第4話 一族の敵意と、〝唯一無二の花嫁〟宣言

『今日のところは、よくやった』


あの日の、白月様の優しい声と、髪に触れた指先の感触を思い出すたびに、私の心臓は今もきゅっと甘い音を立てる。

あれから数日。私と白月様の秘密の特訓は、放課後の日課になっていた。


(少しは、成長できた、かな……)


寮の自室。鏡の前で指先に意識を集中させると、ぽわん、と小さな紫色の光の花が浮かび上がる。

前よりもずっと早く、ずっと綺麗に咲かせられるようになった。白月様のおかげだ。

でも、成長を実感するたびに、別の不安が胸を締め付ける。


(もうすぐ、満月の夜が来ちゃう……)


白月様の一族の会合。

最強の天狐の一族って、一体どんな怖いあやかしたちが集まるんだろう。霊力ゼロの私が行ったら、きっと一口で食べられちゃう……!


「美桜ー、最近なんか雰囲気変わったよね。ちょっと明るくなったっていうか」

「え、そうかな?」

談話室で課題をしていると、向かいに座っていた葵が、にひひと意味ありげに笑った。

「放課後、いっつもどこ行ってるの? もしかして……白月様とデート!?」

「ででで、デートじゃないよ!」


慌てて否定するけど、顔が熱い。嘘はついてない。特訓だもん。デートなんかじゃ、絶対に。


「ふーん? ま、秘密の特訓の成果、楽しみにしてるからねっ」


葵はウインクすると、それ以上は追求してこなかった。

(秘密の特訓……)

そう。これは、彼に認められるための、私だけの秘密の時間。

そう思っていたのに。


会合の前日、白月様に呼び出されて連れてこられたのは、帝都でも屈指の高級呉服店だった。


「み、みすぼらしい格好で行かせるわけにはいかん、って……私の制服、そんなにみすぼらしいですか!?」

「当たり前だ。俺の花嫁が、その他大勢と同じ格好でどうする」


しれっと言い放つ彼に、私はもう何も言えない。

店員さんに案内されるまま、私は次々と豪華な着物を試着させられることになった。


「……違うな。色が派手すぎる」

「子供っぽい。話にならん」

「それは地味だ。俺の隣に立つ気があるのか」


白月様のダメ出しは続く。

(もう、なんなのこの人! 王様なの!?)

心の中で悪態をつきながら、四着目の着物に袖を通す。それは、月の光をそのまま織り込んだような、美しい月白色の生地に、淡い桜の花が舞うように描かれた、儚げで綺麗な着物だった。


おそるおそる、彼の前に出る。

すると、今までつまらなそうに肘をついていた白月様が、ぴたりと動きを止めた。


彼の金の瞳が、ほんの少しだけ、見開かれる。

息をのむような、小さな音が聞こえた気がした。


「……」

「あ、あの……これも、ダメ、ですか?」


ドキドキしながら尋ねると、彼はふいっと気まずそうに顔をそむけた。

キラキラ光る銀色の髪に隠れて、彼の表情はよく見えない。でも、その耳が、ほんのり赤く染まっているように見えたのは、きっと気のせいだ。


「……まあ、悪くない。それにしろ」


(え、今のって、もしかして……)


きゅん、と心臓が鳴った。

これって、褒められたってこと? 嬉しい……かも。


着付けを終えると、白月様は「これを持っておけ」と言って、小さな桐の箱を私に差し出した。

中に入っていたのは、白檀の木でできた、桜の花の形をした一本のかんざしだった。繊細な細工が施されていて、すごく綺麗。


「これは、ただの飾りじゃない。俺の妖力を込めたお守りだ。……何かあれば、俺を呼べ。すぐに駆けつけてやる」

「お守り……」


彼の妖力が込められた、特別なかんざし。

なんだか、彼との秘密がまた一つ増えたみたいで、胸の奥が温かくなった。



そして、運命の満月の夜がやってきた。

私たちが向かったのは、人里離れた深い山奥にある、壮麗な屋敷だった。

黒く艶めく巨大な屋根。いくつも連なる灯籠の明かり。そこは、白月様の一族が住まう、天狐の里。


(すごい……妖気……!)


