トランス・ジェンダー メグ
かわまる
第1話 「私を探して…」
夢の中だった。
淡く霞む光のなか、少女がいた。白いワンピースが風に揺れている。声は確かに少女のものだったが、どこか懐かしさを孕んでいた。
「恵一さん……私を、探して……お願い……」
耳に届いた瞬間、胸の奥が不思議な痛みで締め付けられる。少女の顔は、まるで霧の向こうにあるようにはっきりしない。でも——なぜだろう。会ったことがある。絶対に。そんな確信が、夢の中の僕の心を支配していた。
——バンッ!
「恵一!起きなさい!遅刻するわよ!」
枕元のドアが勢いよく開き、母の怒鳴り声が鼓膜を直撃した。
「うわっ、もう朝かよ……」
眠い目をこすりながら、俺は上体を起こす。夢の余韻がまだ肌に残っている。
(また、あの夢か……)
少女の言葉が心に焼き付いたまま離れない。何度も何度も見る、あの夢。声も姿もぼんやりしているのに、なぜか心がざわつく。
「えええっ、もうこんな時間!?ヤバい、マジで遅刻する!」
布団を蹴り飛ばし、制服を引っ掴んで部屋を飛び出す。あわてて階段を下りる足音が、まだ薄暗い廊下に響いた。
<通学路>
田舎の朝は、どこか空気が冷たく澄んでいる。木立の隙間から漏れる陽光がまだ頼りなく、登校する生徒たちの影は細く長い。
「よう!メグ! おはよう!」
澄んだ声が風を切る。
「……だから、その“メグ”って呼び方、やめてくれって言ってるだろ!」
俺は思わず足を止めて振り返る。そこには、いつもの笑顔を浮かべた親友—— 城山孝明(しろやま たかあき)、通称“コウメイ”がいた。
「いいじゃねえか。メグはメグで。俺はこの呼び方、けっこう気に入ってるんだぜ」
「気に入ってるとかじゃなくて……女みたいな名前だろ。俺は男だっつーの、ちょっとは気にしろよ……」
「ふーん、でもな、メグ。お前の名前、“恵一”には“めぐむ”って字が入ってんだろ?それに——」
孝明は一歩、俺のそばに寄ってくる。その瞳が妙に真剣で、少しだけ視線を逸らしたくなった。
「——お前、見た目もちょっと女っぽいし?」
「はあ!? 本気で言ってんの? お前、彼女いないからって……変な目で俺を見るなよ!」
「ちげーよ!ちげーって!」
声をあげて笑うコウメイの姿に、少しだけ胸の中があたたかくなった。
「でも俺、メグのこと好きだぜ。もちろん、男としてな!」
「……あったり前だろ。俺だってお前のことは好きだよ。親友としてな!」
冗談まじりのやりとりが、朝の寒さを少しだけ和らげてくれる。通い慣れた通学路の景色が、今日も穏やかに流れていった。
<昼休み・教室前>
校舎の廊下に、昼の陽射しがやわらかく差し込む。そこに、コウメイが手を振りながら駆けてきた。
「メグー!」
「声がでかいんだよ、まったく……何だよ?」
「いやさ、となりのクラスのやつが、お前のこと呼んでるぞ?」
「え?誰?」
「知らねー。まったく面識ない。でも、目が本気だったぞ?」
不穏な予感に胸がざわつく。案の定——
「……あの、僕と付き合ってください♥」
「……はあ!?」
目の前の男子生徒の顔が真っ赤になっている。俺はため息をついた。
「君で、もう5人目だよ。さすがに疲れてきたな……おーい、コウメイ!説明頼む!」
「はあ、またかよ。モテるねぇ、メグちゃん♥」
「バカ!怒るぞ……」
やれやれと肩をすくめながら、俺の“彼氏役”が説明を始める。
「君には悪いけど、この子は“女の子”じゃなくて“男の子”なんだよ」
「……え? だって……こんなに可愛いのに……」
男子生徒の視線が困惑と名残惜しさを交えて俺に向けられる。
「俺は男だっつーの!!」
