第23話「襲撃-③」


「……嘘だろ?」

「だから言ったじゃないの。あいつはアホほど強いわよって」


 呆れが宙返りするほどに呆れ返ったという様のエクレール。ヴェルデは只者ではないと思っていたが、こんなの目にするまでわからないだろう。

 規格ランク外の。これほどまでとは。大蛇を相手取ってのこの暴れぶりには、学年トップのフラムすらかすんでしまう。

 いや、それも当然か。もし同じ枠内に収めたなら、ヴェルデに軍配が上がるのだから。


「残念。ククルカン、やられちゃったね」


 玉を転がすような声。カラカラと骨の乾いた音。──ルナだ。やはり健在だったようだ。骨で飾られたスカートを揺らしながら現れる。

 エクレール光速の一撃をモロに受けて五体満足とか、どんな化け物だよ。


 そしてその口ぶりに反し、まったく惜しそうではない。それこそルナがあの大蛇神よりも強いことの証左だった。


憑彩衣ストラ、元々わたしは使う気なかったんだよね。せっかくだし、あげるよこれ」


 そう言うなり、ルナの憑彩衣が解け、その下に着ていただろう黒のボロ布が現れた。


「《天弓柵む貴婦人イシュチェル》」


 ルナが呟くと同時、空が黒く塗り潰される。


──違う、これは穴だ。ぽっかりと空いた大穴。


 空の色が変わったのではない。これは空を穿うがった風穴だ。理屈はわからないが、黒々と俺達の真上で大口を開けていた。

 その奥に、底知れない"何か"を感じる。俺には魔力マギアというものが感知できないが、神に近しい力は朧気ながら察知できる。

 要するに、ロクデナシの気配だ。


「まずいぞ! アレは魔力そのものだ!」


 不意にシアンが叫ぶ。その声音はかなり狼狽ろうばいしていた。


「……ルナが操ってない分、この方がマシなんじゃないのか?」

「馬鹿者! 手綱もなく暴れ回る力のどこがマシだ! 災害そのものだぞ!」


 もう一度、空を仰ぐ。大穴の右側から、まるで月が満ちるよう青に染まっていく。

 あれが完全に青一色になった時、何かが起きるだろうことは想像に難くない。その前にルナを打倒し、何とかあれを抑えなくてはならない。

 さながら、ルナを倒すまでの時計代わりか。


「また、よそ見。わたしのこと、舐めてるのかな? 玄野くろの影徒えいと


 だから、なぜ俺の名前を──。再び湧いたその疑念は、直後襲いかかる更なる驚愕によって頭の外へと押しやられた。


洪水滔天大水は天を満たし鯀窃帝之息壤以堙洪水王土を以ちて覆い隠し不待帝命帝の命にまつろわぬ


 これは祝詞のりと。それも名を奪われた、神威しんい簒奪さんだつされた神への祈り。

──前世で見知った、本来の在り方を歪められた悪神共の名乗りだ。


「我こそは息壌そくじょうを掠奪し、塞ぎ、覆う悪なる銀鱗ぎんりんに連なる者……」


 ルナは朗々ろうろうと謳う。神懸かりでもするように、その身にとがを降ろさんと告白を続ける。

 相手からは目も外さず、後ろの三人へ告げる。


「三人共離れてろ。無理だと思ったら逃げろ」

「馬鹿な! 貴様一人で戦う気か!?」


 シアンは叫ぶ。彼女はわかっているんだろう、どれだけ絶望的な状況なのかを。

 ……いや、フラムやエクレールも口を開かないあたり、術師達は自明なのか。


「守るって言ったからな、こいつは俺がやる。──まぁ、あの穴もやれる範囲でやってみる」


 シアンが後ろでまだ何か喚いていたが、もういよいよ相手をする暇がなくなった。


「【サンカーラ】──四罪残滓しざい讙兜かんとう


 神気しんきが暴風となって叩きつける。呼吸さえ止まってしまう風。凍てつくほどの怖気おぞけに自分の肌が粟立っているのがわかる。

 風が、晴れる。ルナのその様異さまことなる姿が明らかになる。

 頬の辺り、腹回りには鮫肌のような楯鱗じゅんりんが浮かぶ。その背に一対、両の前腕からそれぞれ翅翼しよくが生えていた。


「成る程な、そりゃ俺のこと知ってるわけだ」


 その魚類とも鳥類ともつかない体を見て確信する。こいつは、俺が前世で倒した悪神の一柱だ。

 たしかクェンだったか、讙朱ホァンズゥだったか。或いは


 どうも前の環の記憶は薄れていっているようだ。遠い昔のことだ。どこか曖昧としていて、細かいところまで判別つかない。


 ただ、最近のことはよく覚えている。たしかアズスゥはこう言っていた。

──強くなりすぎると環主かんしゅになりかねないから【神号】は使うな、と。

 なら、いいよな。

 ルナが先走り、勝手に【神号】なんて物を持ち出してきたんだ。俺が約束を破ったわけでも、まして促したわけでもない。

 だから、これはお前との約束を反故ほごにしたわけじゃないよな?


 使


 目の前に【行】まで開いているヤツがいるんだ。むしろ対抗する為にも抜くべきだろう。


 口は自然と、誦文ずもんを紡いでいた。


是以伊邪那岐大神詔是を以て伊耶那岐大神の詔りたまひしく吾者到於伊那志許米志許米岐穢國而在祁理吾はいなしこめしこめき穢き国に到りてありけり


 格好はつかない。なんせ、これはただの自白だ。何も取り返せずに逃げ帰ってきてはみっともなく悪態づいて、泥を吐くだけの情けない男。

 なんだ、俺にピッタリじゃないか。あの結末はこの予言めいた呪いのせいなのか? それとも、そんな俺だからこの神に合致したのか?


