レベル999の隠れ最強ファン、落ちこぼれ王子を“世界一のスター”にします
☆ほしい
第1話 この「好き」、測定不能につき
(あ、まただ……)
教室の隅っこ。誰にも気づかれないように、そっと息を殺す。これが、私、小鳥遊紬(たかなしつむぎ)のいつものポジション。
ここは、未来のトップアイドルを育成する「アイドル科」と、その活動を支え、熱狂で世界を動かすプロのファンを育成する「ファン科」が併設された、超名門「私立星光(せいこう)学園」。
私はもちろん、後者の「ファン科」一年生。
キラキラした子たちが集まるこの学園で、私はとことん地味だ。前髪は長めだし、メガネの奥の目はいつも伏し目がち。クラスメイトと話すのだって、心臓が口から飛び出そうになるくらい緊張する。
そんな私が、このエリート学園にいること自体が、場違いだってことは自分が一番よく分かってる。
「ねぇねぇ、聴いた? アイドル科の王子様(プリンス)、来栖(くるす)ハヤトくんの新曲!」
「聴いたに決まってるじゃん! ファン科の先輩たちが全力で『ファン力(ラブ)』を送ったから、オリコンチャートぶっちぎりだったって!」
「さすがハヤト様! 私たちの『好き』が、ハヤト様を輝かせてるんだね!」
きゃっきゃっと盛り上がるクラスメイトたちの声が、遠くに聞こえる。
『ファン力(ラブ)』。
それは、ファンが「推し」を応援するときに生まれる、特別なエネルギーのこと。
この学園では、そのエネルギーを数値化し、直接アイドルの輝き……つまり、歌唱力やパフォーマンス能力に変換できる、特殊なシステムが採用されている。
ファンの「好き」が強いほど、アイドルのオーラは増し、歌声は人の心を震わせ、ダンスは見る人すべてを虜にする。
つまり、「ファン力」は、アイドルにとって命そのもの。そして私たちファン科の生徒は、その力を正しく、そして強力にコントロールする術を学ぶ、未来のプロフェッショナルなのだ。
……なんて、格好いいことを言ってみたけど。
(私のファン力なんて、ゼロみたいなものだよね……)
ううん、正確には違う。
ゼロじゃない。むしろ、その逆。
私には、秘密がある。
誰にも言えない、たった一つの秘密。それは、私の持つ「ファン力」が、この学園の長い歴史の中でも観測されたことがないほど、とてつもなく巨大だということ。
だけど、その力はあまりにも強すぎて、私にはまったくコントロールできない。
一度でも「好き」って気持ちが溢れそうになると、周りの電子機器がバグったり、窓ガラスがビリビリ震えたり、大変なことになっちゃう。まるで、体の中に暴走する発電所を抱えているみたいで。
だから私は、いつも心を無にしてる。
好きなものを作らない。誰とも深く関わらない。そうやって、自分の力を必死に封じ込めて生きてきた。
地味で、臆病で、空っぽな私。
それが、小鳥遊紬。
この学園にいる限り、絶対に誰かの「ファン」になんてなっちゃいけないんだ。
そう、固く、固く、誓っていたはずなのに。
――彼に出会ってしまうまでは。
◇
その日の放課後、私は課題で使う参考書を探しに、旧館の図書館へ向かっていた。普段は誰も使わない、ひっそりとした場所。ギシギシと鳴る廊下を歩いていると、どこからか、澄んだ歌声が聞こえてきた。
(歌……? 誰だろう)
こんな場所で練習するなんて、珍しい。
導かれるように、私は音のする方へ、足音を忍ばせて近づいていく。
声の主は、一番奥にある、今は使われていない音楽室からだった。
そっと、ドアの隙間から中を覗き込む。
