第8話 正しい確率分布、怪しい確率分布

捜査一課の会議室は、今回も重苦しい沈黙に支配されていた。

ホワイトボードには、サイバー・キャッチャーの派手な広告がマグネットで留められている。

『激レア景品GETのチャンス!』という煽り文句が、空々しく響いた。


「この手の事件は、結局、立証が難しいんだよな…」


捜査一課長が、腕を組んで唸る。

運営会社は「あくまで目安。腕前には個人差がある」の一点張り。

確率を意図的に操作したという証拠がない限り、詐欺での立件は困難だった。


その時、統崎が会議室の大型モニターに自身のタブレットを接続した。

画面に映し出されたのは、なだらかな曲線を描く、一つの山の形をしたグラフだった。


「これは、運営会社が公表している確率が正しいと仮定した場合に、景品を獲得するまでのプレイ回数が従うべき『確率分布』です」


統崎の声が、静かに響く。


「景品獲得という事象を、数学的に扱えるように数値に置き換えます。これを『確率変数』と呼びます。今回は、景品が取れるか取れないか、という決まった値しか取らない『離散型確率変数』ですね」


「またお絵描きの時間か…」

熱田がぼそりと呟くと、隣に座っていた理子が小さく微笑んで補足した。


「熱田さん、これは事件の設計図みたいなものですよ。17世紀にパスカルとフェルマーが、中断された賭けの賞金をどう公平に分配するか考えたときも、こうやって考えられる全ての場合の数を書き出して、その『分布』を調べたんです」


「へえ…」

熱田は意外そうな顔で理子を見た。


統崎は話を続ける。

「公表確率がpだとすれば、k回目で初めて成功する確率は、統計学で『幾何分布』と呼ばれる特定の形に従います。このグラフがその理想の姿です」


次に統崎が映したのは、被害者たちが報告したプレイ回数から作成した、いびつな棒グラフだった。

それは、なだらかな山とは程遠い、乱雑な凹凸の連なりだった。


「そして、こちらが現実です。理想と現実が乖離しているのは明らかでしょう」


「だがよ、そりゃあ運のいい奴も悪い奴もいる。ばらつきが出るのは当たり前じゃねえか」

熱田が反論する。


「その通りです」

統崎は即座に肯定した。


「問題は、このズレが単なる偶然の『ばらつき』の範囲内なのか、あるいは意図的な何かによって生じているのか。それを判断するには、信頼できるデータが必要です。被害者の報告は、感情という名のノイズと、不均一な試行条件によって汚染されすぎています」


統崎の視線が、部屋の隅に立つ理子に向けられた。

その視線を受け、理子は静かに一歩前に出た。


「では、私が『汚染されていない標本』を採取してきましょう」


その声には、絶対の自信が満ちていた。

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