第25話 犯人。

3:多喜田友佑


 17時10分、僕は力と一緒に再び勝ちゃんの家の前にいた。夏の暑さに汗をかきながら、僕らは何年も会っていない勝ちゃんのお父さんの帰宅を待つ。


 アパートの前で立ち尽くすこと20分、一向に勝ちゃんのお父さんは来なかった。そもそも退勤時間を知らないのだ。残業だってあるかもしれない。下手したら1時間以上待つことになるかもしれないのだ。


 張り込む警察官の気持ちを感じた頃だった。見覚えのある姿がこちらに近づいてきた。


 慌てて隠れようとしたが無理だった。その女性のような『彼』は自宅前でウロウロしている怪しい僕たちを見つけるとニコニコと明るい笑顔を浮かべた。


 「また来てくれたんだね、友佑クンに力」


 「……ヒナちゃ、……勝ちゃん……」


 「あはは、ヒナちゃんでもいいよー」


 ヒナちゃんこと勝ちゃんは買い物の帰りだったのかエコバッグに大量の食材を入れていた。どんなに女性に見えてもれっきとした男なのでズッシリと重そうなエコバッグも楽々持っている。


 「まだ私に用事?」


 「それは、その……」


 「勝ちゃんのお父さんって確かIT企業で働いてたよね? 動画の配信はお父さんに手伝ってもらってるの?」


 力が慌てたように話題を振る。勝ちゃんはそんな力を変わらずニコニコと笑って見つめる。その美しい人工の青い瞳はあまりに自信に満ち溢れていて、天然の宝石のようだった。


 「そうだよ。何? お父さんに用事?」


 「違うよ、その、ずっと動画ってどうやって撮ってるのかなって気になってて……ずっと家にいても暇だから勝ちゃんの話とか聞きたいなって……」


 「ふーん。お父さんならはやくても20時まで帰ってこないよ」


 「……」


 僕たちがお父さんに会いたいことはお見通しなようで勝ちゃんは笑顔を崩さないまま言った。その余裕な顔に僕は思わずため息が零れそうになり、飲み込んだ。僕がどれだけ考えても勝ちゃんからしたら大したことではないのだ。


 「せっかくだからご飯食べていく? 2人分くらいなら増やしてあげてもいいよ」


 「いや、大丈夫……。僕たち、勝ちゃんの言う通りお父さんに話聞こうとしてたんだ」


 僕は観念して正直に伝えた。つい、項垂れてしまう。そんな僕が面白かったのか勝ちゃんは『ヒナちゃん』ではない勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


 「素直でいいね! いいよ、お話聞いてあげる。力に化粧のお礼もしてなかったしね」


 「でも、」


 「宮古日奈の話でしょ? いいよ、おいで」


 勝ちゃんはそう言ってエコバッグを持っていない方の手で僕の腕を強引に引いた。さすがに勝ちゃんの力には逆らえず、僕は彼に引きずられるままアポートに向かう。力も慌てたように後ろをついてきた。


 昼間に一度訪れた家に再び上がる。勝ちゃんは『ヒナちゃん』の靴を丁寧に端に寄せると僕たちに「どうぞ」と穏やかな声で言った。


 きらびやかなリビングに上がると、「ちょっと座って待ってて」と言って勝ちゃんはキッチンに向かった。昼間に出してくれた花がらのガラスのコップに麦茶を淹れて持ってきてくれる。


 「宮古日奈は朱梨のお母さんで……日奈さんからの逆ナンでお父さんと出会ったみたい」


 僕と力にソファを譲った彼は昼間と同じように床に座った。僕らの前だと言うのに正座をするのは今『ヒナちゃん』だからだろうか。


 勝ちゃんは微笑みを絶やさずに穏やかにはにかんだまま話を続ける。僕らがどうやったら知れるだろうと思っていたことを容易く言うのだ。


 「お母さんより先に日奈さんが身籠ったんだけど最初は隠してたみたい。で、お父さんがお母さんが妊娠したから別れてほしいなんて言った時にはもうおろせなくなってた。だから、日奈さんは朱梨を産むしかなかった」