そこに、彼はいた。
夕日が差し込む、埃っぽい音楽室。
その真ん中で、たった一人、彼は歌っていた。
切なげなメロディーに乗る、どこまでも伸びやかで、胸を締め付けるような歌声。
月の光を溶かしたみたいな銀色の髪が、さらりと揺れる。長い手足がしなやかに空間を切り裂いて、完璧なターンを決める。
アイドル科一年の、神代玲(かみしろれい)くん。
その名前は、もちろん知っていた。
ただし、悪い意味で。
『歌もダンスも天才的なのに、ファンが一人もつかないアイドル科の“落ちこぼれ”』
『性格に難ありの一匹狼』
『デビューどころか、進級も危うい問題児』
それが、学園での彼の評価。
アイドルにとって、ファンがいないのは致命的だ。彼の「アイドル偏差値」は、常に最下位をさまよっているって、噂で聞いたことがある。
だけど。
(……嘘だ)
目の前で繰り広げられている光景は、そんな噂を、一瞬で吹き飛ばすほどの衝撃だった。
ファンからの「ファン力」を一切受けていない、素の状態のはずなのに。
彼のパフォーマンスは、学園のトップアイドルたちなんかより、ずっと、ずっと……心を揺さぶる。
一つ一つの音に、動きに、魂が込められているのが分かる。
それは、誰かに見せるためのものじゃない。彼自身の内側から、どうしようもなく溢れ出してくる、叫びのようなパフォーマンスだった。
ズキッ。
忘れていたはずの、胸の奥が痛んだ。
いや、違う。これは痛みなんかじゃない。
ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
全身の血が、指先に向かって、ぶわっと熱くなる。
(すごい……)
言葉を失って、ただただ見惚れていた。
彼の瞳が、苦しいくらいに真っ直ぐで、孤独で、でも、諦めを知らない強い光を宿していることに、気づいてしまったから。
キラキラ、キラキラ。
夕日の光だけじゃない。彼自身が、内側から発光しているみたいだった。
埃っぽい音楽室が、世界で一番輝くステージに見える。
やばい。
体の中の「何か」が、目を覚ましそうになる。
私がずっと蓋をしてきた、暴れん坊のエネルギーが、彼の輝きに共鳴して、扉をこじ開けようと暴れている。
(ダメ、ダメダメダメッ!)
私は慌てて音楽室から飛びのいて、壁に背中を押し付けた。
心臓がバクバクうるさくて、息ができない。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
ぎゅっと胸元の制服を握りしめる。
どうしよう。
見ちゃいけないものを、見てしまった。
知っちゃいけない感情を、知ってしまった。
好き、だ。
神代玲くんの、あのパフォーマンスが、歌声が、瞳が。
――好きだ。
認めた瞬間、ポケットに入れていたスマホが「ブブブッ」と不気味に振動して、画面にノイズが走った。廊下の照明が、チカチカと激しく点滅する。
(きゃっ!?)
やばいやばいやばい!
バレる! 私の秘密が!
私は力の暴走を必死に抑え込もうと、両手で強く頭を抱えた。
大丈夫。落ち着いて、私。
心を無にするの。いつものみたいに。
大丈夫、大丈夫……。
「……誰か、いるのか」
ひゅっ、と喉が鳴った。
音楽室のドアが、ゆっくりと開く。
そこに立っていたのは、汗で銀髪を濡らした、神代玲くん本人だった。
「……!」
目が、合ってしまった。
切れ長の、少し色素の薄い瞳。練習のせいで、わずかに潤んでいる。
その瞳に射抜かれた瞬間、私の思考は完全にフリーズした。
(か、顔がいい……!)
