ゼノン獣人傭兵軍団長

 先ほどとは打って変わってクラウスは少女を翻って見ることは一度もなく、ただ一点。クララを見ながら走り続けていた。走り続けるとは言ったものの、広場の端から中央付近に移動するだけであり、時間にして数十秒かからなかったが、クラウスにとってみれば、数分、数十分にも感じられただろう。

 クララを軽々と持ち上げている獣人のもとへは、もう一つ面倒くさい壁があった。その熱狂した大衆らが作る人壁である。円の中心に進もうとするクラウスを円周と化した民衆がもみくちゃにする。民衆同士の押し合い、ひしめき合いにもはや目的の中心までいけやしないと思ってしまう程の団子状態。だがそれを押しのけ、殴りつけ、踏みつけ分け入っていく。クラウスは集中し切っていた。帽子が途中で脱げ、その赤黒い髪を露出させていることすら気が付かない程に。

 中心に出でて、クララの首を締め続ける獣人に相対した時にクラウスはもはや傷だらけであった。足は靴で踏まれた痕と切り傷が複数あり、髪も乱れシンクであることが一目で分かってしまう。

 中心には毅然とした態度で立ち、威風堂々とした獣人が一人。その獣人は円周上にいる無数の獣人とは異なり、より筋肉質で一際体格が大きく獣人でさえ見上げる程であった。弓兵のような軽装備とは裏腹に獣人が担いでいたのは背中全体を覆うような大剣。それを刃剥き出しのままに携えている風貌は、百戦錬磨の巨兵、一騎当千の英雄。誰もが一目見てそう思ってしまうだろう。

 その獣人はそのクラウスを一目見て、

「んー? 貴様、人間。それにシンクと来たか。珍しい、珍しい。何をしに来た」

 至って余裕そうに言う。獣人の集中がクラウスの方に向いたのか、クララの苦痛な表情が少しばかり和らぐ。しかし離すことも無く、依然首が締まり続けていることをクラウスは確認した。クララに向いた殺気の半分が、たった半分がクラウスに向いた程度でしかなかった。

「不躾な質問だ……まず、その鳥人から手を離せ。ヒトと話す態度ではないぞ」

「貴様。誰の前であるか。この街の長が誰か。分かっていない。分かっていないようだなあ……まず名を名乗れ! 無礼者!」

 歓声さえ打ち消すような怒声。声の勢いが風圧となり周囲の獣人に吹き荒れるような、それほどの大声が広場中を包んでいった。地面に反響し布を一枚かませただけのクラウスには直にその衝撃が伝わっている。

 その獣人の目つき。それは今までの狩りの目とは比べ物にならない程の本気の目であった。正真正銘、獣の目である。百獣の王の姿に相応しい威厳と恐怖を身に纏っていることがクラウスには分かった。

「私はトート。二度の戦争を戦い抜いた老兵だ」

「老兵」

 一言。獣人は言って高笑いをし始める。大口を開けて、空に目一杯響かせるかのように笑い続ける。しきりに笑い続ける。笑って、声が突如消える。獣人はクラウスの方に目を向けた。

 その顔。ライオンのような黄金の目は依然、瞳孔が細く、常にクラウスを補足している。口は閉じ切らず、数センチ程度開いている。その口内では一際巨大な牙が二本。そしてそれ以外は岩でも嚙み砕いたかのようにボロボロであった。

「笑わせてくれる。面白い、面白いことを言ってくれるじゃないか。貴様の歳で老兵ならば、我は歴戦の勇者か」

「名を聞こう」

「……クク。貴様、馬鹿にするのも大概にするんだな。ゼノン獣人傭兵軍団長、グスタフ・カッツを知らないゼノン市民がいるわけないだろう!」

 その一言でまたしても全身に力が入ったのか、獣人。グスタフに掴まれているクララは掠れた声で悲鳴を上げた。既に歓声も無ければ広場としての喧噪もここにはない。あるのはグスタフの怒声とクララの叫び、そして怯えた獣人たちによる荒い息遣いと、逃げ惑う足音ただそれだけであった。

「用は一つだ。グスタフ軍団長。その鳥人、私の友人なんだ。離してもらえないだろうか。いや、離してもらおうか」

「人間。人間よ。貴様はこの国の何たるかを全く知らないようだな。このチキンは宮殿の前を、あろうことか! あろうことか歩きおった!万死に値する」

「理解が出来んな。ここにはこんなにも野生動物が群がっているではないか。それに比べれば彼女はまだ景観を損なわないだろう。グスタフ軍団長、貴殿のように粗暴でもない」

 クラウスの煽りにグスタフは執拗に乗っかり、怒りを募らせていく。その都度全身に力が入っていくことがクラウスにも分かっていた。グスタフの筋肉と血管が浮き出て、脚を支えるはずであった煉瓦の地面はヒビが割れて陥没し始めていた。

