第2話 俺、もう死んでるの?

「ここって・・・古本屋ですけどお」

 お姉さんは困惑顔のハの字眉毛で俺を見た

「いえ、そうじゃなくって。住所と言うか、土地の名前と言うか・・・」

 俺の意図が分かったのか、お姉さんは大きく頷いた。

「新潟県上越市斗島区神入だけど・・・」

 お姉さんは俺の顔をじっと覗き込んだ。お姉さんは身長百七十センチの俺よりも頭一つ背が高く、俺に目線の合わせようと前かがみになったせいか、カットソーの胸元から胸の谷間が覗いている。

 住所はいつもの本屋と同じ住所だ。間違いない。

 でも、街並みは俺の歩き慣れたそれとは全く違う。

「あ、ひょっとしてこっち側に迷い込んだの? 」

「迷い込んだって、どう言う事、です? 」

 俺はしどろもどろになりながらも、さり気なく目線の先に全神経を集中した。

「たまにいるのよねえ。店に入るなり、驚いた表情で辺りを見回すと、すぐに店から飛び出すお客さんが。何だろうと思ってすぐに店の外に出てみるんだけど、忽然といなくなるんだよねえ。そっち方面に詳しい知り合いに聞いたら、異世界から迷い込んだんだろうって言ってたけど、あなたもそう? 」

 徐に腕を組み、眼を伏せながらしたり顔で語るお姉さんの言葉を、俺は呆然と立ち竦んだまま聞いていた。

 信じられない。

 余りにも非現実的過ぎる。

 まるでこれじゃ、ラノベにありがちな異世界転生的な展開じゃない かよ。

 え、ちょっと待て。てことは、だよ。

 ひょっとして、俺、死んだの?

 其れでこっちに転生?

