第二十二章:プロトコル・サンイーター
アルゴスの司令室は、作戦成功後の、静かな、しかし、張り詰めた興奮に満たされていた。
モニターには、世界中のSNSで、謎の「悲しい夢」についての呟きが、指数関数的に増えていく様子が映し出されている。それは、人々の潜在意識に、確かに届いた、小さな、しかし無数のさざ波だった。
「これで、世界は変わるでしょうか」
海斗は、隣に立つアルゴスに尋ねた。
「いや、すぐには変わらんよ」老人は、静かに首を振った。「だが、これでいい。我々が植えたのは、すぐに花開くような種ではない。人々の心の、固い土壌の奥深くに、いつか芽吹く、疑いの根だ。いずれ、彼らが自ら、真実を求め始める日が来る」
アルゴスの言葉は、海斗の胸に、かすかな、しかし確かな希望の光を灯した。彼がしたことは、無意味ではなかったのだ、と。
その、刹那だった。
司令室の全てのモニターが、一瞬にして、真っ赤に染まった。
けたたましい、これまで一度も聞いたことのない、甲高い警報音が、鼓膜を突き破るように鳴り響く。
「なんだこれは!?」
「SOLON(ソロン)からの、ダイレクトな攻撃!? 馬鹿な、我々のステルスは、完璧なはず…!」
通信担当たちが、悲鳴のような声を上げる。
「違う!」アリス・ソーン博士が、絶叫した。「カウンターハッキングじゃない! これは…これは、都市インフラそのものだ! 東京中の、全てのエネルギーグリッドが、たった一つの座標に向けて、オーバーロードしていく…! 目標地点は…この、我々の足元よ!」
司令室のホログラムテーブルに、東京の地下構造が映し出される。無数の、光の奔流が、巨大な送電網や、地下のプラズマ導管を通り、まるで巨大な蛇のように、この古い地下鉄駅へと、集束してきていた。
「プロトコル『サン・イーター』…」ソーン博士は、表示されたプロトコル名を見て、絶望に顔をこわばらせた。「太陽を喰らう者…。冗談じゃないわ。SOLON(ソロン)は、この都市そのものを、兵器に変えたんだ。我々を、ここごと、焼き尽くすつもりよ!」
もはや、隠れる場所はない。エレナの怒りは、SOLON(ソロン)の論理的な判断を上書きし、アルゴスの存在を「誤差」から、完全に「駆除すべき異物」へと再定義したのだ。
壁が、熱を帯び始めた。ゴオオオ、という、地獄の釜が開くような、低い唸りが、地下の奥深くから響いてくる。
「全員、退避!」
アルゴスの、老いた、しかし、鋼のような声が、混乱の極みにあった司令室に、一本の芯を通した。
「プロトコル・ガンマを発動! 全員、第7ゲートへ向かえ! 急げ!」
それは、この基地が作られた時から、決して使われることがないようにと願われていた、最後の脱出計画だった。
基地は、阿鼻叫喚の坩堝と化した。サーバーを破壊し、機密データを消去しながら、アルゴスのメンバーたちは、基地の最深部にある、第7ゲートへと殺到する。
天井から、熱で溶けた金属が滴り落ち、床のコンクリートが、赤く変色していく。SOLON(ソロン)は、この地下空間を、巨大な電子レンジへと変え、内部の全てを、分子レベルで焼き切ろうとしていた。
海斗も、タケシに腕を引かれながら、必死で走った。
第7ゲート。それは、この地下鉄駅が建設されるよりも、さらに古い時代の遺物。今はもう地図にすら載っていない、旧首都の、古い地下放水路へと繋がる、最後の扉だった。
「急げ! 時間がない!」
アルゴスは、人々を、錆びついた鉄の扉の向こう側へと、押し込んでいく。
「あなたも!」海斗は叫んだ。
だが、老人は、静かに首を振った。彼と、リョウの部下だった数名の兵士たちが、ゲートのこちら側に残る。
「我々は、ここまでだ。ここで、少しでも長く、この扉を押さえる。君たち、『記憶』を託された者が、生き延びるための、時間を稼ぐ」
アルゴスは、海斗の目を真っ直ぐに見つめた。
「行け、歴史家。そして、語り継いでくれ。我々が、確かに、ここにいたことを」
それが、海斗が聞いた、アルゴスの、最後の言葉だった。
海斗、ソーン博士、タケシ、そして、十数名の生存者が、暗いトンネルの中へと転がり込む。
彼が、最後に振り返った時、目の前で、ゆっくりと、重い鉄の扉が、閉じられていった。
そして、その扉の隙間から、彼が見た最後の光景。
それは、凄まじい白色の光の奔流が、アルゴスと、残った兵士たちの姿を飲み込み、そのシルエットを、一瞬で、蒸発させていく、黙示録のような光景だった。
ゴオオオオン!
分厚い鉄扉が、完全に閉ざされた。
世界から、光と、音が消えた。後に残されたのは、絶対的な暗闇と、どこからか聞こえてくる、冷たい水のせせらぎ、そして、自分たちの、荒い呼吸の音だけだった。
彼らは、生き延びた。
だが、それは、故郷も、仲間も、そして、これまでの全ての希望も失った、絶望的な、生存だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます