夜寄る百話
コテット
第1話『トンネルの鈴音』
俺がこの話を知ったのは、2021年の秋口、宮崎北部の山間にある村を取材していた時だった。
当時、地方紙で働いていた俺は、農業特集の取材で何軒かの農家を回っていた。その帰り道、古いトンネルに差しかかった。
ナビに出てこないルートだったが、農家のじいさんが「早く帰りたいなら、あの道が近いぞ」と教えてくれた道だ。
「夜に通るもんじゃねぇがな」と言い添えて。
トンネルの名は「鈴ヶ坂(すずがさか)隧道」。
地元の人間の間では、“鈴鳴り”と呼ばれているらしい。
中は暗く、ひび割れたコンクリの壁がライトに浮かび上がるたびに、どこか人の顔のような模様が見える。
エンジン音が反響し、やけに車内が静かに感じられるほど、外の音は吸い込まれていた。
進んで十秒ほど、耳の奥で――チリン、と、微かに音がした。
はじめは車体のどこかが鳴ったのかと思った。
だが、その音はもう一度鳴った。今度は明確に。
チリン――
しかも、後部座席のすぐ横から。
俺は後部を確認するためにミラーを覗いた。
そこには誰もいなかった。俺一人のはずだ。
けれど、ルームミラーの奥に、一瞬だけ――白い“何か”が揺れた気がした。
気のせいだ。
そう思ってアクセルを踏んだ、その瞬間。
チリン、チリン、チリン――
今度ははっきりと、鈴の音が連続で響いた。
背中に冷たいものが走る。
ミラーを見る勇気が出なかった。
すると、ラジオが勝手にONになった。
ノイズ混じりの中で、ぼそぼそと声が聞こえる。
「……た……だいま」
「……いっしょに……かえろ……」
「……ひろって……」
声は途切れ、またノイズが混じる。
俺は震える手でハザードを点け、車をトンネルの外へと走らせた。
トンネルを抜けてしばらくして、無事に大通りへと出た時、ようやく息を吐いた。
けれどふと気づく。
ルームミラーに、“濡れた鈴”がひとつ、吊るされていた。
もちろん、そんなもの、さっきまでついていなかった。
慌てて車を停め、後部座席を確認するも、何もない。
ただ、座席の中央に、濡れた小さな手形がひとつ、残っていた。
この体験を誰かに話す気はなかった。
だが、翌日、新聞の地方版を見て、凍りついた。
「鈴ヶ坂トンネル近くで、2週間前に小学4年生の女児が行方不明。現在も捜索中」
記事には、父親と最後に一緒にいたこと、事故ではなく“ふと姿を消した”ことが書かれていた。
写真の女の子の首には、小さな鈴が下げられていた。
俺は、あの晩、ひとりだっただろうか?
それとも――彼女が、何かを求めて、俺の車に乗ってきたのだろうか?
以来、俺は夜のトンネルでは絶対に窓を開けない。
そして鈴の音がしたら、決して振り返らないと決めている。
なぜって?
――一度、拾ってしまったら、次もまた“誰か”が乗ってくる気がしてならないからだ。
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あとがき
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
『夜寄る百話』は、ひとつひとつの話がささやかな怪異でも、積み重なることで、あなたの中に“何か”が残るように――
そう願って綴っています。
この世界のどこかにあるかもしれない、知らない誰かの記憶。
あるいは、もう思い出せない“自分の過去”。
そして、まだ言葉にされていないだけの“あなたの物語”。
もし、この話のどこかに「なにか」を感じていただけたなら――
ぜひ、★いいねやフォロー、レビューやコメントなどで教えてください。
あなたの声が、“次の話”を呼び寄せます。
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