 「それって……」


 「直接聞いたの、お父さんに。いやぁ、滑稽だったよ? 実の息子に土下座までして泣きながら謝ってたんだもん。何かねー、許す許さないっていうより呆れちゃったよね!」


 あはは、と無邪気に笑うけど勝ちゃんの目は少しも笑ってはいなかった。当然、彼にとって繊細な部分なのだから、面白おかしく話せるはずがないのだ。


 それなのに僕らに話してくれるのは何故なのだろうか。


 「勝ちゃん、どうして話してくれるの? 君は、その」


 「お前らが俺をコケにしてぇんだろーが!!!」


 ドン、と鈍い音が響いた。


 『ヒナちゃん』から出たドスの効いた低い声は、僕の知る声だった。床を殴った白い手は、『ヒナちゃん』のものではなく、中学から空手部でたくさん汗をかいて鍛えてきた拳だった。


 ギロリと青い瞳が僕らを睨む。それが『ヒナちゃん』の本心なのだろう。


 「親父に聞くきだったんだろ? こんなクソみてぇな話を、わざわざ、本人に」


 「それは……」


 「ああそうだよ!! 俺は朱梨の生きる場所を奪って生まれてきたんだよ!! 母さんは不倫してるバカな親父に気付きもしねぇで喜んで俺を産んだんだってよォ!! ふざけた話だっつーの!!」


 「……」


 僕も力も、言葉が見つからなかった。


 馬鹿にする気は毛頭なかった。彼の繊細な部分だと理解していても、僕は「知ってほしいのではないか」とすら思っていた。


 でも、この怒号は僕の考えを簡単に翻した。当然のように勝ちゃんはこの話をしたくなかっただろうし、父親に聞きに来る僕らは最低な人間に見えただろう。


 「でもなァ、俺は本気でこの顔を気に入ってんだ……見てる奴を騙してんのに悪い気が一切しねぇ。何をやらかしてもこの顔ならいいって思える。称賛されれば『俺』の手柄だし、アンチが湧けば『ヒナ』のせいにできるからなァ」


 「……」


 ヒナちゃんの顔をする理由まで丁寧に話し、勝ちゃんは僕に出した麦茶を一気に飲み干した。乱暴にガラスのコップをテーブルに叩きつけると鈍い音とともにガラスにヒビが入った。


 「後は? 親父に何聞こうとしてたんだよ? 言えよ、全部」


 「それはその……」


 日奈さんと会ってますか? とか、そんなこと勝ちゃんに聞けない。


 それでも僕は邪な思いを抱いていて、このまま家で時間を食えばお父さんが帰って来るのではないかと思っていた。それまでどうにか話を繋げないといけないのだが、何を聞いても勝ちゃんを不機嫌にさせるだけだとわかっているからどうしたものかと頭を抱える。


 一方の力は勝ちゃんが怒鳴ったのが怖かったのか目をぐるぐるとしていた。勝ちゃんが罵声や怒号を飛ばすなんてよくあることだが、自分に向けられたことがないのだ。それに、勝ちゃんの心境を考えれば泣きたくなるのもわかる。


 でも、最初に吹っかけてきたのは勝ちゃんだ。


 彼がヒナちゃんの姿で僕を喫茶ひだまりに誘わなければこんな風に調べることなんかなかったんだ。


 僕はまだ、勝ちゃんが僕らに何かを訴えていることを疑ってはいない。


 怒鳴られただけで怖気づくわけにはいかない。


 「……」


 長い沈黙が続く。苛立った勝ちゃんが「チッ」と舌打ちをしたときだった。無機質な着信音が勝ちゃんからする。


 勝ちゃんはポケットからスマホを取り出すと、一度目を丸くした。そして眉間にシワを寄せてスマホを耳に当てた。


 「はい、都筑です。……はい……え? あ、はい……そうですか……わかりました……いえ、大丈夫です。はい……はい、わかりました」


 落ち着いた声で対応すると、スマホのボタンを押し「はぁー」と長い溜息をついた。そしてウイッグの上からワシワシと頭を乱暴にかく。


 「朗報だ」


 「朗報?」


 「親父が逮捕された。連続殺人犯だ」


 「え……」


 思わず、間抜けな声が漏れる。勝ちゃんのお父さんが、一連の事件の犯人?


 僕が呆けた顔を浮かべていたのが面白かったのか、勝ちゃんは無邪気に嬉しそうな笑顔を浮かべた。あまりに可愛くて輝かしい笑顔に、僕は『ヒナちゃん』が眩しくて目を細める。


 「お父さんが、犯人だったみたい」


 『ヒナちゃん』は心底嬉しそうに、はずんだ声で繰り返した。

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