第57話 カルキュールの決意――そして

 4日が経った。


 その間、特に何をしているわけでもなく、ドスガ王の誘いで食事を共にしたり、兵の訓練に立ち会ったり、王宮の庭でのんびりしたりと、無駄な時間を過ごしていた。

 唯一の収穫と言えば、ドスガ王国軍の構成を見ることができたことだろう。

 主力は国軍6千。そして傭兵の鉄砲部隊が3千に、徴兵された新兵が4千といった構成だ。


 やはり鉄砲部隊が肝で、これをどうにかしない限り、オムカに勝利はないだろう。

 確かクルレーンとか言ったっけか。引き抜けないかなぁ。


 そんな暗鬱あんうつとした日々を過ごしていると、


「アッキー、ちょっとヤバいかも」


 オフの日の夕方だ。

 あてがわれた部屋で、ドスガ王から送られてきた手紙(まぁあんまり考えたくないが、どうみてもラブレター)を一応目を通していると、水鏡がノックもせずに入ってきた。


「なんだよ、いきなり。ヤバいって……何が?」


「今日、オムカの宰相さんがドスガ王に会ったわ」


「カルキュールが?」


 水鏡が無言でうなずく。


「いや、でもなんで急に? 何も聞いてないぞ?」


「急だったのよ。昼過ぎに、使いが来てそのまま馬車に押し込められた。わたしも一応、同行したわけだけど……」


 それから水鏡は何が起こったかを話してくれた。


 ドスガ王に会ったカルキュールは、こんこんとマリアを返還することの意義と妥当性と必要性を説いたという。

 だが返ってくるのは、


『女王は我が王室に留まりたいと言っている。今はまだその時ではあるまい』


 というドスガ王の返答だった。

 おそらく返答を引き延ばしてこちらの譲歩を引き出そうとしているのだろう。


 だが、それにカルキュールが猛反発した。

 当然と言えば当然だが、そのやり方がまずかった。理屈と正統性をつらつらと並べ立て、さらにシータ王国とビンゴ王国との武力背景をちらつかせて、なんとかマリアの返還を迫った。

 それに対しては、ドスガ王が怒りを示したが(当然だ)、マツナガがなだめたらしい。そして体調不良を名目にドスガ王との会見を終了させようとしたのだが、カルキュールはそれに対し、


孺子じゅし(子供)とは語るに及ばない。このような王を抱いては、ドスガ王国に未来はないだろう』


 とまで言い放ったらしい。


 怒り心頭のドスガ王だったが、さすがに他国の使者を発言に不適切なところがあったからといって殺すのはマズイということで、ギリギリのところで、本当にギリギリのところで王宮を追い出されたらしい。


「…………おいおい」


 ちょっと待て。

 あのおっさん、何やってんの?

 返還交渉しにきて逆切れして喧嘩売って追い出されるとか、お前が孺子(子供)か!?


 いや、本当信じらんない。

 ドスガ王の機嫌を取りながらなんとか講和の道を探していた俺の努力がパーじゃないか。


「それで、その本人は部屋か? ちょっと3時間くらい小言を言ってやらなきゃ気が済まないぞ」


「いや、帰って来てない。だからヤバいの」


「は? どういうことだよ」


「宰相さん、別の馬車を手配して乗っていっちゃったから。別れ際に『もうこの国にはいられない。あの館の世話になるつもりもない。郊外の家に一泊してから帰るからジャンヌ・ダルクによろしく頼む』的なことを言われたわ」


「なに考えてんだ、あの爺!」


 帰る?

 よろしく?


 結局いつもの丸投げじゃねぇか!


 もうこれは言ってやらなきゃ気が済まない。

 朝まで文句コースだ。


「その一泊する場所って聞いてるか?」


「いや、それは分からない。けどなんか嫌な予感がする。行かない方がいいと思うけど」


 そういうわけにはいかない。

 朝まで文句コースは半分冗談としても、交渉が不首尾に終わったのだからその後の対応を決めなくちゃいけない。


「ちょっと出かけて来る」


 水鏡の不安を宥めて、俺は外に出る。


 まずはミストだ。

 この不慣れな土地では、自分で宿を取るのも難しいだろう。だからミストを介して宿を取るに違いないと踏んだ。


 それが当たりだった。ミストの元を訪れると、2日前、カルキュールが訪ねてきて、郊外の一軒家を借りたという話を聞いた。

 地図を借りて、俺は再び馬車に乗り込む。


 夕暮れの差し迫った時間だ。

 通りに人通りは少ない。

 そこらへん、やはりオムカとは大違いだ。


 これを見てカルキュールは何も思わないのだろうか。

 いや、一時の感情で国の未来を潰そうとしている奴だ。王族ということもあって、そんな下々の暮らしなんてどうでもいいのだろう。


 怒りが何乗にも積もり積もって、爆発しそうになる。

 ええい、馬車はなんでこんな遅い! チャリは!? タクシーは!? 不便すぎるぞ!


