第18話
瑠琉ちゃんの両手には、朝にアソートチョコを詰めて枕元に置いていたガラスの小物入れがある。そしてその中身は、チョコが3個しか入っていない。
さらに、瑠琉ちゃんの口の周りには僅かながらもチョコの欠片が付いている。
それよりも、家に入る前に聞こえた物音。
七子ちゃんも三夕ちゃんもそれぞれの家具から出られないのだから、瑠琉ちゃんが一人で騒いでいたということになるが……。
「ねえ、瑠琉ちゃん」
訊かずには分からないと思い、じっと目を合わせてくれるおてんば幽霊ちゃんに質問してみた。
「なに?」
「今、騒いでた?」
「騒いでない」
「家に入ろうとしたら、バタバタ聞こえたんだけど」
「椎菜の気のせいだよ」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
頑なにそう言い張るようで、質問の内容を別の部分に変えてみた。
「チョコ美味しかった?」
「食べてない」
「その手に持ってるのは何?」
「……チョコ」
「食べたんでしょ?」
別に怒る気はないのに、瑠琉ちゃんは下を向いてしまう。
靴を脱いでそっと近づくと、少しだけ顔を上げ上目遣いで私を見上げる。
私は証拠を示そうと買い物袋を床に置き、右手をそっと瑠琉ちゃんの口元へと持って行く。中指で口の周りに付いたチョコの欠片を拭い、その指を見せながら、これは?と尋ねた。
「……さっき食べたやつ」
「ほら、食べたんでしょ」
やっと認めてくれた。そう思ったのに、瑠琉ちゃんは何を思ったのか私の指をパクっと咥え、チョコが付いた部分を舐めた。
すぐに顔を離し、スタターっと部屋の中へ走って行く。
……これは証拠隠滅のつもりかな?
証拠を消したつもりだろうけれど、まだ確かなものが残っている。
私はその隠滅した証である指に付いた透明の液体を見つめてから、そのまま自分の口の中へと運んだ。
これで、今ここに瑠琉ちゃんがチョコを食べたという証拠はなくなった。
……と思いつつも、微かに甘さの感じた自分の指の味を思い出し、物音の正体よりも早く瑠琉ちゃんをギュってしたい欲が勝り、急いで買ってきたものを片付けてから部屋へ戻った。
「みんなただいま~。……?」
それぞれがどこにいるか把握する前に、室内を見渡しながら進む。
部屋の照明は付いていて、すぐに部屋の状況が目に映った。
ベッドは大きく乱れ、掛布団や単行本が床に落ちているが、そこに美少女幽霊ちゃんの姿は無い。
「七子ちゃーん?」
テーブルの上や床にはチョコの包みの銀紙が大量に散乱しているが瑠琉ちゃんの姿も無く、あとひとつしかない地縛霊の居場所であるソファへと視線を移す。
「……どういう状況?」
三人がソファにいたはいいものの、それぞれが入り乱れるよう積み重なり、テーブルの脇で佇む私のことを揃って見てくる。
「多摩川さん、助けください」
真ん中に挟まれていた七子ちゃんが苦しそうに助けを求めくるが、まず七子ちゃんがソファにいることに目を疑う。
次に一番下で仰向けになっていた三夕ちゃんが、一番上にいる瑠琉ちゃんの脚の間からひょっこりと顔を覗かせ、何も起きていないかのように平然と口を開いた。
「おかえりなさい、多摩川さん」
「……重くないの?」
「重いです。押しつぶされて死にそうです」
三夕ちゃんからも幽霊ボケを聞けたのに私はツッコミを忘れ、私を警戒するような眼差しで見てくる瑠琉ちゃんに声をかけた。
「ねえ瑠琉ちゃん、降りてあげてよ」
「やだ」
即答した生意気幽霊ちゃんの両手には、さっき持っていたガラスの小物入れがない。両手の下には三夕ちゃんと七子ちゃんの脚があり、そこにも見当たらない。
それよりも……。
「どうしてこうなってるの?」
その問いに、少し苦しそうにもがく三夕ちゃんが答えた。
「七子がいないから、私がチョコをもらったんです」
