第17話 護衛の意味

 時計を見ると夕食の時間だった。今夜の訓練の時にでも報告するか、と僕は食堂へと向かった。


 夕食を終えると、少し早いが僕は絵本を持って広場に向かう。昨夜のブラッド達の倍以上の時間を掛けて広場に到着すると、既にカトレア殿下、ブラッド、メモリーの三人が待っていた。


「こんばんは、黒月君」


 カトレア殿下が笑顔で挨拶する。僕は左手を胸に当て陰流の敬礼を返す。と、そこでメモリーが僕の持つ絵本に気付いた。


「あれ、それは昼間に貴方が借りていた絵本ですか?」


 カトレア殿下が思い出したように手を叩く。


「そういえば言葉は教えましたが、文字は教えていませんでしたね。訓練までもう少し時間がありますし今教えましょうか」


 そう言ってカトレア殿下は懐からペンとメモ帳を取り出す。


「いえ、文字は結城さんに教えて貰いました。それより、この本の内容をご存じですか?」


 カトレア殿下はそうですか、とつまらなさそうにペンとメモ帳をしまい絵本を受け取る。


「懐かしいですね。子供の頃お母様が読んでくれました。たしか、英雄と称えられた魔導士が故郷の村を焼き払い、幼馴染の剣士がそれを討伐する、というモノでしたか」


 僕は頷き、自分の考えを語る。


「これは、力に溺れ弱者を虐げてはいけないという教訓らしいですが、本当に魔導士は力に溺れてしまったのでしょうか」

「どういう事ですか?」


 優しい笑みを湛えていたカトレア殿下の表情が真剣な物へと変わる。


「魔導士は魔族になったのではありませんか?」


 僕の言葉にブラッドが呆れたように鼻を鳴らす。


「馬鹿かお前は。人間が魔族になる訳がないだろう」


 この反応は想像通りだ。僕は一つずつ根拠を上げていく。


「この世界の人達はそうかもしれません。魔素伝導率が低いから。ですが、この魔導士は類い稀な才能を持っていた。それは、魔素伝導率が高いという事ですよね。つまり、人より多くの魔素を取り込むという事。生物は多くの魔素を取り込むと、魔物となり凶暴性が増すんですよね。この魔導士にもそれは当てはまりませんか」


 カトレア殿下は顎に手を当て思案する。


「クラスメイトにも似たような事が起こっています」

「馬淵君に榊さんですか……」


 カトレア殿下は頷き、僕の目を真っ直ぐ見つめる。


「その仮説は有り得ない、と切り捨てるには根拠があり過ぎますね。その件は私に任せて貰えますか。一先ず黒月君は訓練に集中して下さい」


 僕が頷くと、カトレア殿下はにっこりと微笑む。


「ブラッド、メモリー、予定変更です。二週間で仕上げて下さい」

「了解」


 二人が敬礼すると、カトレア殿下は一瞬で僕の知覚範囲から消える。


「カトレア殿下に護衛っているんですか?」


 僕の問いにブラッドが溜息を吐く。


「殿下のお手を煩わせないように我々がいるのだ。それよりも、元々一か月の予定だった貴様の訓練期間が二週間になった。死ぬ気で付いて来い」


 とんでもない事を平然と言う。一か月でも無茶なのに二週間だと。


「お前の場合、腹立たしい事だが魔素のコントロールは完璧だ。だが、肉体の強度と戦闘技術はお粗末なモノだ。そこで、訓練は私との組手を行う。直接体に覚えさせるのが手っ取り早いからな」


 脳筋め、と言いたい所だが、口にすると蹴りが飛んで来そうなので堪える。


「生身の身体能力は魔素コントロールで言うとどれくらいだ?」

「10パーセント位です」


 単純計算で100パーセントの魔素コントロールに耐えられるようになれば、身体能力は十倍になるという事だ。

 人間は無意識の内にブレーキをかけ、80パーセント程しか能力を引き出せないという。100パーセントが肉体の限界だとすると、今の僕の限界は魔素コントロールでいうと12パーセントくらいか。


「ふむ。それなら30パーセントくらいまでなら大丈夫だな」

「は?」


 思わず声が漏れてしまった。何を言っているんだ、こいつは。

 僕が助けを求めるようにメモリーに視線を送るが、メモリーは諦めたように首を振る。


「では、行くぞ」

「ちょっ、待って」


 僕は後ずさりしようとして躓き後ろに倒れる。その直後、僕の頭があった場所を死神の鎌のようなブラッドの蹴りが通り過ぎる。


「何をやっているんだ。どんくさい奴だな。早く立て」


 これは本気のやつだ。限界を越えなければ本気で死ぬ。

 僕は震える足を必死に押さえつけ、意を決して立ち上がる。


 構えを取ると、ブラッドが一気に距離を詰めて来る。何とか動きは追える。纏を操作し、肉体の限界を超えた動きで何とかブラッドの拳を躱す。ブチブチと筋肉が千切れる音が聞こえた気がした。しかし、そんな事を気にしている余裕は無い。


 ブラッドの流れるような連撃を、何度も受けながらなんとか致命傷を避ける。そして、五分ともたずに崩れ落ちる。全身が燃えるような感覚を味わいながら僕は大の字に寝転ぶ。


「もう終わりか。情けないな。ほら、これを飲め」


 ブラッドが差し出したのは、今朝シュガーから渡された物と同じ怪しげな薬だ。


「すいません。体が動かなくて」


 僕がそう言うとブラッドはニヤっと口端を吊り上げる。


「ほう、それなら私が飲ませてやろう。リーダーが直々に飲ませてやるのだ。感謝するがいい」


 ブラッドが僕の胸に馬乗りになる。胸に激痛が走り顔が歪む。ブラッドはそれを嬉しそうに眺める。良い性格をしているモノだ。

 ブラッドは無理やり僕の口を開き、二錠ねじ込み水を飲ませる。気管に水が入りせき込む僕を見てブラッドは可笑しそうに笑う。こいつ狂ってやがる。


 怪しげな薬を飲むと痛みが引いていき、五分程でなんとか体を動かせる程に回復した。


「そろそろ回復しただろう。再開するぞ」


 それを見計らったようにブラッドが告げる。有無を言わせず組手を再開し、僕は再び五分ともたず崩れ落ちる。それがあと五回繰り返されその日の訓練は終了した。


「まあ、初日にしては頑張った方ではないか」


 そう言ってブラッドは動けなくなった僕を抱える。

 なんだ? ツンデレか? それよりも気になる事がある。


「メモリーはいったい何をしに来たんですか?」

「私はブラッドがやり過ぎないように監視していました」


 これはやり過ぎではないのか。

 メモリーを見ると、何故か満足そうな顔をしていた。ポケットからは本が覗いている。訓練中は気付かなかったが、メモリーは僕が死にそうな目に遭っている目の前で、読書に勤しんでいたようだ。


「そのポケットから見えている物は何ですか」

「本ですが」


 悪びれもせずメモリーは答える。


「カトレア殿下に報告しますよ」


 僕がそう言うとメモリーはにっこりと微笑むと、周囲の魔素がメモリーの元へと集まる。


「すいません、良く聞こえなかったのでもう一度言って貰えますか? あ、これは関係ないのですが、私は魔素を操作して他人の記憶を操作する事ができるんです。記憶を全て消して廃人にする事もできます。で、なんて言ったんですか?」


 流石裏の部隊、当然のように脅してくる。廃人とまでは行かなくても、今日の記憶を消すくらいは普通にやってきそうだ。


「素敵なメガネですね」


 僕の返答にメモリーは満足そうに頷く。


「ありがとうございます」

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