怒鳴った瞬間、男子は一目散に走り去っていった。まるで化け物でも見たような顔で。
<放課後・体育館>
夕方の体育館には、ボールの弾む音が小さく反響していた。
「なんだ、人少なくない?」
「先輩たち、帰っちゃったみたいだよ」
ケンちゃん——大山賢二が、ポンと肩を叩いて言う。
「女子の卓球部が、優先的に使うことになったらしいよ。県大会が近いから、だってさ」
「男子、肩身狭っ!」
「でもさ、やらなきゃ変わんない。変えるのは俺たち次第だよ、なあ、メグ」
コウメイの瞳がまっすぐ俺を見据えていた。そういうところが、昔から好きだった。
「そうだな。やるしかない、か……」
<男子更衣室>
「うーん? メグちゃんさ……なんか、胸出てきてない?」
「はあ!? 冗談キツいぜ、ケンちゃん」
「いや、でもさ。ほら……触っていい?」
「……変な気起こすなよ」
そう言いながらも、どこか胸がざわついていた。
ケンちゃんの指先が触れた瞬間——びくりと身体が震えた。妙に、敏感だった。
「……なに、これ……」
コウメイがじっと俺の裸を見つめている。真剣なその視線に、思わずタオルで胸を隠した。
何かが、変わり始めている。
自分でも気づかないほど静かに、でも確実に。
(……私を、探して……)
あの夢の声が、心の奥でまた響いていた。
『揺れる胸と静かな火花』
体育館の隅、蛍光灯の光がまばらに届く暗がり。ほこりの匂いと、時折鳴るシューズの擦れる音が、日常の部活動風景を彩っている。
恵一はラケットをくるくると回しながら、ポツリと呟いた。
「俺たちの場所は体育館の隅っこ……女王様たちは、スポットライトの当たる中央の席か。貧富の差が激しいな」
その声は、思ったよりも大きく響いていた。
「おいおい、メグ! 珍しく声がデカいぞ!」隣でラケットを構えていた城山孝明――コウメイが、苦笑混じりに注意する。「女子の先輩たちに聞こえちゃうぞ」
「あ……忘れてた」
恵一は肩をすくめて、こそこそと首をすくめる。「静かに小さくなってやりましょう」
「じゃあ、3人でダブルスとシングルの乱打でもやるか!」
「いいね。ケンちゃん、俺たちの相手してよ」
「いいよ〜。じゃあ、コウメイとメグちゃんがペア組んで!」
軽くラケットを合わせ、コウメイが笑顔で「OK!」と返した。
やがて、リズム良く球を打ち返す音が体育館の空気を変えていく。小気味よく弾む球音。打球の度に響く床の反響。そこに静かな緊張と躍動が生まれていった。
その中央、明るい照明の下では女子部の三年生が談笑しながらこちらを見ていた。
「ねえ、純夏(すみか)。男子が練習始めたみたいよ」
奈々美(ななみ)が軽く汗を拭いながら、目線を向ける。
「あれ? さっき、みんな帰ったんじゃないの?」
ショートカットの純夏が、不思議そうに眉を寄せた。
「どうやら一年生みたいよ」
「でも……ねえ奈々美、なんか久しぶりに“いい音”聞こえない?」
「うん……確かに。男子部員って、ほとんどが未経験者よね? なのにあんな乱打の音が向こうから響いてくるなんて――記憶にないわ」
そこへ、柔らかな声が割って入る。「あの3人は河村恵一君、城山孝明君、大山賢二君ね。三人とも今年入部した一年生」
辻原広美(つじはら ひろみ)だった。彼女は静かにスポーツドリンクを飲みながらも、その耳と視線は常に情報を逃さない。
「あと1人、元木隆文君って子もいるけど、今日は欠席みたい」
「さすが会計係の広美。情報が早いわね」
「ふふ。城山君は中学時代もレギュラーだったって。河村君と大山君は、準々レギュラーってとこかしら」
「城山君のボール、音がいいわ」
