第20話「課外学習-③」

 結構な量の燻製肉と塩漬けの肉。見たことはあるが名前のピンと来ないハーブが少々。加えてニンジン、カブ、ジャガイモがたくさん。キャベツのような葉物はあまり見えなかったが、玉ねぎはいくらかあった。どちらかと言えば保存が効く根菜は豊富なようだ。

 バター、小麦粉はあった。思ったより豊富だ。まぁ魔力マギアとかいうトンデモ要素があるし、俺の居た世界のが進んでると思うのも自惚れか。

 そして謎の壺。それらは素焼きの陶器で、ゴロゴロと幾つも並べられていた。


「油は……この匂い、オリーブオイルか? こっちは赤ワイン?」


 蓋を少しズラせば特徴的な酸味が鼻についた。酒自体の良し悪しはわからんが、赤ならば使い勝手はいいイメージがある。


「しかし、仮にも学生の来る場所に酒って、教師陣はいったい何を考えてるんだ?」


 学校の管理する施設に酒。現代──前世の感覚ではあり得ないことだ。教師が飲むのはおろか、もし生徒が舐めでもしたら懲戒免職どころではないだろう。


「アンタはワイン飲まないの?」


 振り向くと、いつの間にか手隙てすきになったらしいフラムがそこにいた。

 そう、調理スキルゼロ赤・青・黄・緑の連中にはそれぞれ指示を出しておいた。

 シアンは水汲み、ヴェルデとエクレールはピクニックの目的に沿って狩猟、フラムは確か──火起こしか。

 視界の端で『山火事未満ボヤ以上』の炎が揺らめいている気はするが、きっと関係ない。これを気にしたら負けな気がする。


「いや飲まないってか、飲めないだろ。大人にならないと」


 もっとも、俺は大人になってもロクに飲めやしなかったが。一口飲んでは苦いと顔をしかめ、いつもすいにお子ちゃま扱いされる程度に下戸だった。


「フゥン、アタシは結構飲んでたけど。それこそ"赤ワインロッソ"とかね」


 カミングアウトに面喰らうが、何かの本で昔はワインが水代わりに常飲されていたとか読んだ覚えがある。

 その本では飲酒が何歳からという記述はなかったが、まぁ日本でいう甘酒のような度数の低い物なら問題ないのかもしれない。


「名は体を表す、というヤツだな。まったく飲んだくれとは貴様らしい。顔まで赤くするなよ?」


 水汲み──もとい水の生成を終えたシアンがそんなことを言いながら合流する。


「ハァ? そんなこと言ったら、アンタはすぐ青くなるわよね。お酒くらいはアタシより強くあって欲しいわ」


 ……なぜ直ぐにバチってしまうんだ。水と油ならぬ水と火だから沸騰してしまうのか?


「あんま喧嘩してると、メシ抜きにするぞ」


「──アンタ、そんなにアタシを飢え死にさせたいの?」

「貴様……。我が働きに対して報酬を払わんつもりか?」


 オカン作戦失敗。しかも共通の敵が生まれたからと結束することもなく、三つ巴になる最悪のパターンだ。


 もはや祈るしかない。頼む、誰でもいい。流れを変えてくれ。誰でもいい──


「何? また喧嘩してんのあんたら。ほんと仲良いわね」


 チキンレース後の中学生は来ず、姿を現したのはエクレールだった。ヴェルデを伴い戻ってきていたが、その手には獲物どころか山菜すらない。


「どうした? 何も見つからなかったか?」


「いや問題発覚的な? そも、ウチら何が食用か知らねーんだわ」


 こいつら何しに行ったんだよ……。そりゃ手ぶらにもなるだろうが。


 頭痛が痛い。そう表現して誤ってないほど問題が併発している。フラムとシアンの言い争い。そこに巻き込まれつつある俺。なんでか知らないけど堂々としてるエクレール。手ぶらで帰ってきたヴェルデ。火事になりつつある火柱……。


 あぁ許容量キャパオーバーだ。もういっそのこと他所の班にこっそり入れてもらおうか。


 小さくなった背を彼女らに向けたところで、声がかかった。


「んで、どーしよっか? 採集リベンジ行っとく? 諦めてもうご飯作っちゃう?」


 誰もがピタリと口論を止めた。ゆっくり振り返ると、こちらに視線が集まっている。

 ぼうぼうパチパチと燃える音だけ鳴っていた。


「…………シアン。消火と、あとの指示を頼む」

「貴様! 面倒になって自分に押し付けようとしてないか!?」


 シアンはそう言いつつも、抗議の片手間に消火活動は行ってくれた。ギリギリではあるが、木々に燃え移る前でよかった。


 さて、どうやって委任するぶん投げるか。

 シアンはチョロい。とりあえず褒めればやってくれるんじゃないか?