噂通りの、近寄りがたいオーラ。整いすぎた顔立ちは、まるで精巧な人形みたいで、人間味が感じられないくらい綺麗だった。
「……見てたのか」
低くて、少し掠れた声。
責めるような響きに、私の体はびくっと震える。
「あ、あの、ご、ごめんなさ……っ」
「……別に」
彼はそれだけ言うと、私に興味を失ったように、ふいっと顔を背けて歩き去ろうとした。
その時だった。
「あーあ、いたいた。こんなとこで油売ってんのかよ、万年最下位」
「一人で練習とか、惨めすぎない? ファンがいないって、どんな気持ち?」
廊下の向こうから現れた、数人の男子生徒。
着ている制服からして、同じアイドル科の子たちだ。彼らの周りには、ふんわりと明るいオーラ……ファンから供給された「ファン力」の残滓が漂っている。
リーダー格らしい、茶髪の男の子が、神代くんの前にわざとらしく立ちはだかった。
「なぁ、神代。お前、才能の無駄遣いだって分かってる? ファンもつけられないような奴は、アイドルじゃない。ただの出来損ないだ」
ゲラゲラと下品な笑い声が、廊下に響く。
ちがう。
違う、違う、違う!
あなたたちなんかより、ずっとすごい!
神代くんは、本物なのに!
私の心の中で、何かが叫んでいる。
でも、声が出せない。足がすくんで、一歩も動けない。
神代くんは、何も言い返さなかった。
ただ、ぎゅっと拳を握りしめているのが、横から見えた。その指先が、白くなるくらい、強く。
悔しいはずだ。腹が立つはずだ。なのに、彼は何も言わない。孤独に、たった一人で耐えている。
その姿が、私の胸に突き刺さった。
ズキズキと、痛くて、苦しくて、たまらない。
やめて。
彼をそんな目で見ないで。
彼の心を、これ以上傷つけないで。
(私が……私が、彼を守らなきゃ)
え?
今、私、なんて?
その瞬間だった。
バチィッ!!
廊下の照明が、今までで一番激しい火花を散らして、弾け飛んだ。
天井からパラパラとガラスの破片が降り注ぐ。
「うわっ!? なんだ!?」
「漏電かよ、危ねぇな!」
男子生徒たちが騒ぎ出すのを、私は呆然と見つめていた。
今の、絶対、私のせいだ。
神代くんを「守りたい」って思った瞬間、体中の「ファン力」が、感情のままに暴走したんだ。
「……チッ」
神代くんが、小さく舌打ちした。そして、一瞬だけ、私の方を見た気がした。
彼の瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。
いや……ほんの少しだけ、何かを諦めたような、そんな色が混じっていたような……。
彼はそのまま、何も言わずに去っていく。
その後ろ姿が、どうしようもなく寂しくて、私の胸は張り裂けそうだった。
私は、なんて無力なんだろう。
こんなにすごい力を持っているのに、推したいと思った人を、守ることすらできない。
それどころか、迷惑をかけてしまうなんて。
地味で、臆病で、コントロール不能な厄介者。
それが、私。
(……本当に、それでいいの?)
心の中で、もう一人の私が問いかける。
このまま、遠くから見ているだけでいいの?
彼が、誰にも認められないまま、才能を腐らせていくのを、ただ指をくわえて見ているだけで、本当に後悔しない?
(……嫌だ)
嫌だ。
絶対に嫌だ。
あの輝きを、私だけが知っているなんて、そんなのもったいない。
あの歌声を、世界中の人に届けたい。
あのステージを、満員の観客の、最高の笑顔で埋めつくしたい。
私のこの、暴走するだけの厄介な力。
でも、もし。
もし、この力を正しくコントロールできたなら。
この学園で一番……ううん、世界で一番の「ファン力」を、すべて神代玲くん一人に注ぎ込むことができたなら。
落ちこぼれの彼を、学園のトップアイドルに、ううん、世界一の星にだってできるんじゃないの?
ドクン。
また、心臓が鳴った。
でも、今度は怖くなかった。
それは、恐怖の音じゃない。
決意の音だった。
よし、決めた。
地味で、臆病な私だけど。
人付き合いが苦手な、空っぽな私だけど。
この正体を隠したまま、彼のプロのファンになろう。
私の「好き」で、彼をトップに押し上げてみせる。
気づけば、私は走り出していた。
彼の、あの寂しそうな背中を追いかけて。
もう、迷わない。
もう、逃げない。
私の人生は、今日、この瞬間から、彼を推すためにあるんだから!