 今となってはわからない。何もかも戻せない。


故吾者爲御身之禊而故、吾は御身の禊せむとのりたまひて到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐原而竺紫日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして禊祓也禊祓たまひき


 言葉を吐き出すと共に、純化されていく。俺が俺に戻っていく。それにつれ、ルナの吹き荒ぶ神威も気にならなくなる。


「【サンカーラ神世七代とはしらのかみ伊邪那岐神いざなぎのかみ


 御生みあれ。玄野影徒は、今ここに一柱の陽神として顕現した。

 荒々しさはない。他を圧倒する覇気もない。

 周りからすれば、先ほどまでの方がよほど戦士らしかっただろうな。


 そう自嘲気味に笑っていたら、首が飛んだ。

 狩り取ったのは猛禽もうきん類の持つような、鋭い爪。

 もう少し落ち着けよ。俺が【神号】を解いたばかりだろうに。


──世界へ《逆流》を実行、のちに《緩流かんりゅう》へ移行。加えて自己への《急流》を実行。


 段階が上がった《時流操作》は今までと違う。

 前段階の【サムジャナ】で可能だったのは、あくまで時間全体を緩やかにしたり、程度の物だ。

 【行】は個別の時間を御する。一つ一つに流れる時間を加速/減速させ、戻すことができる。


 先ほどは目視すら出来なかったルナの一撃が、目で捉えられる。

 反応出来なかった一撃に対して、回避どころか十拳剣とつかのけんを呼び出し、防御をも容易に可能とする速さ。


 平たく言ってしまうと、これが進化した《時流操作》の為せる技だ。


 爪と刃。先ほどの鉤爪とは違い、猛鳥もうちょう蹴爪けづめだ。それにも関わらず、鋼と打ち合えるのは神力しんりきの為だろう。


「まぁもっと見えるもんかと思っていたが、流石に早いな」

「厄介、その状態だとやり合えない」


 ルナは爪による奇襲が失敗したと見るや否や羽ばたき、後方へ飛び去る。


「おい、逃げんなよ。つれないな」


 いちいち飛び回られても面倒だ。まずは、その機動力羽根から奪うか。

 もう数秒前にルナが退避し終えた空間に対し、渾身の力で剣を振るう。


──讙兜への《逆流》を実行、十拳剣への《急流》を累積実行。


 ルナは。そこに目掛けて、加速した十拳剣が振り下ろされる。


「不快! やっぱりその力気持ち悪いよ!」


 ルナは悪態を吐きながらも身を捩り、転がるようにして剣を躱す。

 地面スレスレの低空飛行、這う這うの体で再び剣の間合いから遠ざかる。

 あの羽根、やっぱり空中ではかなり自由が効くらしいな。四枚ある内の一つ二つは落とさないと、素直に接近戦もさせてくれない。

 つーか、よく躱したな。結構な初見殺しなんだがな。《逆流》と《急流》の組み合わせって。

 ……あぁ、こいつは初見じゃないんだったか?


 再び距離を取ったルナは一つ羽ばたき、高く舞い上がる。


「実験。いいことを思いついた。なら、どうする?」


 ルナは弾丸のようにその翼をすぼめ、急降下。回転を加えて、錐揉みになりながら特攻を仕掛けてきた。


 応戦しようと剣を構えるが、迫るルナにかち合うその刹那。剣が逸らされる。

──風か。水だけでなく、風を操るのか。通りで速いわけだ。


 これがルナのか。確かにこれは致命的なタイミングだ。だが──


「悪いな、俺のは別に速度を弄ってるワケじゃない。だから合わせられるんだよ」


── 讙兜へ《緩流》を累積実行、玄野影徒に《急流》を実行。


 あらぬ方を向いて間に合わないはずの剣は、あっさりとルナの突進を防いだ。

 剣の腹で撫でるように横に滑らせる。一発の弾丸として勢いづいていたルナは、明後日の方向へ突き抜けていく。


 俺が歪めているのは速度ではなく、時間だ。今のやり取りも厳密には加減速と異なり、到達するまでの時間を変えている。


 尺度が違う為、やろうと思えば速度の極致であるエクレールの光速だって斬り落とせる。


「本当、不愉快。戦い辛いっ!」


 不意を突く突貫を防がれ、怒り心頭らしい。ルナはその不満感をさらけ出す。

 裂帛れっぱくの気合いをあげるなり風の刃、水の槍と共にルナの凶手が迫る。


──風水ふうすいに対し《逆流》を実行。讙兜へ《緩流》を累積実行。


 風はほどけ、水は返る。

 魔力とかいう得体の知れない物ならともかく、嫌というほど見てきた【神号】由来の力なら、その"時"にも触れられる。


 阻む物のなくなったルナへ再び斬撃。

 剣を止め、ギリギリと力を込めるルナの爪。……何とか加速抜きの膂力りょりょくでは勝ってるみたいだな。


「へぇ。逃げるのは辞めたのか? 馬鹿正直に突っ込んできてるけど」

悪辣あくらつ。どうせ逃げても戻されるなら、退かない方がマシ」


 それを捨て台詞に、ルナは大きく飛び上がる。逃げ切れないとわかっている以上、これは助走のような物だろう。


 ルナの背中越しに、空に浮かぶ大穴を睨む。


 ……"アレ"にも《逆流》が出来たら、一件落着なんだがな。


 既に大穴は、既に青の三日月を映していた。

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