第二話


 大勢の生徒たちが、校庭に集まっている。


 午後三時。

 大時計の針が、ゆっくりとそのときへと進んでいく。


 三藤みふじ先輩と、高嶺たかねが離れてまっすぐ向かい合う。

 なにを思うのか、藤峰ふじみね先生が潤んだ目でその姿を見守る。

 いよいよ、『決戦』がはじまる。



 ……はずだった。



海原うなはら君、ちょっとタイム!」

「えっ? 先生?」

「目に、砂が入った……」

 あぁ、ややこしい……。

 そうだよな、この先生が。

 潤んだ目で、僕を見つめてくるわけがない。


「三時、過ぎちゃいますけど……」

「でも、目が痛いの! コンタクトなんだよ!」

 ……いや、大人なんだから我慢してよ。

 本当はそういいたいけれど、グッとこらえよう。

 ここは、仏の心で。

 そっと役割を交代してもらえるように、提案しよう。

「無理しないでください。高尾たかお先生に、代わってもらいましょうか?」


 ……しかし、僕は。

 我が顧問が、俗物の塊だということを忘れていた。

「ちょっと! そんなのダメっ!」

 藤峰先生が、主役を奪われる恐怖からか目玉を『クワッ!』とさせて。

「ギャ〜っ!」

 無駄に叫ぶもんだから、本当にグラウンドの主役になる。

「う、海原君さぁ……」

 ま、まずい……。

 怒らせてはいけない人を、覚醒させたのか?


「……コンタクト、探して」

「へ?」

「落ちたのよ! この広い砂漠のどこかにっ!」

 あの……。

 作品設定上、日本の地方都市の私立高校ですし。

 ここ、ただの校庭ですけど……?


「砂なんだから、砂漠でしょ!」

「いえ。我が国で砂漠と呼ばれる場所は、全国で唯一東京都の伊豆大島に……」

「わたし、英語教師だし! 大体それ、受験に出るの?」

 先生が、僕の話しなんてちっとも聞いてくれないどころか。

 なんちゃって進学校的には、なかなか大胆な言葉を叫んでいる。



 続いて、都木とき先輩が。

「……海原君、大変!」

美也みや、こないでっ!」


 ……まぁ、どっちもよくとおる声ですので。

 非常によく、周囲に音が反響して。

 校庭の真ん中で、思わずふたりが固まる。


 するとどうも最近、涙もろい先輩が。

 なんだかんだと慕っている、藤峰先生に拒否されたと思ったのか。

「こ、こないでなんて……」

 あぁ……。無駄に、悲しんでしまった……。


「ねぇ、コンタクトと生徒、どっちが大切だと思うわけ?」

 藤峰先生が、まるで早く見つけない僕が悪いみたいな雰囲気でいうけれど。

 それ、むしろ僕が聞きたいですし。

 おまけに普通そこって、生徒じゃないんですか?


 仕方がないので、都木先輩に口パクで事実を告げる。

「それなら、早く見つけてよ! ひどいっ!」

 えっ、文句いわれるの……僕なんですか?



すばる君!」

「昴!」

 突然、叫び声が耳に突き刺さる。

 そういえば放送部用のインカム、つけていたの忘れていた。

玲香れいかちゃんと春香はるか先輩、どうかしました?」

「なにしてんの!」

「スケジュール押しちゃうよ!」

 普段と違って、プログラムの進行時間には厳しいふたりから、苦情が入る。


「……藤峰先生が、コンタクト落として探してます」

「あとにしようよ!」

「高尾先生に代わろうよ!」

 スケジュール命のふたりが、『正論』を叫ぶけれど。

 それがつうじたら僕、ここまで苦労してませんけどね……。


「なにしてるの! もう過ぎて・る・よ!」

 波野なみの姫妃きき、さすが演劇部だけあってこちらも時間に厳しいな。

 あれ?

 でも、『過ぎてる』って?


「……海原くん。もう、いいかしら?」

 三藤先輩の声が、入ってきて。

「『決戦』っていってもさ、わたしたちふたりのことじゃないし〜」 

 高嶺が、サラリとネタバレを披露する。


「じゃ、はじめるよ〜!」

 ワクワクした声が、校庭の反対側から聞こえて。

「よ〜い、ドン!」

 高尾先生が、予備のピストルを鳴らして。

 勝手に『決戦』を開始する。

「ちょ、ちょっとわたしのコンタクト〜!」

佳織かおりのはワンデーの使い捨てだから、再装着禁止なの。海原君連れ出して!」

「い、一回くらい平気だからぁ〜!」



 ……こうして、よくわからないうちに『決戦』がはじまった。


 どうやら、大時計はなんらかの理由で三秒前でとまっていたようで。

 開始時刻が三分過ぎたと、僕はあとで三人の先輩に怒られた。



 こうして、放送部というか、委員会としては。

 学園祭における最大の『難所』を終えたと。


 ……このときはみんな、そう考えていた。




「……ところでさ、なんの『決戦』だったっけ?」

 放送室で、パクパクとクッキーをつまみながら。

 高嶺が先ほどまでの熱戦を忘れて、サラリと聞いてくる。


「もう、由衣ゆいったら。みんなが『麻袋競争』、してたでしょ?」

 玲香ちゃんが代わりに、説明してくれるけれど。

「なんでそんなこと、きょうしたんだっけ?」

「えっと……。昴君?」

 なんだ、玲香ちゃんも興味なかったの?

