Day.15『解読』
花巻に滞在してから三日目。この日、愛衣たちはコミュニティバスを乗り継いで宮沢賢治童話村前のバス停で降りていた。
「長かった〜」
「お疲れ様でした」
バスを降りる際、運転手のお姉さんからカードのようなものをもらった。和によると、これは宮沢賢治記念館を初め、五つの施設の無料チケットらしい。コミュニティバスを利用したお客様全員に配っているのだそうだ。
「旅行者の方は、それでも来た記念にとチケットを買う人もいるそうですがね」
道路を挟んで反対側にある童話村の駐車場から山の上にある宮沢賢治記念館へ行けるシャトルバスが出ていると教えてくれた。
シャトルバス乗り場へ向かい、和が時間を調べると、「あ」となにかに気づいて声を上げる。
「シャトルバス、ついさっき出てしまったみたいですね」
「あら」
「次までどのくらい時間あるんです?」
「えぇっと、一時間ですね」
そんなにかかるのか。どうしよう、と顔を見合わせる。
童話村に行く手もあるが、ここは時間をかけて回りたいし、一度入ってしまったら一日中居たくなるのは目に見えている。
「みなさん、一応、階段もあるのですが……どうしましょう?」
和に連れられて、童話村から少し歩いたところに、建物の入口のような構えをした趣のある木造ゲートがあった。梁に【宮沢賢治記念館】とあり、その奥には、山に沿って張り付くように伸びる、長い長い階段があった。
「ここです」
「わ、長い……」
掲示板のような板に『この階段は367段あります』という張り紙がある。上を覗いて見ても、その出口は全く見えない。段数も合わせて、とにかくすごく長い。
「この階段、ちょっと面白いんですよ」
ほら、と和が階段の壁を指す。
そこに一段ごとに、文字が一つずつ記されていた。
「あ、これって『雨ニモマケズ』ですか?」
ご名答です、と和がにっこり笑う。
段々に記されたひらがなを辿りながら、階段を見上げた。つまり、この階段を登っていけば『雨ニモマケズ』を読み切ることができるということか。
「愛衣ちゃん、登ってみたいですか?」
隣で来夢も階段を見上げる。
「あ、来夢くん、どうしましょうか……」
来夢からしたら疲れるのは目に見えているだろうし、こんな長い階段、登りたくないかもしれない。もし嫌だとしたら、シャトルバスを一時間待とうかと提案する前に、来夢は微笑み返す。
「愛衣ちゃんが行きたいというのであれば、一緒に行ってみましょうか」
一つずつ文字を拾って読み上げながら階段を登っていくのは、なんだかパズルゲームめいて、古文書でも解読しているような、ちょっとわくわくした気分になっていく。
百段ごとに文字の色が変わり、区切りの良い段数の所に『100段目』と大きく目印が付いている。この張り紙には、帽子を被るまるっとした猫の絵が描かれていて、これがまた可愛い。
『◆宮・沢・賢・治◆お・つ・か・れ・さ・ま・で・し・た』
数合わせだろうけれど、ここまで登ってきた身からしたら『雨ニモマケズ』を読み切ったという達成感があった。
その後、なにも表示がない一段を上る。
あれ、367段目の表示どこにいったんだろう。疑問は残ったものの、全員で階段を登りきった。
「367段、登りきったー!」
少し遅れて、来夢が息を乱して膝に手をついていた。
「来夢くん、大丈夫ですか?」
「えぇ……愛衣ちゃんは?」
「私は平気です」
「そ……そうですか……」
「ふふっ、みなさんお疲れ様でした」
来夢の後ろから、瑠奈を抱えた和が余裕の足取りで階段を上がってきた。百段目くらいのところで、疲れた、と瑠奈は和に抱っこされていたらしい。
階段の近くにある展望台があるみたいで、行ってみると圧巻の景色だった。大きく広く見える群青色の空の下、遠く続く緑の草原、そしてその向こうに
「わぁぁ……! すごくいい眺めですね!」
階段を登ってきてじんわりと汗をかいた肌を、山の方から吹いてくる涼やかな風がやさしく撫でていく。大きく深呼吸をすると、しっとりとした緑と土の匂いが肺に満ちて、今、自然の中にいるのだ、ということを教えてくれる。
隣で瑠奈も、すーっと深呼吸して「空気おいしい」と満足したように目を細めた。
「ちょっとぐらい蒸し暑くなっても、登ってきてよかったね」
うんと頷く瑠奈を「あなた、自分の足で登ってないでしょう」と来夢がじとっと睨みつける。瑠奈は聞こえてないようにつんとそっぽを向くだけだった。
シャトルバスや一般車の駐車場の近くに、洋館がひとつ建っている。趣のある木の看板には【RESTAURANT 注文の多い料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒】とあった。
「和さん、もしかしてあれ、山猫軒ですか?」
「え、あぁ、そうですよ〜」
それは、宮沢賢治の中でも最も有名な童話『注文の多い料理店』に出てくる洋食屋と同じ名前だった。花巻に同じ店名のレストランがあると、かあなちゃんからも聞いていたのだ。
「記念館を見終わったら、あそこでお昼ごはんにしましょうか」
「あの、和さん。先に休憩にしませんか? 来夢くん、だいぶ疲れてしまったみたいで」
◇
山猫軒で早めの昼食をとり、ゆっくりとデザートまで堪能した。その後、たっぷり三時間ほどかけて記念館の展示を隅々までじっくり見ていたら、またシャトルバスを逃してしまい、長い階段をおりることになったのは、日暮れも近づいた夕方の頃だった。
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