「……まぁ、ほら。アレだ。新参の俺が仕切ってたけど、大事な調理のとこはにお願いしたいんだって」


──アンタは仕切れてないのよね……。

──残念ながら君は仕切れてねーんだわ。

──あんた、これで仕切れてたつもりなの?


 三者三様の視線が痛い。その上、含有してる意図が全て同じなのが痛ましい。唯一の救いは、そんな視線がではなかったことか。


「フッ……。まぁな! こんな班をまとめられるのは、風紀委員である自分くらいだろうしな!」


 その目には最早ピクニック班長としての使命感しか映っていない。


「ヴェルデとエクレールは狩猟だ。草の見分けがつかんのならば、そこらの獣くらい持ってこい。大急ぎでな!」

「ん。りょす。適当に持ってくる」

「はいはい、またあんな鬱蒼うっそうとしたとこ分け入ってけってことね」


 急かされたこともあり、二人は早足で森へと駆けていった。流石、学園ステークス一着の女と『石黄せきおう咆雷ほうらい』。機動力重視で選出したメンバーなのかもしれない。


「フラムは火加減。……さっき起こしたような火事はいらんからな。字の如く加減しろ」

「何分も掛けるなんて時間の無駄じゃないの? サッと焼けばいいじゃない」


 流石は『1500Wで一分なら、15000Wで六秒ね!』と言いそうな女子ナンバーワン。起きたまま寝言を吐く。


「決してやるなよ? ……これはフリではないからな? クロノは調理、自分はそれを補助する」


 そこまで念押しされると現代人的には『お約束の前フリ』に見えてしまうが、この世界にその文化がないことを祈ろう。


「それで、献立はどうするのだ?」

「そうだな……煮物なんかはそこまで難しくもないだろう。赤ワインで煮込みとかでいいか?」


 時間はかかるが、そこまでややこしい工程にはならない。生食してマズい物だけ選り分けて、先に炒めてから鍋に放ればに食える出来になるだろう。アルコールも火にかけていればある程度は飛ぶはずだ。


「自分は構わないぞ。切るのは任せるがいい!」


 カブとニンジン、ジャガイモは大きめに。玉ねぎだけ細かく微塵切りにするように言いつけた。

 昔ねだられてビーフシチューを作った経験を活かせば、そのくらいにはなるだろう。極論言ってしまえば、肉と野菜を炒めてからバターと赤ワインを加えて煮込めばそれっぽくはなる。