 なんて無駄なことを考えていると、目的の一軒家にたどり着いた。

 町並みの一番端に位置する、本当に王都の外れと言った場所だ。


 すでに陽は落ちている。

 馬車は帰らせた。戻りが何時になるか分からないからだ。


 苛立たし気に玄関のドアを乱暴に叩く。

 返事があった。数秒待ってドアが開く。


「ふむ、遅かったなジャンヌ・ダルク」


 出てきたのは当然カルキュールだった。

 そのふてぶてしい顔を見ると、積もり積もった怒りが爆発しそうになる。


「あのな――」


「まぁ立ち話というわけにもいかんだろう。まずは入れ」


「…………お、おぅ」


 機先を制されたようで、少し拍子抜けした。

 てっきり追い返されると思ったからだ。


 一軒家といってもそれほど大きくない。

 王都にある俺の家より小さいかもしれない。しばらく使われていなかったからか、若干埃臭い。

 家具はほぼ何もなく、丸いテーブルを挟んで小さな椅子が3つ。

 その1つにカルキュールが座る。俺はそれに対するように反対側にどかりと座った。


「ふん、怒っておるな」


 先に口を開いたのはカルキュールだった。

 しかも至極当然のことを。


「当り前だ。あんた、何やったか分かってんのか!?」


「仕方あるまい。あの王が予想以上に阿呆でな。我慢の限界だった」


 オーバーに肩をすくめてみせるカルキュール。

 カッとなってやっちゃいました反省してます、的なアピールが更に苛立ちを増加させる。


「だからって、こっちから喧嘩売ることはないだろ! どうするんだよ、これから!」


「当然、女王様を取り返す」


「だからその芽を潰したのは――」


「いや、それをやるのだ。これから」


「はっ、これから? これからがあるってのか? 一方的に交渉を打ち切って。そんなこらえ性がない人間にそんな大層なことができますかねぇ」


 精いっぱいの皮肉を言ったつもりだった。

 いつもならあっちもカッとなって反論してくるはずだ。

 だがこの時は違った。


「それは貴様に任せる。ジャンヌ・ダルク」


「だから! 責任の丸投げっていうんだよ、そういうのは!」


「そうではない。わしにはもう、できないからな」


「なんだよ、失敗を責任に引退とでも言うのかよ。そんなの責任取りじゃない。逃げだ。そんな我がまま許されるわけねぇだろ!」


「違う。そうではない。わしが――死ぬからだ」


「は?」


 意味が分からなかった。

 どうしてその結論になるのか、頭をフル回転させても分からなかった。


「病気ではないぞ。いたって健康体だ」


「なら、なんで?」


「死ぬといっても自然死ではない。殺されるのだ」


「殺されるって誰に――っ!」


 そこまで言われて、ピースが嵌まった。


 ありえない暴言。

 ドスガ王の気性。

 この一軒家の立地。


 俺の顔色を察したのだろう。

 カルキュールが自嘲するように小さく息を吐く。


「いや、予想以上にあの王はガキだな。ガキには何を言っても無駄だ。だから交渉を切り上げた。王に対し、考えうる限りの罵詈雑言を並べてな。それだけでは不安だったから、近くにいたなんとかという男の将軍にも腰抜け呼ばわりしておいたわ。はっは! 痛快だのぅ!」


「なんで……そんな、こと」


「むろん、女王様を助け出し、オムカを救うために決まっているだろう」


 大真面目な顔で、カルキュールは言う。


 それだけ挑発したのだ。王が、あるいはプライドの高そうなあのジョーショーとかいう将軍は我慢ならないだろう。

 そこに降ってわいたカルキュールの帰国。そして迎賓館を出てこの町はずれの一軒家にいるという事実。


 いつ誰が襲ってきてもおかしくない。時間の問題だ。


「それでも、死ぬ必要はないだろ! ふざけんなよ」


「ふん、死ぬ覚悟もなくてこんな場所に来れるか」


「そういうことを聞いてるんじゃない! なんでこんな回りくどいことをするんだよ。ドスガがあんたを殺したら大問題になる。一国の宰相を、いくら交渉の場で侮辱されたからといって無抵抗のままに殺したんだ。国際的な大問題だ。しかもドスガ王にはトロン王室という前科がある。もう何を言ってもドスガに味方する者はいなくなる」