純夏はラケット越しにじっとその球筋を見つめた。
「う……うーん、ちょっと。ちょっと待って」
奈々美の顔が曇る。
「どうしたの?」
「なんで女子が男子に混ざって練習してるのよ!」
「女子?」広美が眉をひそめた。
「あの城山君のペアの子……あの小柄な方。あれ、絶対女の子でしょ!」
「まさか……河村君よ?」
「そう! よく見て。足、めちゃくちゃ綺麗だし、肌も白すぎ。それに――胸、私よりあるじゃない!」
言い放つと、彼女の視線は釘付けになっていた。
「何言ってるのよ。彼は“男子”でしょ」
「ほんとに? すごーく気になる」
そのとき、純夏がくすりと笑って言った。
「そうだ。いいこと思いついた」
「何よ?」
「彼らとダブルス練習をするのよ」
「男子と? しかも一年生? やだ!」
「でもさ、コートを挟めば、もっとよく“見える”んじゃない? 彼のこと」
「……河村君の?」
「ええ。ここからじゃ遠いし、ちゃんと見極めたいでしょ?」
奈々美は少し考えてから、悪戯っぽく唇をつり上げた。
「……面白そう。やりましょう」
休憩の合間、純夏が静かに男子卓球部に歩み寄ってきた。
「ねえ、あなたたち」
「はい、なんですか? 先輩」
「良かったら、あっちでダブルスの練習付き合ってくれない?」
「練習ですか?」
コウメイは少し驚きつつも振り返る。「おい、メグ。どうする?」
「コウメイはどうなの? やりたいの?」
「いいチャンスじゃないか。俺たちの実力、見せてやろうぜ!」
「ま、そういうと思ったよ。なるようにしかならないな」
「出た! “自然の法則”!」
コウメイは笑ってうなずいた。「やりましょう。でも俺とメグは今初めてダブルス組んだばかりで……」
「いいのよ。それで十分。男性のボール、受けてみたくてね」
そして体育館の中央へ――
「お願いします。僕は城山。こっちはメグ……じゃなくて河村です」
「よろしくお願いします」
コウメイが堂々と頭を下げた。
「お手柔らかにね、城山君。河村君も」
純夏の声は柔らかだが、どこか探るような鋭さを帯びていた。
「メグ。乱打練習は、基本打ち返すだけでいい。でもダブルスのローテーション、わかるか?」
「一応。だけど、お前の動きに合わせるよ」
「よし、それでいこう!」
やがて――体育館全体がふたたび、軽快な打球音に包まれた。
「……ほんとに初めて組んだペアなの?」
奈々美の顔がひきつる。
「らしいわよ。城山君は経験者だけど、河村君は試合経験ほとんどないとか」
「でもこの乱打、私たちでも息上がるレベルよ?」
「確かに。意外とやるわね……特に――」
その時だった。
「――あっ!」
恵一がつんのめって転倒し、体育館の床に「どてん」と音が響いた。
「大丈夫か!? メグ!」
「死にゃあしないよ……膝、ちょっと擦っただけ……」
「タイム!」
広美が駆け寄ってくる。「河村君、こっちに来て」「絆創膏、あるから。足、出して」
(綺麗……ほんとに綺麗な足……)
消毒液がしゅっと吹きかけられ、丁寧に絆創膏が貼られた。
「私の名前、辻原広美。よろしくね、河村君」
「ありがとうございます、辻原先輩」
そして、再び乱打が始まる。
「見てよ、純夏! やっぱり……河村君の胸、ゆさゆさ揺れてる!」
「ほんと……ちょっとびっくり」
「近くで見ると、ほんと女の子みたい」
「肌の色……私たちより白いんじゃない?」
「体型も……女らしい……」
奈々美の瞳が鋭く細まった。
「よし。後で、確かめてやるわ」
(つづく)
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