第29話 行き着く先は
城に帰ると僕は痛む体に鞭を打ち、真っ先に大浴場に向かった。手早く体を洗い、湯船に体を沈める。
「あ~~~」
思わず声が漏れる。酷使された体に心地よい温度のお湯が染み渡る。カトレア殿下に手当された時に飲んだ薬のおかげで、肩の傷は塞がっている。
やはり、風呂は良い。体を癒すには風呂に浸かるのが一番だ。
纏も魔素感知も解き寛ぐ。
「おや、先客かい?」
入口から声が聞こえる。特徴的な話し方の主は皇だ。
「君だったか。隣失礼するよ」
体を洗った皇が僕の隣に腰を下ろす。
「聞いたよ。大変だったみたいだねえ」
皇は肩の傷を見ながら言う。
「まあね。生きてるのが不思議なくらいだよ」
おどけたように言うと、皇は目を細める。
「大変だったのは魔物の相手か、それとも、別の何かかな?」
「魔物相手だよ。別の何かって?」
僕の答えに皇は諦めたように笑う。
「まあ、君がボロを出すとは思っていないよ。ただ、ちょっと耳に入ってね。筆頭魔導士が姿を消したそうだよ。もしかしたら、今回の馬淵君の暴挙に関わっているのかもしれないねえ」
皇は一体どこからその情報を仕入れたのか。恐らく一般の兵には伏せられているだろう。
ゲイル王子か。だが、僕の事は聞いていないようだ。陰の事をゲイル王子は知らないのか?
「話は変わるけど、朝比奈君と西園寺君が酷く心配していたよ。西園寺君に至っては、森に入ろうとするのを止める騎士団員を数人吹き飛ばしていたよ。君も隅に置けないねえ」
ニヤニヤと楽しそうに話す皇。後で二人には心配させた事を謝っておこう。
僕を揶揄って満足したのか、皇は立ち上がる。
「さて、私は先に上がらせて貰うよ。君はあと五分程浸かっている事をお勧めするよ」
謎のアドバイスを残して皇は去って行った。そのアドバイス通り五分後に大浴場を出ると、同じタイミングで女湯から西園寺が出て来た。
僕を見た西園寺は一瞬安堵の表情を見せるが、直ぐに眉間にしわを寄せる。
「ん」
西園寺は近くの椅子を指差す。僕は大人しくそれに従い椅子に腰かける。西園寺は僕の前に立ち腕を組む。
「全く、貴方は魔法が使えないくせになんて無茶をするのですか。ワイバーン並みの魔物を一人で引き付けるなんて自殺行為ですよ。無事に帰って来れたのは奇跡です。確かに、4班のメンバーが無事だったのは貴方のおかげかもしれませんが、それは貴方が無茶をしていいという事ではありません。貴方は向こうに帰って私の秘書として働くという使命があるのですから、勝手に死ぬ事は許しません。今後こういう事は絶対にしないように。いいですか」
早口で捲し立て、肩で息をしながらこちらを指差す西園寺。僕が素直に頷くと、西園寺は満足そうに頷き、聖母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべ、僕の頭を抱き寄せる。
「本当に心配しました。無事で良かった」
西園寺の声は震えていた。恐らく泣いているのだろう。
僕のやった事を知ったら西園寺はどう思うだろう。そんな事を考えながら僕はただ、じっと西園寺が満足するのを待った。
十分後、解放された僕は部屋に戻ると、部屋の前に一ノ瀬が立っていた。
「やあ、ちょっと話さないかい?」
頷くと一ノ瀬は微笑み歩き出す。僕は無言で後を付いて行く。渡り廊下に出ると、一ノ瀬はその真ん中で立ち止まりこちらを振り向く。
一ノ瀬は一度目を伏せるが、意を決して顔を上げる。
「黒月君、
市ヶ谷雅。その名前を聞いた瞬間心臓が跳ねたような感覚がした。勿論覚えている。僕は彼に取り返しのつかない事をしてしまった。
「覚えてるよ」
努めて平静に答える。僕の反応に一ノ瀬は安堵の表情を浮かべる。手摺に手を付き、城下を眺めながら一ノ瀬は語る。
「雅と楓と僕は幼馴染なんだ。ずっと一緒に居た。本当に仲良しだった。けど、中学生になってから雅が少しずつ僕達を避けるようになったんだ。その理由に気付いたのは二年生になって、同じクラスになってからだった。その理由は黒月君にも分かるよね」
市ヶ谷は酷いいじめに遭っていた。それを一ノ瀬達に知られたくなくて避けていたのだろう。若しくは、巻き込みたくなかったか。
「雅がいじめられていると知った時、僕はそれを止めようと思った。でも、雅がいじめられている現場を見て、次は自分が同じ目に遭うんじゃないかって怖くなって、僕は逃げ出したんだ。雅を見捨てて」
一ノ瀬は強く唇を噛む。唇から血が垂れるが、一ノ瀬はそれに気付いていないようだ。
逃げ出した一ノ瀬を攻める事はできない。いじめの内容は口にするのも憚れる程凄惨なモノだった。それが自分に向くのを恐れるのは当然だ。
「それが普通だよ。あれを見て助けようとするのは頭がいかれている」
僕がそう言うと、一ノ瀬は乾いた笑いを響かせる。
「ははっ、それじゃあ、君は頭がいかれているんだね」
そう、僕はいかれていた。市ヶ谷がいじめられているのを見て、それを止めに入った。いじめていた生徒と市ヶ谷の間に入り、止めろ、と叫んだ。その結果。
「僕のせいでいじめは更に酷くなった。市ヶ谷君は転校して」
「次のターゲットに君が選ばれた」
僕の言葉を一ノ瀬が続ける。中学二年の二学期、市ヶ谷は転校し、僕が次のいじめのターゲットとなった。
「僕のせいで市ヶ谷は余計に苦しんだ。あの時僕は理解したよ。力の無い正義は悪であり、力のある悪は正義になる」
僕の口調の変化に一ノ瀬は一瞬驚いた表情を見せるが、直ぐに自嘲の笑みに変わる。
「そうだね。その通りだよ。あそこでは力のあるいじめっ子が正義であり、彼らの言う事が全て正しかった。それこそ、彼らが白と言えば黒も白になった。そして、それに逆らうものは全て悪だった。僕はその狂った正義に服従してしまった。僕の親友を助けようとした君を見捨ててしまった。君に恨まれても仕方ない。いや、君は僕を恨むべきだ」
一ノ瀬は懺悔するように、自らの後悔を吐露する。しかし、一ノ瀬に罪は無い。悪いのはいじめていた奴らであり、抗う力の無かった僕自身だ。
「僕は一ノ瀬を恨んだ事なんて無い。寧ろ恨まれるのは僕の方だ。一ノ瀬の親友を、市ヶ谷を余計に苦しめてしまった」
僕は当時の弱い自分を思い出し、拳を強く握る。
「君は、君達は本当に優しいね」
一ノ瀬が微笑む。君達?