 よし、やるか。両手で自らの頬を張り、気合を入れ直す。俺がやらねば、どうにもならん。


 まず、鉄のフライパンに壺からすくったオリーブオイルをひく。最小まで抑えてもらった弱火で温めつつ、燻製肉を並べる。

 元より調理されている燻製、あまり火は入れ過ぎない方が柔らかいだろう。その間に鍋の準備へ取り掛かる。


「フラム、鍋は火力抑えてくれ。フライパンの方は強めて欲しい。難しいなら鍋の方を一旦止めてもらっても構わない」

「フフン、舐めないでよ。そのくらいの火加減なんてヨユーよ、ヨユー」


 ……うん、よくやってくれてる。

 バターを溶かし、少量の小麦粉を入れて手早く混ぜる。多過ぎてもダマになってしまうからな。

 そうしている間に温まっただろう燻製肉を別の皿に移す。次はこちらの火力のあがったフライパンで塩漬けの肉を炒めていく。


「野菜は切れたか?」

「ぐすっ、無論だ。まだまだ行くぞっ。見よ、この木っ端微塵ぶりを! うぅ……!」


 最早ペーストと化した元・玉ねぎがあった。泣きながら包丁でまな板を虐待してる様は、料理というより猟奇寄りだ。


「……ありがとな。遠慮なく使わせてもらうわ。ただ、カブとかニンジンはここまでするなよ?」


 玉ねぎを肉に和え、満遍なく加熱していく。粉微塵に刻んでいたお陰か、すぐに飴色になった。

 肉は表面さえ焼ければいい。煮込んでいる内に中までしっかり火は通るから。

 仕込んでいた鍋に、先ほどの『塩漬け肉の玉ねぎ和え』を加える。バターと小麦粉の混ぜ物を、肉に纏わせるようにしながらワインと香草を加える。

 肉の焼ける匂いは確かに食欲をそそる。だが、ワインとハーブ、これだけで一気に料理の匂いになる。


 おっと、ベーコンと野菜を忘れていた。

 別皿のベーコンを入れ、シアンがぶつ切りにしてくれていたニンジン、カブも鍋に投入する。


「ジャガイモはまだ入れないの? 全部まとめて入れちゃえばいいのに」

「うむ。正直、玉ねぎだけをこうまで切り刻んだ理屈もわからん」


 不思議そうな声。というか、フラムは片手間で火を調節できるほど上達したのか。天才肌は何をやらせても習得が早いな。


「ニンジンはともかく、芋は煮崩れするからな。逆に玉ねぎは先に馴染ませておくと、肉が柔らかくなる」


 ほぉ〜と、感嘆とため息の間を頂戴した。

 正直、俺もどこまで効果があるかわからんが。ジャガイモが煮えやすいのはわかるが、玉ねぎに関してはプラセボ効果めいてる。


「このまま煮詰めて、塩加減を整えたら完成だ。塩漬け肉だから、余計な気もするけど」


「あら? あの二人が追加で何か持ってきたらどうするの?」

「鍋が仕上がるまで時間あるし、軽い調理くらいなら出来る。つまみながら完成を待てばいいさ」


 わけのわからん獣を獲ってこない限りは大丈夫だ。熊みたいなのを持ってこられると、流石に臭み取りだとかがわからない。燻製にするのがいいんだろうか?


「しかし、遅い。あの二人ならそろそろ帰って来る頃合いだが──」


 シアンの言葉は音によって遮れた。


 地球が叫んだと錯覚するほど、巨大な何かの。悲鳴にも思える絶叫に、山も地も震えている。

 鼓膜の痺れも残るまま、俺たちは示し合わせたように同じ方角を向いた。


 空中に、それは居た。


 それは遠目であっても疑うべくもない神秘の威容。その背に生えた一対の大ぶりな胸鰭むなびれ。鱗のある蛇体に似つかわしくないを、まるで翼のようにはためかせている。

 驚くべきはその巨体。夜ならば月を一呑みしても何ら不思議ではない。こうして凝視する今でさえ遠近感が狂うほどだ。

 。そこに居るのが当たり前であるかのように、その鎌首をもたげている。とてもじゃないが、尾なんて見える気がしない。


 大蛇という言葉では語り尽くせぬ神々しさ。その羽ばたき一つで木々を薙ぎ倒す、強大な蛇神。

──あぁ畜生、俺はこの感覚を前環前世でよく知っている。水底に沈んでいくような、息が詰まる感覚。高位の神格が持つ特有の神気だ。


「あれ、お前の仕業じゃないよな?」

「本気で言ってるんだとしたら、とんだ買い被りだな。──自分があれを使えたなら、校内戦テレティであいつなんぞに遅れを取らん」


 シアンも──いや、龍の性質を同じくする海龍王かいりゅうおうを司る彼女だからわかるんだろう。

 あの規模の魔力マギアは軽々に実行できるものではない。相応の手順と準備を踏んでいるか、Aランク術師と比較しても埒外の手腕。最悪な場合、そのどちらでもある可能性もある。


「人数、足りないね?」


 鈴の鳴るような幼い声。この場にそぐわない音色に、俺達は身構える。


 どこからともなく、一人の少女が姿を現した。


 地面につきそうなほど長く伸ばした水色の髪。

 水玉模様のあしらわれた淡い青色のフレアスリーブ。骨が取り付けられ、立体に浮かび上がったアーガイル柄のプリーツスカート。

 およそ森に入る出で立ちではない。これは魔力の結晶である憑彩衣ストラだ。そのくらいはわかる。


 わからないのは、彼我の戦力差がどれだけ突き放されているのかということだけだ。


 逃げることは可能か、現在ここに居ない二人はどうするか。

 俺のそんな疑問も知らず、彼女はひし模様のスカートを揺らしながら歩き出す。


「ルナ、月を司る《七曜セプティマーナ》。忘れていいよ。もう会わないから」


 憑彩衣を纏った彼女は、そう言った。

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