◇
息を切らして、学園の出口へと続く並木道まで走ると、彼の後ろ姿を見つけた。
夕日に照らされて、長い影が伸びている。
「あ、あのっ!」
自分でもびっくりするくらい、大きな声が出た。
いつもなら絶対にできないことなのに。不思議と、今は勇気が湧いてくる。
神代くんが、ぴたりと足を止めて、ゆっくりと振り返る。
その無機質な瞳が、私を捉える。
「……まだ何か用か」
「ま、待って! 待ってください!」
彼の前に走り寄って、なんとか息を整える。
言わなきゃ。伝えなきゃ。私の決意を。
「さっきの……見てました。あなたのパフォーマンス、すごく、すごく、すごかったです……!」
「……」
「私、あんなに心が震えたステージ、初めて見ました! あなたは、絶対に、本物のアイドルです!」
必死に言葉を紡ぐ私を、彼は冷めた目で見下ろしている。
その視線に、きゅっと胸が痛むけど、もう引き返せない。
「だから……っ!」
ごくり、と唾を飲み込む。
ここからが本番だ。
「だから、私が、あなたのファンになります! たった一人の、でも、世界で一番のファンに!」
宣言した。
言ってしまった。
彼の綺麗な眉が、ぴくりと動く。
でも、すぐに、その口元に自嘲するような笑みが浮かんだ。
「……くだらない」
吐き捨てるように、彼は言った。
「ファンなんて、いらない。俺には必要ない」
「そ、そんなことないです! ファン力があれば、あなたはもっと輝ける!」
「お前なんかに、俺の何がわかる」
その言葉は、氷のように冷たくて、鋭いナイフみたいに私の心を抉った。
ぐっと言葉に詰まる。
そうだよね。さっき会ったばかりの、地味で挙動不審な女の子に、いきなりこんなこと言われても、迷惑なだけだよね。
でも。
ここで諦めたら、私はまた、元の空っぽな私に戻ってしまう。
それは、もう嫌だ。
私は、真っ直ぐに彼の瞳を見つめ返した。
もう、俯かない。
「何も、知りません。あなたのこと、まだ何も」
「……だったら、」
「でも、わかります! あなたのステージは、本物だってことだけは、絶対にわかります!」
私の声は、少し震えていたかもしれない。
でも、瞳は逸らさなかった。
「だから、お願いです! 私を、あなたのファンにしてください!」
彼は、しばらく何も言わずに、私をじっと見ていた。
何を考えているのか、全く読めない。
夕暮れの風が、私たちの間を吹き抜けていく。
やがて、彼はふっと息を吐くと、呆れたように言った。
「……好きにすれば」
え?
「ただし、俺に構うな。鬱陶しい」
そう言い残して、彼は今度こそ、本当に背を向けて歩き去ってしまった。
一人、並木道に取り残される。
呆然と、彼の背中が見えなくなるまで見送った。
(好きにすれば……ってことは、一応、許可してくれたってこと……なのかな?)
都合よく解釈しすぎ?
でも、「ダメだ」とは言われなかった!
じわじわと、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
やった。
やったんだ、私!
これが、私の大きな、大きな第一歩だ!
ポケットの中で、スマホがまたブルっと震えた。
慌てて取り出すと、画面には信じられない表示が出ている。
【ファン力測定アプリ】
SYNC TARGET: 神代 玲
CURRENT LOVE-POWER: 0.001%
(い、1……!?)
今まで、どんなに頑張っても「0」から動かなかった私のファン力が、ほんの少しだけど、彼に向かって流れている!
これは、奇跡だ。
私と彼を繋ぐ、細くて、でも確かな絆。
「……見ててください、神代くん」
私は、夕日に染まる空に向かって、ぎゅっと拳を握りしめた。
「私が、あなたの世界で一番のファンになるから!」
地味で最強なファンの、孤高の天才アイドルのプロデュース計画。
私の「好き」で、君を一番星にする。
秘密の二人三脚が、今、静かに幕を開けた。
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