「君は雅に恨まれていると思っているみたいだけど、それは違うよ」
「どうして一ノ瀬がそう言える?」
「実はこの世界に来る前、夏休みに雅に会いに行ったんだ。そこで、僕は当時の事を謝った。殴られる覚悟はしてたんだけど、雅は僕の謝罪を聞いて笑ったんだ。その時の言葉を僕は一言一句覚えてる。『陽翔が謝る事じゃ無い。陽翔は俺を助けようとしてくれただろ。あれ、すっげー嬉しかったんだ。それと、黒月。あいつ、俺と話した事も無いのに助けてくれただろ。それが本当に嬉しかった。俺、本気で自殺しようと思ってたけど、陽翔と楓が話を聞いてくれて、黒月が助けてくれたからまだ生きてる。本当にありがとう』。雅が僕に言った事だよ。君が僕を恨んでいないように、雅も君を恨んでいない。寧ろ、雅は君に感謝しているんだよ」
一ノ瀬の言葉がスッと僕の心に入り込む。僕の心に突き刺さった棘が抜け落ちた気がした。
あの時の僕は市ヶ谷を救う事ができていたのか。
僕の頬を涙が伝う。それを見て一ノ瀬が優しく微笑む。
「僕からも言わせて。雅を、僕の大切な親友を救ってくれてありがとう」
一ノ瀬は深く頭を下げる。その頭を上げると、目には涙が溜まっていた。涙を乱暴に拭うと一ノ瀬は僕との距離を一歩詰める。
「君の事、晶って呼んでもいいかな。僕の事は陽翔って呼んで欲しい」
その言葉に僕は頷く。
「分かった、陽翔」
「ありがとう、晶」
陽翔は夕日の沈む西、魔族の領域がある方を眺めながら口を開く。
「魔王を倒して向こうの世界に帰ったら、晶と雅と楓と僕の四人で遊ぼうよ。雅も晶に直接お礼を言いたいって言ってたし」
陽翔の提案に僕は頷く。
「そうだな。僕も市ヶ谷に会いたいし、そうしよう」
市ヶ谷が僕の事を恨んでいないとしても、僕のせいでいじめが酷くなったのは事実だ。その事はちゃんと謝りたい。
「決まりだね。楓も喜ぶよ……」
突然陽翔の表情が曇る。僕が怪訝に思っていると、陽翔はぶつぶつと呟く。
「待てよ、僕が晶と仲良くなったって知ったら楓怒るんじゃ……晶、今度楓と三人で話さない?」
陽翔が引き攣った笑顔で言う。陽翔も色々苦労しているようだ。僕が快諾すると、陽翔は安堵の表情を浮かべる。
「ありがとう。早速楓に伝えて来る。また後で連絡するよ」
そう言って陽翔は足早に立ち去る。そんな陽翔を見送り僕は一人渡り廊下に残る。
『随分楽しそうだな』
僕の脳裏に馬淵の声が響く。真っ黒な空間に立つ僕に馬淵達が語り掛ける。
長谷部が僕の右に立つ。
『俺達を殺しておいて、自分は青春ごっこか? 良いご身分だな』
相模が僕の左に立つ。
『お前はあいつらとは違う。その手は汚れてんだよ』
二本の角の生えた馬淵が僕の正面に立つ。
『お前はもう普通には戻れない。お前はもうこっち側の人間だ。悪に堕ちた人間が行きつく先は一つ』
『地獄だ』
三人の声が重なる。
長谷部と相模が地面に沈む。残った馬淵が口端を吊り上げる。
『じゃあな、黒月。地獄で待ってるぜ』
そう言い残して馬淵が地面に沈む。
そうだ、僕はクラスメイトを殺した。もう戻れない。陽翔達とは対等にはなれない。
それならどうする。進むだけだ。理想に向けて突き進むだけ。何を犠牲にしても。行きつく先が地獄だとしても。僕はこの世に蔓延る悪を滅ぼす。
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