 そんな訳ないよな。古本屋のドアを開けるまでは、いつもの世界だった。

 変ったのは、店内に入ってから。

 いや、分からんぞ。ドアを開けた途端にガス爆発か何か起きて――。

「君、大丈夫? 顔が真っ青だよ」

 お姉さんが心配そうに俺に声を掛けてくれた。

「大丈夫――じゃないです。俺、どうすれば元の世界に帰れるんでしょうか」

 声が震えていた。恥ずかしい位に。不思議な事に、あれだけうっとおしかった両親や二つ上の姉、疎遠だったはずのクラスメートの顔が走馬灯のように脳裏を巡る。

「本屋の外に出てたらどお? 今までのパターンだとそれでいなくなってたけど」

「さっき出たけど駄目でした。外は見知らぬ商店街でした」

「もう一回やってみたら? 」

「みます! 」

 俺は勢いよく入り口のドアを開いた。

 駄目だ。

 さっきと同じ、下町の商店街っぽい店が軒を連ねている風景に変わりはない。

「駄目でした」

「そっかあ」

 今にも泣きそうな声の俺を、お姉さんは深刻な表情で見つめた。

「店長! 休憩入りますねっ! あ、なんかあったんすか? 」

 店の奥から甲高い女性の声が響く。

 見ると、茶髪でツインテールの若い女性がこっちを怪訝そうに見ている。

 歳は俺よりもちょい上位か。ガングロまでは行かないが、日に焼けた肌がアクティヴな雰囲気を醸している。

 彼女、お姉さんのこと、店長って言ってたけど――そうなんだ。すげえ。

「この子、迷い人みたい」

 お姉さんは困惑顔でツインテールネキに答えた。

「へええ、久し振りっすね」

 ツインテールネキは、ずかずかと近付いて来ると、猫のような大きな眼で俺の顔を食い入る様に見つめた。

「君、高校生? 」

 ツインテールネキが俺に話し掛けて来る。

「はい、高二です」

「でも、見た事が無い制服よね」

「高陵学苑です」

 と、俺は答えた。

「コウリョウ? 聞いたことないな・・・間違いなく別の世界から来たって感じ。ここにはどうやってきたの? 」

「行きつけの古本屋のドアを開けたらここでした」

「マジか・・・」

 そう呟くと、ツインテールネキはエプロンのポケットからボールペンと手帳を取り出し、さらさらとメモり始めた。

「あ、ごめんね。私さあ、大学で空間力学先行してるから、興味があって。んで、君の向こうでの住まいは? 」

「上越市城東区長司です」

「え、こっちにもあるよ。その住所――あ、ごめん。余り長引くとまずいよね。そこのドア開けたら帰れるはずだから、ありがとね! 」

「それが・・・」

 俺は眼を潤ませながらツインテールネキを見つめた。

「帰れなくなっちゃったのよ」

 言葉を詰まらせた俺に代わり、お姉さんがそう言葉を紡いだ。

 現実なのだ。

 夢であって欲しい。

 夢であってくれ。

 明晰夢であってくれ。

 どうか神様、私を目覚めさせてください。

 俺は心の底から八百万の神々にお願いした。

 そして、太腿をぎゅっとつねってみる。

 痛い。

 でも。

 何も変わらない。

 心配そうに俺を見つめるお姉さんとツインテールネキの姿は、いつまで立っても消えない。普段から信心深い訳じゃない俺の声は、天までは届かない様だ。

「ただいまあ」

 背後から中年男性らしき声が聞こえる。振り向くと、おっとりした顔立ちの黒縁眼鏡を掛けたスーツ姿の男性と、彼の腰程くらいしかない背丈の、今時珍しい事に紅い着物を着た少女が一人。そして彼女を挟んでロングヘア―のセーラー服姿の少女が並んで店に入って来た。真ん中の少女は二人に手を繋いで貰い、ご機嫌の笑顔を浮かべている。

「お帰りなさい。三人揃ってどうしたの? 」

「いや、偶然そこで買い物帰りの母さんと美湖にばったり会ってさ」

 男性が照れ笑いを浮かべながら、着物姿の少女に微笑み掛けた。

 微笑ましい光景――ちょっと待て。

 買い物袋を提げているのは、セーラー服女子やないかい。

 どうみてもJK。

 これって犯罪だろ!?

 それに、店長さんとの関係は?

 さっきの会話じゃ家族のようだし。

 JKが店長さんを生んだのか?

 それとも、あのオヤジがバツイチで、店長さんが連れ子で再婚相手がJKで着物少女がその子供?

 見た感じ、そんながつがつした感じはしないんだけど、見掛けと実体は実際分からんものだし。

 でも、どうも腑に落ちない。

 あの着物の少女、どう見ても十歳位だし。どっちかってえと、童女だし。じゃあ、JKは何歳であの娘を生んだんだ?

 めっちゃ犯罪の匂いがするやん。

 俺は自分の置かれている境遇をすっかり忘れて、彼女達の禁忌な家族構成に全ての関心を根こそぎ奪い取られていた。

「あ、お客さん? 」

 おっとりオヤジが微笑みながら俺を見た。

「先生、この子、迷い人なんです」

 ツインテールネキがそう答える。

 先生って――この男、教師なのか? ひょっとして、教え子に手を出しちゃったパターン?

 ますます疑惑の念が俺の脳内で膨れ上がる。

「え、本当なの? 」

「それも、帰れなくなっちゃったみたいで」

「これはレアケースだな」

 おっとりオヤジは眼鏡の奥の眼をきらきら輝かせながら、嬉しそうに俺を凝視した。

「ごめんなさい。この人、私のお父さん。大学で空間物理学の教授をやってて、主に異世界転移現象の研究をしているのよ」

「へええ・・・」

 としか言えなかった。でもこれではっきり分かった。店長さんは、やはりこの男の娘なのだ。

「申し訳ないですが、私に話を聞かせていただけないでしょうか。この世界にどうやって迷い込んだのか」

 男は俺に真剣な眼差しで尋ねて来た。

 俺は、店長さんに話した内容をもう一度彼に詳しく説明した。異世界転移現象の専門家なら、元の世界に戻る方法を知っているかもしれない――そう期待しての事だっだ。

「俺、元の世界に戻れるんでしょうか」

 俺は恐る恐る男に尋ねた。

 不安に押しつぶされそうだった。彼の答え次第で、俺は俺でなくなるような気がした。

「何とも言えないです。君のケースは極めてレアなのですよ。何故かうちの店のドアが、時折異世界に繋がる事は昔から有ったんですが・・・戻れなくなったってのは、私が知る限り初めてなのです」

