第36話「幕間」
儂はそう大したヤツではない。
どのくらいあり触れておるかと問われれば、こうして菓子をつまみながら寝っ転がるくらい普通のヤツじゃった。
夜よりも深い黒の世界。常人は踏み入れることもできない領域で、儂はひねもす安閑と暇を潰していた。これも表に出ると差し障りのある以上、仕方のないことよ。
生まれ落ちて幾星霜、重ねた命は幾つかの宇宙を経て悪神と蔑まれるまでに堕ちた。それは自然な流れの中での成り行きというもので、運命というには大袈裟なもの。
結果として何個か
それにこのご時世に力だ格だと喚いたとて無意味じゃ。どう言葉を弄したところで、所詮は引かれ者の小唄じゃろ。
にも関わらず、あの小僧、
頭の痛くなる話じゃ。苦いのが舌にまで広がってしもうた。口直しにサブレをひと齧り。さくりと歯を立てる。うむ、うまい。バターの甘さが出ておる。
悪に染まるまでお涙頂戴の背景があったり、壮大な
いやいや、そんなもんあるわけなかろう。生きていくのに必死なガキが、善だの悪だのと選ぶ暇もなかったわ。大抵の指針が狂っておったし、考えるだけの暇もなかった。
「ま、そもそも頭を使うのは儂の役目でないからのー。悩むだけ無駄じゃろうて」
寝返りを打つ。悪戯程度の、文字通りの戯れならばともかく、世をひっくり返さんと謀議するようなのは知らん知らん。儂の領分ではないわ。
事実、こうして暇を余しても
そも、この歳になって何がしたいという欲もさしてあるわけでもなし。新しい趣味と言うてもなぁ……本も劇ももうたくさんじゃし……。
儂が次の暇つぶしを探していると、不意に階段をのぼる音が耳朶に触れた。
「なんじゃ。もういいのかお前」
姿を見せたのは
この間は小僧にしてやられたみたいじゃからな。暫し安静にと寝かしつけてあった。
快復は喜ばしいが、かと言って起き上がるのも億劫で目だけ動かす。……こいつはまた
憂いなど知らぬルナは、その薄汚い装いに反して澄んだ水色の髪を揺らし儂を見下ろす。
「
こう生意気な口を叩かれると、なんだか懐かしい心地になる
「アレのことなら学園に行ったぞ。ま、そう言ってやるな。お前とは
「皆無。わたし達より薄いから、使い方も何もない」
むぅ、とりつく島もない喃。まぁそれも事実といえばそれまでじゃしな。……はて、なぜ儂がそうまでしてヤツの肩を持たねばならんのだろう。
「薄いのはそうさな、詮方ないことじゃよ。それも開戦がもうちぃとばかり遅ければやりようはあったろうが……」
言ってるうちに、なぜ儂がヤツを庇わねばならんのかと不思議な気になり、最後のほうの言葉は闇に吸われていった。
うん、柄でないな。このような庇い立ては。形を失った言葉がため息となって吐き出された。
「不要。玄野影徒はわたしが終わらせる」
そう言ってルナは来た道を戻ろうとする。
……まさか、とは思うが。もしやその足で学園に行くつもりではあるまいな?
いや! 足取りに迷いがないぞ!? 正気か!?
「待て待て待て待て……! 貴様どこへ行くつもりじゃ!」
ここでルナが出ていけば、
計画では学園に《七曜》を送り込み、その混乱に乗じて敵情を探ることとなっている。
ここでルナまで攻めに行ってしまうと、さしもの英略といえども綻びがでるじゃろう。
ここは何としても儂が止めねばならん! この些細な狂いが、後々の大誤算へ繋がりかねん。
「ハァ……。そうさなぁ。あっ──いやしかし、お前な。そのボロ切れの服を何とかしろ。横になってると見たくもないのが目に入るぞ」
どう引き留めたものかと言いあぐねていたが、ちょうどよいのを見つけた。
ちらりちらりと視界の端で見え隠れする肌色。儂もよそ様をとやかく言えるほどキチンとした格好ではないが、人並みの羞恥は備わっておる。
……目の前のこやつはそうでないらしいが。
「疑問。人の従う慣例、法は
「かー! これだから嫌じゃな、元から神域にあるヤツは。恥じらいもへったくれもない」
あまりに惚けた答えに、思わず身を起こしてあぐらの格好になる。
神話の神々ですらもっと人くさいというのに、それをこの小娘ときたら。言うにことかいて『知ったことない』じゃと? あぁまったく納得いかんとも。いくものかよ。
「よいか? 女たる者そう適当ではいかん。人前では着崩すのもまずい。常に正装でいろとは言わんが、外へ出ても問題ない服装を──」
「面倒。太白は形式にこだわりすぎ」
そう言ってフイと顔を逸らされる。
これはまた機嫌が悪い喃……。
「玄野を取られるのがそんなに面白くないか? そう不機嫌になるのなら、とっとと寝首でもかけばよかったろうに」
視線がこちらへ戻ってきたが、目つきは刀のような冷たさと鋭さを持っていた。
矛先がこちらへ向くのはやぶさかでない。ここらで一つ宥めてやれば今回は引き下がるじゃろ。
「まぁ案ずるな。今回アレは負けんよ。その程度のタマじゃあるまい。だから安心して寝とけ」
「──承諾。どうせ、あんなのじゃ玄野影徒を殺せやしない」
……なんとかなったようじゃな。
ルナはキツく口を結び、不倶戴天の敵である少年に思いを馳せる。
その切なさが溢れそうな、張り詰めたルナの横顔に儂は──なんじゃ。その、まぁ案外この偏執という精神は恋に似るのじゃなと、そう思った。
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