一歩足を踏み入れただけで、肌がピリピリする。そこら中から、格の違うあやかしたちの、強大な妖気が満ちていた。

私みたいな霊力ゼロの人間が、いていい場所じゃない。


あまりの威圧感に足がすくむ。その時、隣を歩いていた白月様の手が、私の手をぎゅっと強く握った。


「――ッ!?」

「案ずるな。お前はただ、俺の隣で人形のように微笑んでいればいい」


声は、いつもみたいに冷たいのに。繋がれた手は、びっくりするくらい温かかった。

その不器用な優しさに、ドクン、と心臓が大きく跳ねる。


案内された大広間には、すでにたくさんのあやかしたちが集まっていた。

九本の尾を持つ、美しい天狐たち。彼らが一斉に、私たちに視線を向ける。それは、値踏みするような、鋭くて冷たい視線だった。


「ほう、この人間が白月の花嫁か」

「なんと非力な……。これでは、我らの一族の血を薄めるだけではないか」

「巫女の血筋とはいえ、聞いて呆れるわ」


ひそひそと、でも私にはっきりと聞こえるように交わされる、辛辣な言葉。

胸が、ズキズキと痛む。

分かってる。私が、ここにふさわしくないことくらい。


すると、上座に座っていた、ひときわ威厳のある白髪の天狐が、ゆっくりと口を開いた。

「白月よ。我らの忠告を無視し、そのようなか弱き人間を花嫁に選ぶとは。何を考えておる」

「……俺の考えは変わりません、玄宗(げんそう)様」


玄宗と呼ばれた長老は、面白くなさそうに目を細めると、その鋭い視線を私に向けた。


「ならば、試させてもらおう。我らが未来の女主人として、その娘がふさわしいか否か。その霊力、見せてみよ!」


その言葉と共に、玄宗様の体から凄まじい妖気が放たれる!

ズンッ、と重い圧力が私にのしかかり、息が詰まる。


(こ、怖い……!)


体が金縛りにあったように動かない。

玄宗様の指先が、私に向けられる。絶体絶命だ。


その、瞬間。

私の目の前に、白い影が躍り出た。白月様だ。


彼は、私の前に立つと、片手で玄宗様の妖術をいとも簡単に、パシンッ!と弾き飛ばした。


「――俺の花嫁に、何をなさるか」


地を這うような、静かで、でも燃えるような怒りを孕んだ声。

大広間の空気が、一瞬で凍りついた。


「白月……貴様、このワシに逆らう気か」

「ええ。この者に手を出すというのなら」


白月様の金の瞳が、危険な光を宿す。

そして、彼は私をぐっと引き寄せると、その腕で強く、強く抱きしめた。


「――ッ!?」

(し、白月、さま……!?)


彼の胸の中に、すっぽりと包まれる。白檀のいい香りと、彼の心臓の音がすぐそばで聞こえて、頭が真っ白になった。

彼は、集まった一族全員に聞こえるように、はっきりと宣言した。


「この女は、俺が選んだ唯一無二の花嫁だ。この者に手を出す者は、たとえ一族であろうとこの俺が許さん!」


その声は、あまりにも真に迫っていて。

偽りの関係のはずなのに、彼の本気がどこにあるのか、もう私には分からなかった。


(どうして……? これは、ただの演技のはずじゃ……?)


玄宗様は、白月様の覚悟を試すような目で見つめた後、「……フン。いつまでその“偽物”が通用するか、見ものだな」と、意味深な言葉を残して席に戻った。



嵐のような会合が終わり、私は白月様と二人、屋敷の広い縁側で月を眺めていた。

まん丸で、綺麗な満月。


「……あの、白月様。あんなこと言って、よかったんですか? ご一族の方と、その……」

「構わん」


彼は、静かに答える。

その横顔は、月の光を浴びて、彫刻みたいに美しかった。でも、どこか悲しそうで、寂しそうで。


「……お前がどう思おうと、もう遅い」


ぽつり、と彼が呟いた。

「お前はもう、俺の運命から、逃れられんのだ」


「運命……?」


その言葉が、私の胸にちくりと刺さる。

“偽りの花嫁”じゃなくて、“運命”?

私が聞き返すと、彼は答えずに、ただ悲しい瞳で月を見上げていた。


彼の言う『運命』って、一体どういうこと――?

この契約には、まだ私の知らない、何か重大な秘密が隠されているの……?


私の頭の中は、たくさんの「?」でいっぱいになった。

ただ一つだけ確かなのは、私はもう、この強くて、不器用で、謎だらけのあやかし様から、絶対に目が離せないってことだった。

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