「まったく……。あれだけもめたのに……」

 そういいながら、僕はふたりに説明する。


 体育祭と文化祭の、二週間前から。

 校門から続く並木道には、出店する部活やクラスの立て看板が並ぶ。

 それが、我らが『丘の上』高校の伝統らしい。

 どうやら、その立て看板の位置というのが曲者で。

 それはそのまま、文化祭当日の出店の場所となる。


 加えて、翌年の四月には。

 僕が最初に悲劇を被った『あの』部活動勧誘週間の、各部活の立ち位置になる。


 いままでは、『あみだくじ』で決めていたらしい。

 僕もそのままで、よかったのだけれど……。



「なぁ海原。そろそろ、変えないか?」

 男子バレー部キャプテン兼体育祭実行委員長の、長岡ながおかじん先輩。

 先輩には、入学以来なにかとお世話になっているのだけれど。

 本音ではその発言は……いわないで欲しかった。


「そうそう、あんまり面白くないんだよねー。あれ」

 えっと、都木美也文化祭実行委員長。

 あなたは放送部の元部長と元書記でかつ、現役の部員でありながら……。

 また余分な仕事を、増やすんですか……。


 それから、もう忘れているみたいだけれど。

 玲香ちゃんも、高嶺も変えろ変えろといい出して……。


 それを委員会で決めようとしたのが、一週間前。

 前回紹介した、大揉めの回のことだ。


 まとまらない意見に、みんなが疲れ果てて。

 まるで見計らったかのように、『とある悪魔』が僕にささやいて。

 もうそれでいいんじゃないかと。投げやりになって決めたのが。

 ……この、『麻袋競争』だ。



 念のために、その『悪魔』の解説によると。

「腰まである丈夫な麻の袋に入って、ひたすらジャンプしながら前に進むのよ!」

「それって、無駄な体力を浪費するだけじゃないの……?」

 波野先輩と、僕の意見は一致したけれど。

「ちょっと黙って。テストの点数、マイナスにするよ」

 『悪魔』が僕たちにだけ聞こえる声で、それを抹殺して。

 意外にも、文化部のメンバーが。

 これなら運動部に勝てるかもしれないと、妙な希望を抱いたところ。

 運動部のほうは、負けるわけにはいかないと。

 無駄な対抗心を、燃やしはじめた。



 ……結果、翌日からは。

 練習に励む部活が、続出して。

 『麻袋』姿の部長たちが、生徒のあいだでも話題となり。

 こうして、大勢の生徒が応援やってきてくれて。

 最後の争いまで、大盛況となった。



「要するに、わたしの手柄だね!」

 藤峰先生が、得意げな顔をしているけれど。

 僕は、知っているのだ。

 文化祭用の、ゴミ袋と麻袋を間違えて大量購入した『悪魔』。

 もとい、教師がいたことを。


「配達届いたから、お願いねー」

「仕方ないですねぇ。……ウゲッ!」

 ゴミ袋三百枚だからと、頼まれて。

 台車に乗せられた、『麻袋三百枚』の入った段ボール箱。

 知らずに持ち上げようとした、あの日の腰の痛みを。

 僕は一生、忘れないだろう。



 そんな話しを終えた頃。

 部室に都木先輩と春香先輩が、帰ってきた。


「『麻袋競争』、来年もやろうね!」

「えっ? 美也ちゃん。もう卒業しちゃってるよ?」

「あっちゃ〜、忘れてた〜」

「じゃぁ、卒業しないとか?」

「え、ええっ……」


 その瞬間、まず三藤先輩と。

 それから都木先輩と、目が合った。

「なにかしら、海原くん?」

「海原君、どうしたの?」

「い、いえなんでも……」


 ……僕はつい、想像してしまった。


 先輩たちより、先に卒業できることはない。

 でも、もし一緒に卒業できたとしたら……。



「なに考えて・る・の? 海原君?」

 そういって波野先輩が、僕を現実に引き戻す。




 ……おそらく、僕は慢心していたのだろう。

 文化祭と体育祭まであと二週間。

 


 このまま、無事にその日を迎えたい。



 そんな油断が、あったがために……。



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