「……ふう。落ち着こう。落ち着こうではないか。貴様もな」

「私はいつだって冷静だ」

「我に異を唱える人間など、気狂いでしかない。ひとえに貴様、この鳥人を助けたいと言ったな」

「そうだ。友人さえ離してくれれば、それでいい」

「分かった、分かったぞ。やろう」

 言って、グスタフは高らかと天に上げていた腕をゆっくりと降ろしていく。そしてクララの足が地面に付いたところで、またも制止した。グスタフは未だクララの事を離すつもりは無いようであった。

「だが、この鳥が罪を犯した事実は変わらない。ならば、貴様はどうする。貴様はどうするべきだ。貴様は友人の代わりに罪を被るべきだ。そうだろう。そうだろう? 貴様は死罪だ。貴様は死罪だ!」

「良いだろう。元々私もその予定だったからな。ただ、抗いはするぞ。私とて貴殿の横暴をただ黙って見ながら死ぬことは出来ん」

 そんなことをしたら、地獄の彼らに面目が立たん。クラウスは思いながら、武器も何も持っていない中で戦闘態勢を取る。突撃兵に憧れを抱き、白兵戦志向であったクラウスにとって、最初で最後の徒手空拳での戦闘。気持ちの高ぶりと共に、手と足先の震えが強まっていく。

「我と戦う時点で命を投げ出したのと同義だ。死への恐怖はどうだ人間。死ぬのが怖くないのか人間」

「数日前、野良犬ソ連軍に殺されたばかりだ。死ぬことは慣れた」

「そうか」

 不適な笑みを浮かべたグスタフがそう言った瞬間、彼はクララを勢い任せに前方に投げ飛ばす。

 クララは気を失っていたのか、抵抗なく、クラウスの方向へと放物線を描くように落下していた。咄嗟に彼女を受け止めようとクラウスは戦闘態勢を止め、敵が目の前にいることも忘れ彼女を助けることだけに集中してしまう。

「それが、戦闘をする人間の態度か!」

 怒鳴りながらグスタフが異常な速さでクラウスの目の前に飛び出してくる。

 既に攻撃態勢は完璧であった。

 蹴り。

 ただ踏み込んだ右足を彼に向けて勢いよく放つ。クララさえも殲滅する勢いの蹴りが今まさに彼らの身体を襲おうとした。

 逃げることも、回避することも彼には出来ない。ならばと考えた事、それはクララを第一として助ける事であった。

 瞬間、もはや反射的に全ての魔力を使わんと右腕を突き出す。自身のどのような魔法かも分からない独自魔法を。

 発破。

 願った時、魔法陣が彼を守るように人程度の大きさで瞬時に展開された。展開した瞬間、クララが彼の身体にぶつかり、二人は落下の勢いで倒れてしまう。だが、それが幸運であった。地面に落ちる刹那、グスタフの脚がクララの頭を掠めた。血を吹き出しながら。

 巨木とも思える脚が過ぎ去ったその時、脚を追うように風も過ぎ去る。その風圧、戦闘機がたった数メートル上を通り過ぎたかのような強さだった。

「ぐっ、がぁああ! 貴様。何の魔法を使いおった!」

「はあ、ああ。何の魔法だっていいさ。貴殿が傷を負ったのなら何でもいい」

 右頬にへばりついたグスタフの血液を掌で執拗に拭きながら立ち上がったクラウスが戦闘態勢を取る。一方でグスタフは左膝を地面に付き、右足を両手で押さえながらメキメキと軋む程に歯を食いしばっていた。水漏れのように血液が滴り続けている。かと思えば足首や膝から水鉄砲のように血が噴き出ている。

「飛べるんだったら、早く逃げろ」

 クラウスが小声でクララに伝える。それと同時にクララがよろめきながら立ち上がったと思えば、息をしきりに肺に入れながら千鳥足で主戦場から離れていく。噴水を横切り、決意を固めたか、振り返ってクラウスを一度見て、

