第10話 ステージの上の嘘つきと、君のための真実

シン……。

夜の講堂に、冷たい空気が張り詰めている。

スポットライトに照らされたステージの上、奏が静かに電話を切った。

私の心臓は、今にも口から飛び出してしまいそうなくらい、激しく脈打っていた。


(来る……。犯人が、ここへ……)


私は、客席の深い闇の中で、息を殺す。

スマホの画面には、奏とのメッセージ画面を開いている。

彼の耳には、私からの声を拾うための、小さなワイヤレスイヤホン。

準備は、万端だ。


ぎいぃ、と重い音を立てて、講堂の扉が開かれた。

暗闇に慣れた目に、ゆっくりと人影が映る。

間違いない。サッカー部の元エース、橘先輩だ。


「何の用だ、音無」


ステージに上がってきた彼は、腕を組んで、値踏みするように奏を見下ろした。

その態度は、自信に満ちていて、どこか人を馬鹿にしている。


「夜中に呼び出すなんて、いい度胸してるじゃねえか(白)」


彼の言葉は「白」。

まだ、何も知らない。


「お忙しいところすみません、橘先輩」


奏は、少しも臆することなく、まっすぐに彼を見据える。


「姫宮さんのストーカーの件で、少しお話を伺いたくて」

「……は?」


橘先輩の眉が、ぴくりと動いた。

一瞬だけ、彼の表情が凍りつく。


「何のことだか、さっぱりだな(灰色)」


――灰色。

間違いない。この人だ。

私は、震える指で、素早くスマホに『嘘』と打ち込んで送信した。


***


「そうですか? 先輩、昨日、駅前のカフェにいませんでしたか?(ノイズ)」

「……行ってないな(灰色)」


『嘘』


「姫宮さんのSNSを、毎日チェックしてもいませんか?(ノイズ)」

「するわけないだろ、もう関係ない女だ(灰色)」


『嘘』


奏の耳に届く、私の心の声。

彼は、私の「目」を武器に、橘先輩の嘘を一つ、また一つと暴いていく。

私たちの、二人だけの連携プレー。


「じゃあ、このナプキンに見覚えは?」


奏がポケットから、あの赤い警告文を取り出す。

それを見た瞬間、橘先輩の顔色が変わった。


「し、知らねえな! なんだよ、それ!(灰色)」

「おかしいですね。そのナプキンを置かせたウェイターは、先輩とよく似た男に頼まれたと証言しています」


もちろん、そんな証言はない。奏の、揺さぶりだ。

でも、その言葉は、橘先輩の心を抉るには十分だった。


「な、なんでお前が、そんなことまで……!」


動揺で、彼の言葉が上ずる。

余裕ぶっていた仮面が、少しずつ剥がれていく。

私は、客席の闇の中から、彼の言葉がどんどん黒い灰色に染まっていくのを見ていた。


(この人の嘘、真っ黒だ……)


「全部、あなたがやったことですよね。姫宮さんをつけ回し、俺たちを脅迫した。違うと言うなら、証拠があります」


奏の最後の言葉が、引き金になった。


「――っ、うるさい!」


橘先輩が、獣のような叫び声を上げた。

その顔は、嫉妬と憎悪で、醜く歪んでいる。


「そうだ、俺がやったんだよ! それがどうした!」

「やっぱり……」

「リオは! あの姫宮リオは、この俺の女だったんだ! それを、お前みたいなぽっと出の転校生なんかに奪われて、黙ってられるか!」


歪んだ独占欲。

彼の言葉は、もう全部、濁りきった「灰色」だった。

ただ、自分を正当化するための、醜い嘘。


「お前さえいなければ! お前が、リオの前に現れさえしなければ!」


逆上した彼が、ポケットに手を入れる。

その手に出てきたものが、月光にキラリと光った。


――カッターナイフ。


「奏、危ない!」


考えるより先に、私は叫んでいた。

そして、客席から、ステージへと駆け上がっていた。


***


「やめてください!」


震える足で、奏と橘先輩の間に割って入る。

私の心臓は、恐怖で張り裂けそうだった。

でも、足は動いた。奏を守りたい、その一心で。


「……なんだ、お前は」


突然の乱入者に、橘先輩の動きが止まる。

その隙を、奏が見逃すはずがなかった。

彼は、電光石火の速さで橘先輩の腕を掴むと、いとも簡単にナイフを取り上げていた。


カラン、と乾いた音を立てて、ナイフがステージの上に転がる。


「……終わりですよ、先輩」


奏の冷たい声が、静まり返った講堂に響いた。

すべてを失って、橘先輩は、その場にへなへなと崩れ落ちた。

彼の瞳からは、もう、何の光も感じられなかった。


やがて、講堂の扉が開き、駆け込んできたのは、白鳥先輩と、数人の教師たちだった。

奏が、予め連絡しておいてくれたんだ。

橘先輩は、何も言わず、力なく連行されていった。


ステージの上には、スポットライトを浴びて、私と奏の二人だけが残された。

嵐が、過ぎ去った後のように、静かだった。


「……どうして、あんな無茶なことをした」


静寂を破ったのは、奏の、静かな怒りを含んだ声だった。


「危ないだろ!」

「……っ」


彼の肩が、小刻みに震えている。

本気で、怒ってる。私のことを、本気で心配して……。


「だって……!」


涙が、ぼろぼろと溢れてきた。

うまく言葉にならない。


「奏が、危ないって思ったら……! 体が、勝手に……!」


私がそう言うと、奏は、怒っていたはずの表情を、たまらないといった顔で歪めた。

そして、次の瞬間。

私は、彼の強い腕の中に、引き寄せられていた。


「……馬鹿野郎」


ぎゅっと、強く抱きしめられる。

彼の胸に顔を埋めると、ドキドキと速い鼓動が聞こえてきた。

それは、私と同じくらい、速くて、温かかった。


「もう二度と、お前を危険な目には遭わせない。……約束だ」


耳元で囁かれた、彼の誓い。

その言葉は、澄み切った、完璧な「白」だった。


しばらくして、奏はそっと体を離すと、私の肩を掴んで、まっすぐ目を見つめてきた。

その瞳は、今まで見たことがないくらい、真剣だった。


「……心」


彼が、私の名前を呼ぶ。


「俺の言葉から、どうして『色』が消えたのか。その理由、知りたくないか?」


――え?


それは、私がずっと知りたかった、彼の最大の謎。

彼の心の、一番深い場所にある、秘密の扉。

その扉が、今、私の目の前で、静かに開かれようとしていた。


頷くことしか、できなかった。

これから始まる、彼の本当の物語。

そのすべてを、私は受け止める覚悟を決めた。

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