 男は申し訳なさそうにそう答えると、重い吐息をついた。

「帰れないんだ・・・」

 俺は視界がぼやけるのを感じていた。

 涙だった。必死我慢していたのだけど、男のその一言に、俺の涙腺は崩壊していた。

 と、同時に。

 こんな緊急事態にもかかわらず、お腹がぐううっとなった。

「これから晩御飯作るから、一緒に食べましょう。今後の事は落ち着いてから考えましょうよ。今日のメニューはカレーだよ」

 童女はそう言いながら俺の顔を見上げた。

 何て優しい子なんだろう・・・でも、この子が作るの?

「一緒に食べよ! お母さんの作るカレー、とっても美味しいんだから」

 セーラー服の少女が、眼を細めながら俺にそう語った。

「え、お母さん? 」

 お母さんって・・・この童女が?

 じゃあ、この男と童女が夫婦?

 完璧にあかんやつやん。

 大体、コンロとかシンクに手が届かんだろ。

 いや、そう言う事じゃなくて。

「お母さん、座敷童だから。見た目は子供だけど本当は大人だから」

 呆けたモアイ像と化した俺を見た店長さんが苦笑を浮かべる。

「座敷童? 」

 ますます分からんくなって来た。

「そうよ。でもね」

 不意に、童女の身体が大きく伸長した。顔が大人び、真っ平だった胸にはたわわな双子の果実が実り、腰回りは丸みを帯びて、すらりと伸びた白くて長い脚が俺の目の前に露になる。

「夜、寝る時はこんな感じ♡」

 妖艶姉身を浮かべるその表情は、童女の面影からは程遠い、色気たっぷりの大人の魅力を湛えた超美魔女だった。しかも、お子様サイズの着物では隠し切れずに、キャラクター柄のパンティーが丸見えになっている。

「お母さん、パンツ丸見えっ! 」

 俺の目線に気付いたのか、女子校生の娘が慌てて買い物袋で元童女の下腹部を隠した。

 すると、空気の抜けた風船のように元童女の身体は急速に収縮し、元の童女の姿に戻った。

「恥ずいお! 今日お子様パンツ履いてた! 」

 童女が顔を赤らめた。

 恥ずかしがるの、そこじゃないんだと思うんだけど。

 てより、何? この現象。

「驚かせてしまったね。彼女は座敷童だから」

 店長さんの父親が申し訳なさそうに硬直したままの、俺に声を掛けた。

「ひょっとして、君の世界には妖はいないの? 」

 ツインテールネキが不思議そうに俺の顔を覗き込む。

「いるような、いないような――です」

 俺は回答に困った。

 SNSのオカルト界隈では、UMAとかこの世のならざるものの目撃談とか熱く語られているものの、その真偽は正直のところ不明瞭だ。

「座敷童は? 」

「いるとは言われています。某旅館に出るとか」

「鬼は? 」

「伝説はあるんですが・・・」 

「そっかあ・・・でも、こっちの世界じゃいるんだよね」

 ツインテールネキがほくそ笑んだ。

「いるって? 鬼が? 」

「そ」

 不意に、ツインテールネキの口が大きく左右に裂け、発達した犬歯がにゅっと顔を覗かせる。

 吊り上がった目尻。

 銀色の輝きを湛える瞳。

 ツインテールの根元からにょきっと天を突き上げる二本の白い角。

「こんな感じのがね」

 鬼ネキは口元を大きく吊り上げ、笑みを浮かべた。

 俺は――。

 


 

 

 

 


 


 



 





 


 



 

 

 

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