「ありがとう」

 声にならない声で言ったのち、力を振り絞って翼をはためかす。フラフラと風に吹かれて身体全体を揺らすクララを横目に、

「どうした獣! 私を殺すんではなかったのか! それが、戦う獣としての態度か? 軍人としての態度か!」

 クラウスは自身に注目を向けるよう、翼の音、グスタフの荒い息をかき消すように叫ぶ。

 叫び、少しづつグスタフの近くへと歩み寄り始めた。グスタフは未だ立つことは出来なかった。あえて立つことはしなかった。

 息を整え、血が噴き出している足を手で支えながら、グスタフは前を見る。前、クラウスでもクララでもなくただ前を見ていた。どこを見ているとも取れない、焦点は合っている、意識も保っているのにもかかわらず、何処を見ているのか、その視線の先をクラウスは悟ることは出来なかった。

「……好き勝手言いやがって人間。良いだろう。良いだろう。この程度の傷、何のことは無い。貴様の殺し方を吟味していただけだ」

 グスタフは顔を顰めながら立ち上がる。直立不動で、何かを整えるかのように、深い呼吸を一度。そして右腕をゆっくりと頭の後ろへと持っていく。蛍光の橙色を放つ魔法陣が腕輪のように手首に嵌っていた。その手がグスタフの持つ大剣の柄に触れた時、

「っ! 獣が!」

 吐き捨てながら、クラウスがグスタフから背け、身体を翻して走り出した。彼が向かった先。それは噴水である。

 彼は躊躇なく噴水のへりから勢いを付けて中央目掛けて跳び込んだ。上部水盤へと飛び乗って、獣人の銅像に手を掛けたその瞬間、どこからか窓ガラスが割れる音が響いた。彼は思い当たる節があった。酷く焦る。焦って像を登り、考える暇なく思い切り空へ身を投げ出した。

「……呆れた。貴様の原動力は何なんだ。心底呆れる。」

 グスタフがそう呟いた。視線は地面を向いている。そこにいたのは腹を抑えるクラウスであった。

「尖鋭魔法の方が良かったかもなあ。それであればアレも撃ち抜けた」

「そんな余裕、あるわけないでしょう」

 庁舎の三階、割れた窓ガラスのその先にいた一人の獣人に、グスタフは話しかけた。その後彼は何事も無かったかのように庁舎の中へと消えていく。それをクラウスはただ見ていることしか出来なかった。彼の腹には野球ボール程度の穴が一つ、ぽっかりと空いていた。上半身全体に焼けた跡が燃えた服の隙間から見え隠れして、爛れた皮膚から体液が一滴一滴と地面に滴っている。

「炎の魔法か……風があるんなら火もあるか。厄介極まりない」

「人間、貴様は目が良いようだな。わざわざ窓を閉めて、反射で見えにくくしたはずなんだが」

 彼はグスタフが大剣を抜く時、庁舎に魔法陣がポーッと浮かんでいたのが見えていた。どんなに光の反射で見えにくくともあの蛍光色の紅は、人間からしてみれば分かりやすかった。そして彼はその魔法が地面目掛けてではなく、斜め上を指していたのも、なんとなく分かった。クララが狙いの魔法だということに彼は気付いていた。

「畜生……生暖かいってどころじゃねえ。独ソ戦あの頃だったら……大歓迎だったんだけどな」

 ゆっくりと、クラウスは立ち上がる。脚は震え、意識は朦朧として焦点さえ合わない。呼吸もままならず犬のように小刻みに浅い呼吸を続けている。

「無様だなあ。無様だなあ。貴様はよっぽど痛み付けられるのが好きらしいな」

「そりゃそうだ。知人が死の淵を彷徨うことに比べりゃ……大好きだ」

「貴様の身体、良い匂いがする。この匂い、レバーか? ハツか? それとも肉そのものか。貴様の肉、内臓、脳みそ。貴様が家畜だったら食ってみたかったなあ」

「早くこいよベスティア……」

 グスタフは腰の可動域限界まで捻り、右手に携えた大剣を首の後ろに構える。その構えは隙だらけであったがクラウスが攻撃を加えることは無かった。彼は既に、準備が出来ていた。そして、グスタフは力任せに腰をひねり返しながら遠心力と共に大剣を振りぬく。

 一撃。

 大剣の斬撃とも言えぬ一撃が、彼を通り抜けた。

 悔いはない。彼らとの再会が、楽しみでしょうがない。彼は思い、事切れた。


「……遅い! 遅いぞお前ら! ……違う!我の治療などどうだっていい。早くこの亡骸を吊れ!」

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