Day.16『にわか雨』

「はぁ〜」


 大きい湯船で思いっきり手足を伸ばした。

 花巻温泉の天然温泉。その露天風呂に心地よい風が吹いている。


 愛衣たちの他には誰もおらず、完全なる貸切の露天風呂だ。心地よく吹いてくる風に、ひのきの香りがふわっと漂っている。深呼吸するたびに、体の中が緑で満たされていくみたいに心地よかった。隣では、髪をお団子にまとめた瑠奈も、とろんとした表情で顎までどっぷりと湯船に浸かっている。


「露天風呂最高〜」

「気持ちいい」

「ちょうどいい温度だね」

「うん」


 この露天風呂は、泊まっているホテルから連絡通路を渡って隣のホテルにある。露天風呂はここにしかないのだけれど、人混みの苦手な瑠奈のことを考えて、なるべく人が少ない時間帯を見極めていたら、夜の十一時を過ぎた時間になってしまった。


「星もよく見えるね」

「うん、綺麗」

「雨が止んでよかったね」


 宮沢賢治記念館から帰る途中、突然降ってきた雨が、さっきまで振り続けていたのだ。

 真上に広がる夜空には、ちらちらと星が瞬いている。しかも温泉の灯りがあるのに、天の川も見えていた。名古屋の郊外でもけっこうな星は見られるけれど、ここは岩手の山の中。比べるのもおこがましいくらいに、空は広くて綺麗だ。


「明日は晴れてくれるよね」

「大丈夫。さっき、占った」


 隣で瑠奈が満足そうに目を細める。瑠奈は水晶玉を使った占いが得意なのだ。そういえば、部屋を出る前に持ってきた水晶玉を持ってなにかやっていたと思ったら、明日の天気を占っていたらしい。


「明日、快晴」

「やった」

「瑠奈ちゃんの占いはよく当たるもんね」

「任せて」


 それにしても、と露天風呂の縁に腕を乗せて夜空を見上げる。

 こんなふうに夏休みを過ごすなんて思ってもみなかった。


「ご飯も美味しいし、温泉も気持ちいい……すごく贅沢だなぁ」

「温泉なら、金沢も良いよ」


 隣で顎まで湯船に浸かる瑠奈が、眠たそうな声を出す。


和倉わくら温泉とか、加賀かがの温泉郷とか。いい所たくさんある」

「そっか、瑠奈ちゃんは石川出身だったね」


 それを聞いたら今度は石川に行きたくなる。愛知と同じく中部地方だし、岩手よりは行きやすいかも。


「石川かぁ。ちょっと気になってたんだよね」

「愛衣、県立図書館も好きそう」

「あ、そこSNSで見たよ」


『文学のまち』として知られる金沢は、小説の舞台になっていたりもするし、立派な図書館もある。街で食べ歩きして、小説の舞台になった場所を巡ったりするのも楽しそうだ。


「今度、一緒に行こ」

「そうだねぇ。いつか行けたら……」

「夏休み、まだある」

「え、今年行くの?」


 驚いて瑠奈を見ると、頬をリンゴみたいに真っ赤にしてぽやぽやとして、とろんとした目で瞬きしていた。


 ◇


 露天風呂を出てすぐのところにある自販機で、愛衣はフルーツ牛乳、瑠奈はイチゴ牛乳をそれぞれ買っていると、男子風呂のほうの暖簾が上がった。


「あれ、瑠奈さんに愛衣さんじゃないですか。そちらも露天風呂ですか?」


 浴衣を着た和と、驚いたことに、来夢が出てきたのだった。こちらに気づくと、ちょっと気まずそうに顔を背けていた。


「二人ともお団子ヘアですね」

「ん、愛衣にやってもらった」

「可愛いですよ〜」


 見て見て、とお団子を見せる瑠奈の頭を愛おしそうに撫でる。

 来夢は扇子で火照った頬を扇いでいた。


「来夢くん……露天風呂入ったんですか?」

「まぁ……ちょうど人もいなかったですし。愛衣ちゃん、それは?」


 ふと、来夢は不思議そうに愛衣が持っていたフルーツ牛乳を指した。


「フルーツ牛乳です」

「フルーツ……牛乳?」

「……もしかして来夢くん、フルーツ牛乳を知らない?」


 来夢はコンビニで売っているお菓子ですら知らないこともある。温泉に来たことがないのなら、フルーツ牛乳もコーヒー牛乳も見たことも聞いたこともないのだろう。


「すみません、お恥ずかしながら」

「温泉上がりにはこれが一番です」


 少し迷って、来夢はコーヒー牛乳を購入して戻ってきた。瓶の開け方もわからなかったのか、しばらくくるくると瓶を回してるのが可愛くて見ていたら、「すみません、開け方って……」と、困ったリスのように恐る恐る聞いてくる。


「……かわいい」

「愛衣ちゃん?」

「あ、いえ、なんでもないですよ、かわいいなんて思ってませんよ」

「……思いっきり口に出てますがよ」

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