第25話「陽炎稲妻水の月」

 その場に残された自分は、空に浮かぶ魔性の月を見つめていた。


 いや、その言い方は正確ではない。

 ただ視線を置いていただけにすぎない。単にクロノエイトの戦いぶりが目視できないから、何となくそちらに目を向けていただけ。

 破滅に向かっていようと、もはやこの世の道行などどうでもよかった。


 自分には関係がないことだ。


 元より自分は、異常者彼女らと並び立つような傑物ではなかった。それだけの話だ。


「本当に壊そうとしているのか」


 幾筋もの輝く枝木がその大穴を塞がんばかりに絡みつく。陽炎揺らめくは灼熱の巨樹きょじゅ

 あれはシャルの《弊悪なる倒戈枝レーヴァテイン》。


──駄目だ。炎で焼き尽くすには火力が足りない。そんな半端な熱を加えたところで、蒸発し再び水へと巡るだけだ。


 続くのは十重とえ二十重はたえに走る光線。その光を一つの鏡へと束ね、レンズのように集約し放つ極大の閃耀せんよう

 こちらはエクレールの《十絶之伍・金光陣ジングァンジェン》による最大の攻撃だ。


──無意味だ。あの水の構成は河海かかいに似る。それ故に雷を流そうが、すぐに水中に拡散してしまう。そもそも電撃による熱量程度ではどうにも出来ない。


 あれだけ見得を切って行ったのに、何も秘策はなかったらしい。


「馬鹿だ。シャルも、エクレールも……」


 何が破壊する、だ。出来もしないことを言うな。勝手に期待させておいて、蓋を開ければざまぁない。


『マージでさ、素直じゃないよね』


 そんなささやきが耳朶じだに触れる。


「……ヴェルデか」


 笑いに来たのか?

 そう口にしそうになり、かろうじて堪える。どうせ風に音を乗せた一方通行だ。会話は出来まい。


『きっと馬鹿にしてんの? 的なこと言ってると思うけど残念ながら一方的な──まぁ、ウチなりのエールってヤツ?』


 声援エールだと? 自分にか?


「……ハ。一匹狼に気を遣わせるとは、自分も堕ちたものだな」


 慰められるほど落ちぶれたか。力量差に打ちひしがれた自分の姿は、それほどに哀れだったか。

 


『エクレールの煽りが本心じゃないのはわかってるよね? 人付き合い苦手なウチにもわかるから、シアンもわかってると思うけど』


 無論だ。本気で言っていないことくらいわかっている。平生へいぜいの調子を取り戻させようとした、エクレールなりの一喝であることも承知しているとも。

 それで立ち上がれるほどの力すら、失ってしまっていただけで。


『シャルちゃんがさ、何て言ってたか覚えてる? "先に行って"って言ってたんだよ』


 言っていたな。確かにそんな風な口の利き方だった。まるで『アンタなら来るでしょ?』と言いたげな、勝手な決めつけだ。


『まだシアンは負けてないじゃん。出来ることがないなら、何をしたいかで生きた方が楽だよ?』


 何をしたいか、だと? 言うに事欠いて、手前勝手で動いてみろとでも言いたいのか。


『シアンは賢すぎなんだよ。もっとシンプルに理屈抜きで考えたらいーのに。勘定抜きで動くのって馬鹿だけど、ウチは何より正しいと思うな』


 続く言葉はなかった。ヴェルデは自分がこれで立ち直ると信じているんだ。


 自分が成したいこと、曲げられないこと? そんなもの決まっているだろう。


 守りたい。自分よりも強いあの班員達を。そんな強者達すらどうすることも出来ない脅威から。

 おかしな理屈だ。己よりも強い存在をどうやって守ると言うんだ。弱いのなら誰も責めない、大人しく守られていればいい。


 ……性分、なのだろうな。


 いくら負けを重ねようがシャルトップに挑み続け、好かない相手だろうがつい助けてしまう。なんだ、振り返ってみれば元から自分は賢く生きれやしてなかったじゃないか。

 あぁいいさ。どうせ御破算になるのなら、やってやろうじゃないか。

 一つ、馬鹿になってやろう。


「──《水禍の弥終ナウィ・アトル》」


 まったく、呆れ果てる。馬鹿者ばかりだ。


 地を割り、姿を現した海龍王かいりゅうおう。その背に乗り、天に輝く甕へと向かう。

 危険もいとわず、重たい雲へ突入した。


 独立独歩を突き進むあの猪が、この局面で自分が必要だと頼っていた?


 人望も厚い実力者が、憎まれ口を叩いてでも調子を戻してやろうとしていた?


 あの孤影こえい蕭然しょうぜんとしていた傑物けつぶつが、わざわざ自分に声援こえだすけを送ってきた?