よく見ると、ソファの下に転がっていたガラスの小物入れを三夕ちゃんと七子ちゃんが手を伸ばして取ろうとしているのが分かる。
「もしかして念力でベッドから持ってきたの?」
「はい。そうしたら瑠琉が飛んできて、チョコを奪い取ろうとしてきたんです」
「それで、どうすればこうなるの?」
「七子が出てきてチョコが無いことに気付き泣きそうになっていたので、枕と一緒に七子をここまで来させました」
つまり、七子ちゃんは寝具があれば自由に移動できるということか。
これは実に興味深い。
「三夕ちゃんは七子ちゃんにチョコあげたんだよね?」
「はい。でも七子は入れ物ごと持ってベッドへ逃げたんです。そこで瑠琉と奪い合いを始めて、瑠琉が勝ってテーブルのところで独り占めしてました」
だからテーブルの周りにはゴミが散乱して……。
「私は無くなる前にと念力で瑠琉から奪い取り、ソファまで持ってきました。それでまた奪い合いが始まって、ちょうど帰って来た多摩川さんを瑠琉が入れ物を持って迎えに行き、戻って来てからまた奪い合いを再開したかんじです。……うぐ」
淡々と説明をしてくれた三夕ちゃんは、急に動き出した瑠琉ちゃんの重さで苦しそうな声を出し、瑠琉ちゃんの足をぺしぺしと叩く。
すると突然七子ちゃんが姿を消し、三夕ちゃんの上に瑠琉ちゃんが落ちた。
「ぐふ……。瑠琉も早く退けて」
「はーい。……あれ?チョコが無い」
瑠琉ちゃんは身体を起こしてソファの下を見るが、さっきまであったそれはどこにもない。なんとか起き上がって座り直した三夕ちゃんが、静かにベッドを指差す。
「あ~!七子!独り占めとか卑怯だよー!」
どの口が言ってるか分からない食い意地幽霊ちゃんが、ソファ降りてベッドへ向かおうとしたため私はすかさず腕を掴んで引き留めた。
「瑠璃ちゃん、ごはん食べないの?」
「食べる」
「その前にゴミ片付けてね」
「……はーい」
文句ありげに返事をした瑠琉ちゃんがテーブルの周りに散乱した銀紙を集めている間に、私はまっすぐベッドへ向かう。
「多摩川さんにもあげませんからね」
小物入れを抱きかかえ死守する七子ちゃんの頭を撫で、「知ってるよ」と呟き、その小物入れから1個だけ取り出して銀紙を解く。
チョコを手に取って口の前まで持って行くと、小さなお口がゆっくり開かれ、自分の指ごとその口の中へと入れた。
前と同じく、また指と一緒に噛まれる。
「たあがあはん、うい、ういえうだはい」
「……美味しい?」
「あい、おいいいえう」
今回はすぐには抜かず、冷たい口の中で溶けていくチョコの感覚を確かめてからゆっくりと引き抜く。
前回よりも多くチョコが付いた指を、迷わず自分の口へ運び処理をしつつ、そんな私を引いた顔で見てくる三夕ちゃんの元へ、もうひとつ取ったチョコを持って行く。
銀紙を解き、チョコを手に取って、少しひきつった顔で目を見開く三夕ちゃんの口へと近付ける。
「はい、三夕ちゃんもあーん」
「今、七子の口に入れてその指舐めてましたよね?」
「近くにティッシュが無かったから仕方なく」
「……変態ですよね、やっぱり」
「変態じゃないよー」
ただ、チョコを奪い合いなんて可愛すぎる戦いを繰り広げていたこの子たちに、チョコを食べさせたいと思ったから私の手がこうして勝手なことをしているんだ。
不純な思考なんか無い。
そう心の中に言い聞かせて、そっと開いた三夕ちゃんの口の中へとチョコを差し入れ、嫌みのように強く噛まれた指を反射的に引き抜いた。
指ごとのあーんは嫌々受け入れてくれたもののやはりチョコが美味しかったのか、ふわりと表情を崩し薄っすらと笑顔が窺える。そんな三夕ちゃんの頭を優しく撫でてから、テーブルを叩いて文句を言い始めた空腹幽霊ちゃんのために急いで夕食の支度を始めた。
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