 そうなればジルもフィルフ王国も救われる。

 そしてワーンス王国、トロン王国、スーン王国、フィルフ王国の4か国でドスガを圧迫すればいい。


「分かっておるではないか。ま、少し不安だがそういうわけだ。だから後を――女王様を頼む」


「だからそれがふざけんなって言ってんだろ! そんな勝手なことして、俺に責任おっかぶせて、それで満足なのかよ!」


「おお、満足だとも。そもそも貴様のしりぬぐいなんだからな。感謝はされども、怒鳴られる筋合いはないと思うがな?」


「だからって……それでマリアが喜ぶと思ってるのかよ!」


「そこは貴様がなんとかせい」


「……だめだよ。俺は。あんなひどいことを言うやつだ。もうマリアとは……」


「これだからガキだと言っているのだ。あれはそれくらいでへこたれる玉ではないぞ。甥もとんだお転婆娘を育てたものだ。いや、育てたのは甥ではないか。まぁどちらでもいい。だからあまり気にするな。これが終わったら話してみろ。国王と軍師。仲が少し悪いくらいが丁度いい。遠慮なく言える間柄の方がな。それもあの子は分かっている。血筋のおかげで賢いからの」


 そういうものなのか。

 なんだかカルキュールにそんなことを諭されるなんて思っても見なかった。


 マリアと話す。

 そういえばここ最近、そんなことをしていなかった。言葉をぶつけるだけで、会話をしていなかった。

 帰ったら話してみようか。こんな状況にもかかわらず、ふとそんなことを思ってしまった。


 ――だからこそだ。


「そこまで分かってるなら、なおさらあんたはここで死んだらダメだ。あんたはあいつの傍にいなきゃ」


「だからそれは任せると言っただろうに。ふぅ。しかし正直、親類というだけで後見人になったようなものだ。それから解放されてせいせいするわ」


「マリアは……泣くぞ。あんたがどう思ってようと、あいつはあんたを頼りにしてた」


「ならこのまま伝えればよかろう。そうすればあの子の重荷も軽くなろう」


「そんなこと、できるかよ。国のため、マリアのため、死のうとしてるあんたを――」


「馬鹿者!」


 怒鳴られた。

 これまで数えきれないほど言い合ってきたカルキュールだが、こうして本気で怒られたのは初めてのような気がする。


「個人の感情で国家の大計を無駄にする気か! 貴様それでも軍師か! 物事を甘く考えるのもいい加減にせい!」


 個人の感情。

 マリアが悲しむということ。

 俺が嫌だということ。


 確かにそれは重要だ。

 けど、それを優先するあまりに国が滅んでは元も子もない。

 大事の前に小事に構ってはいけない。

 そう、彼は言っている。


 俺たちが一般市民だったらよかった。

 けどマリアは女王で、俺は軍師で、カルキュールは宰相だ。

 個人より国を優先すべき立場にいる人間。


「女王様の救出。その成否でオムカに住む数万の人間の将来が決まると思え。わしらはそれだけの命を背負っているのだ。感情で動いてはそのすべての命が消えるぞ。あのドスガ王のようにな」


「……でも」


「ま、逆に言えばわしの命1つで数万の人間が救われる可能性が出る。そう考えれば愉快ではないか」


 かっか、と高らかに笑って見せるカルキュール。


 その笑顔を見て、俺はもう説得する言葉を失った。


「初めてだよ。あんたの笑顔を見たの」


「ふん。貴様とは笑いあう習慣はなかったからな。さぁ、もういけ。そろそろ来るだろう」


 誰が、とは言わなかった。

 誰が、とは聞かなかった。


 だからせめて別れの言葉を口にする。


「じゃあな。マリアの戴冠式をこの目で見て自慢してやるよ」


「ふん、貴様らがどこまで行けるか、特等席で見せてもらう」


 最後まで憎まれ口か。

 いや、これでいい。俺とカルキュールとの関係性はこれで。


 小さく頷いて、玄関へ向かう。

 その背中に、


「それから――」


 カルキュールの最期の言葉。

 俺は答えられなかった。

 何も言えなかった。


 言えば、きっと泣いてしまうから。

 そんな姿を、彼に見せるわけにはいかないから。


 だから右手をひらひらと振って、そのまま外へ出た。


 陽が落ちて数時間後。

 怒声が響くと、轟音がとどろいた。火薬でも持っていたのか、押し入った兵士たちを巻き込んで倒壊。


『それから――今だから言うが、王都防衛の時にお主から受けた拳、痛くはなかったが嬉しかったぞ。貴様の本気を知れてな。だから、女王様を頼んだ』


 そして、オムカ王国宰相カルキュールは爆炎の中でその生涯を終えた。

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