 あぁそうだ。そんな言葉に乗せられた自分が、馬鹿である。さんざっぱら煽られて励まされて、ようやく決断した大馬鹿者だ。


「随分と……くびられたものだなァ!」


 散々好き勝手言ってくれおってからに。そうも言われてしまったら、立ち上がるしかあるまい。


 分厚い雲海を抜け、晴れやかな青天。

 雲を超え、今こそ更なる高みへと挑もう。

 蒼く輝く月を睨む。天の甕たる滅亡の月は、憎たらしいほどに澄んでいた。

 奇しくも今の自分の心境に似ているとは、何たる皮肉か。諧謔かいぎゃく趣味はないが、ある種のアイロニーを感じずにはいられない。


「何よ、ずいぶん遅かったじゃない」


 シャルが待ち侘びていたような声をあげる。またこの短時間で随分と疲弊したものだ。

 それだけ全力で生きているのだろう。それが、この女の強さだったのか。今頃になってずっと敵わなかった理由を知った。


「……あんたは、来るヤツだってわかってたわよ。ちょっと──ほんのちょっっっとだけ、言いすぎたかと思ったけど」


──エクレール。貴様にもいずれお礼参りをしなければならないな。


「当然だ。自分は騎士だぞ」


 Aランク? 規格外? 魔力を超越した能力者? 人類を破壊する天のかめ


 それがどうした。


 先ほどまでよ自分はどうかしていた。

 そんなもの、そんな他人が宛てがった物差しなぞ知るか。どんな栄辱えいじょくを受けようが、持っている力は変わらないだろうが。


 三人で月に相対す。とうに半月を超え、望月もちづきへ至るほどに神水しんすいが溜まっている。


「で、どうしたらいいの? アタシ達じゃとても壊せなかったわよ?」

「ぶっちゃけ、時間もないわよ。もうすぐ青いのが溜まり切る」


 下でも思ったが、本当に無策だったのか。思わず笑みがこぼれてしまう。想定以上の馬鹿者達だ、こんなの苦笑するほかないだろう。


「まったくって救いようがないな。破壊などしようとするから面倒なのだ」


 抑え、鎮める。神は崇め、納める物。

 立ち向かうのではなく、受け入れる。

 神とは元来、そういった類の存在モノだ。


「打倒ではなく、行うべきは掌握だ。──あれは自分がやる。貴様らは後を頼むぞ」


 放言ほうげんし、天の甕へ一歩踏み出す。

 もう自分に恐れはなかった。

 その大穴に踏み入ると同時、荒れ狂う潮流が襲い掛かる。

 怯まず、水に溶け込んだ幾千幾億を超える魔力の流れを、その一つずつを握っていく。

 そして押し寄せる魔力の波に対し、こちらからも自分の魔力を編んだ《水禍の弥終》を流し込んで中和させる。

 その糸屑でもいい。その流れが掴めれば、こちらのものだ。

 手前の細い糸から、辿っていく感覚。甕よりも更に奥、その神格へと手を伸ばす。


 彼方かなた此方こなたの魔力が交わる。似た色をした、青の奔潮ほんちょう。互いにぶつかり合う。


 果たして押し負けたのは自分の波だった。打ち消せなかった魔力が指先から伝い、腕をズタズタにする。


「ちょっ──! シアンッ! あんた早く離れなさい!」


 制止するエクレール。その声はどこか遠い。

 これは当然のことだ。魔力が鉢合わせたのだから。あちらの波が高ければ、自分は呑まれ、その余波がこちらにも襲いかかる。

 だが、止めるわけがないだろう。


「この程度の、この程度の神など……!」


 歯を食いしばる。

 どこかの歯が欠け、舌の上に転がった。そんなものにかかずらっていられるか。

 寄せる波を負傷と共に受け入れる。そして、まで来た波を

 神と繋がったままの波はどうすることも出来ない。だが、一度切り離してしまえば。大元から糸切りしてしまいさえすれば、何のことはない。ただの魔力入りの水だ。

 それを少しずつ、自分のにする。あぁ、やすい。なんて呆気ないのだろうか。ただ、この一番の愚か者が身を切る程度で、自分の内にことが出来るなんて。


 肉体が傷つくに比例し、自分の力が増大していくのがわかる。流した血に代わり、魔力に満ちた神水しんすいが流入している。


 全てを呑み込まんとする高波が頽瀾たいらんとなり迫りくる。

 これが最後の足掻きだろう。


 気づけば笑っていた。自分は、今全力で生きている。力を余さず出し切ることが、こんなにも爽快だと思わなかった。


「──ハッ! 苦し紛れがそんなさざなみとはなァ! ──この程度、造作もないわッ!」


 魔力、体力、精神力──今自分の持てる力の全てを解放し、迎え撃つ。

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