第12話 通信の余白

部屋の照度が落ちると同時に、端末の起動音が低く響いた。

夜間モード。静音設定。だが、内心のざわめきは抑えられなかった。


タカトはひとつ深呼吸をしてから、通信履歴を呼び出す。

──ミナ。


あの映像を見てから、数日が経っていた。

制度成立以前の記録。都市の崩壊、群衆の暴走、命が取引されるように失われていく過去。

制度が抑え込んだ“混乱の記憶”。


しかし、それでもなお。


「……もっと、よくできるかもしれないって思うのは、傲慢なんだろうか」


タカトは呟いた。誰にでもなく、自分自身に向けて。


画面が応答を示す。数秒の後、ミナの姿が現れた。


「こんばんは、タカトさん」


その声は、以前よりも少し柔らかかった。


「……相談に乗ってくれないか。いや、確認したいだけなんだ」


ミナは頷いた。


「どうぞ」


タカトは少し言葉を選びながら口を開いた。


「柚李と……話すことにした。まだ迷いはある。でも……あの映像を見てから、俺の中に残ったものがある。それを……彼女にも共有したいと思ってる」


ミナの目がわずかに細められた。


「それは、“強要”にならないでしょうか?」


「うん、わかってる。俺が感じたことを、そのまま感じてほしいなんて、思ってない。ただ……」


「“それでも、同じ場所に立っていてほしい”と?」


「……そうだな」


タカトは息を吐いた。


「柚李は、制度の中でまっすぐに生きてきた。俺よりもずっと、強く、正しく。けれど、だからこそ──制度の“正しさ”からほんの少しはみ出すことが、きっと怖いんだと思う」


「その“はみ出し”が、あなたにとっては希望の証拠?」


「かもな」


ミナは静かに言った。


「“対等であること”を望むなら……彼女の選択を待てますか?たとえ、それが沈黙であっても」


タカトは短く頷いた。


「……もちろん」


「では、私はこれ以上は言いません。タカトさんの“問い”が、どこまで届くか──私も、見届けたい」


通信はそこで終わった。


タカトは立ち上がった。

明日、柚李に会う。

“何をすべきか”ではなく、“何を問うか”を伝えに行くのだ。



Zone B-4、市民アクセスガーデン。制度が設計した共有空間の一つで、適応スコアに応じた入場優先権が付与される。

この時間帯は、日勤帯を終えた模範市民層が中心だ。


だが、柚李はベンチの一角で、一人静かに座っていた。

彼女の端末には、タカトからの連絡が届いていた。


「……話がしたいんだ。あの時の続きじゃなくて、“今”のこととして」


柚李は端末を閉じた。すでに心は決まっていた。


──選ばれるのではなく、選ぶ。


それが、彼女が自分に課した問いだった。


しばらくして、足音が近づいてきた。


タカトが姿を見せた。


彼は立ち止まり、柚李の隣にそっと腰を下ろす。

互いに目を合わせないまま、しばし風の音だけが流れた。


「……来てくれて、ありがとう」


「こちらこそ。あの日、しっかりと話してくれて、うれしかった」


柚李は笑った。けれど、その笑みは何かを押しとどめているようでもあった。


「……私は、ずっと制度の“正しさ”に守られてきた。学校も、仕事も、生活も。決められたことの中で誠実に生きれば、報われる世界だった。そう信じてた」


「……でも?」


「でも、タカトと話してから、思ったの。

制度が守っているのは、“正しい人”のことじゃない。

“正しさを信じられない人”は、その外に置かれる。

──加藤さんも、そうだったんだよね」


彼の肩がわずかに揺れた。


「映像、見せてもらったの。ミナから」


「……!」


「知らなかった。制度が成立する前に、あんな世界があったなんて。あれを見たら、誰だって今の制度に感謝すると思う。……でも、同時に感じたの」


柚李は視線を上げ、タカトをまっすぐ見た。


「“その先”を、制度は見ていない。安定の中に留まり続けることで、もう一度未来を失おうとしているんじゃないかって」


「……俺も、そう思った」


タカトの声は低かったが、確信を帯びていた。


「俺は、制度を否定したいわけじゃない。

ただ、“もっとよくできるかもしれない”って、思ってる。

加藤さんが声を上げたこと、ミナが記録を続けてること。

それら全部が、“次の問い”なんじゃないかって」


柚李は、ゆっくりと頷いた。


「私も、彼女のようにはなれない。

でも、“そばで考える”ことなら、できるかもしれない。

タカトが、何を選ぼうとしているのか──それを、私も見届けたい」


その言葉に、タカトは目を伏せた。

そして、数秒後に静かに呟いた。


「ありがとう。……今、それが一番うれしい」


沈黙が訪れた。けれど、それは不安でも躊躇でもなく、共有の呼吸だった。


「ねえ、タカト」


「ん?」


「私たち、何を“すべき”かじゃなくて──“何を問いたいか”を、一緒に探していこう。

制度の中で生きることをやめるんじゃなくて、“考える余白”を残すことが、私たちにできることじゃないかって、今は思ってる」


タカトは笑った。


「……まったく、頼もしいな。模範市民は」


「それ、褒めてないでしょ?」


「いや、最大限に褒めてる」


二人は、互いに顔を見合わせて、少しだけ笑った。


──こうして、選択は始まった。


制度に従うように見えて、実は従っていない。

感情に動かされたように見えて、実は論理に基づいている。

そのどちらでもない、“問いを抱えた対等な関係”として。


選び取った沈黙の先で、ようやく二人は、同じ地平に立った。


そこには、制度にも霧にも決められない、問いの余白が広がっていた。

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