は美しいが、危険も潜む。弱い魔物すら、今のアルトには脅威だ。彼は爺さんの背中を必死に追い、教わったとおりに警戒を怠らず、目を皿のようにして必要な薬草を探した。派手な戦闘シーンはない。ただ、慎重に、丁寧に歩き、観察し、採取するだけだ。


帰り道、疲れ切ったアルトの足は棒のようだったが、リュックには貴重な薬草が詰まっていた。その重みが、達成感に変わっていく。


「…ふう。やっと見つけた、『シルバーデューン』。爺さんの言ってた通りの場所にあったよ。」

「おう、よく見つけたな。目が肥えてきたようだ。これで、あの冒険者ギルドの依頼も何とかなる。」

「はい! 早く調合してみたいです!」


夕日が差すエルムの町に帰る道すがら、アルトは思った。

ここでの生活は決して楽ではない。知らないことだらけで、不安も多い。でも、一つ一つの課題をクリアし、少しずつできることが増えていく実感がある。バルド爺さんという頼れる師匠もいる。そして、自分が作った薬が誰かの役に立つかもしれない…。


「…悪くない、転生先だ。」


そう呟くと、ふと、町の入口で見かけた、獣人族の少女が、足を引きずりながら歩いているのに気づいた。擦り傷がひどいようだ。アルトは迷わずリュックから、自分が試作した傷薬を取り出した。


「あの…よかったら、これを使ってください。うちで作った傷薬です。痛み止めと化膿止めの効果がありますから。」

「…! あ、ありがとう、ございます…!」


少女は驚きつつも、薬を受け取り、恐る恐る塗り始めた。すると、痛みでしかめていた顔が、ほんの少しだけ緩んだ。


「…あ、痛み、ひいた…! すごい…!」

「良かった。使い切っても大丈夫だから、無くなったらまた工房に取りに来てください。『バルドの薬箱』って看板のところです。」


ほんの小さな出来事だった。しかし、アルトの胸には、錬金術師としての確かな手応えと、前の人生では味わえなかった「誰かの役に立った」という充足感が広がった。


バルド爺さんはそれを遠くから見つめ、微かにうなずいていた。そして、アルトが戻ってくると、一言だけ言った。

「…商売は、まずは人助けから始まるもんだ、小僧よ。」


その夜、アルトは工房の窓辺に立って、異世界の月を見上げた。まだまだ見習いだ。道は長い。でも、今日のように、自分の技術で誰かを助け、感謝される瞬間があるなら…。


「この世界で、錬金術師として、堅実に、強く、生きていこう。」


彼は、静かに、しかし確かな決意を胸に刻んだ。冒険者のように剣を振るわなくても、魔法を操らなくても、この「強さ」を積み上げていけると信じて。

次の日も、薬草と向き合う日々が続く。小さな工房で、少年は世界を変える英雄ではなく、日常を支える匠(たくみ)になるための一歩を踏み出した。

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