第9話「命令は絶対!」

 俺の腹を満たすというより、フラムのお使いをこなすべく、テーブルに向かった。


 数歩進んだところで、視界が一瞬白む。


 あ、まずい。


 寝不足からか立ちくらみを起こし、テーブルの手前でトレイを取り落としてしまった。


──《逆流ぎゃくりゅう》を……。


「ん」


 地面に落ちるよりも先に、俺の《逆流》の実行よりも早く何者かがトレイを拾い上げていた。


 その骨ばった細腕を見上げていくとと表現するには綺麗に、階段のように揃えられた緑髪。やや目にかかった前髪から、冷血動物の如く淀んだ眼が、俺をジッと見つめていた。


 その目にどこか俺と似た暗い哀愁あいしゅうを感じた。だから、つい目を奪われてしまった。


「いらないなら捨てちゃおっか?」


「あぁ、悪い。ありがとう。えーと」


 トレイを受け取り、礼を言おうとするも名前が出てこない。喉元まで──足首の辺りまでは来ているんだが、血の巡りが悪く上がってこない。


「……ヴェルデ。一応、教室で隣の席やらせてもろてます」


 そうだ。見覚えがあるどころの話ではない、隣の席じゃないか。俺の席を巡っての騒動ではフラムとシアンの声ばかり聞いていたが、彼女も渦中の一人だったじゃないか。


「クロノだ。悪い、話しかけるの苦手で。今まで挨拶もしてなかった」


「いやキミ謝りすぎな? いーよ別に。ウチも苦手だかんね、話すの」


 ヴェルデはそう言って苦笑した。


 彼女が誰かと会話しているのを見た覚えがない。いつも、教室のあちこちで起こっている談笑を何となく見ていた。


 見ている、というのも正確ではないのかもしれない。ただ視線をそこに置いているだけで、目に留めてもいない可能性がある。


 ひょっとすると、彼女は馴れ合いを嫌っているのか? テラメーリタはかなり競争意識の強い学園だ、それも有り得るだろう。


「あまり話しかけない方がいいか?」


「んー。そーね。変に思われたくなかったら辞めといた方がいーよ」


 彼女はそんな風に投げやりな言葉で突き放す。それはとした拒絶に感じられた。


「いや、隣の席だってのに、そんな知らん顔ってのも出来ないだろ?」


 何より、その開いたままの瞳孔どうこうが、壊れかけてしまった眼がどうしても気にかかる。もしかすると、多生の縁ってヤツかもしれない。


「へーきへーき。ほら、ウチの顔も知らんかったっしょ?」


「それは……女の子が苦手なんだ。ちょっと目をつぶってくれよ」


 白々しい。我ながらどの口が言うんだと思ってしまう。フラムやシアンとの散々な噂が出回っている今、苦しい言い訳だろう。


 彼女もそう思ったようだ。あまりに不審な俺の言い分に、ぎゅっと目が細まる。


「はぁ……君、なんなん? 苦手なら、なおさらっといてよ」


 明確なノーを叩きつけられ、俺は何も言えなくなった。柄にもない出過ぎた真似をした罰だろうか。今はただヴェルデを不快にさせてしまったことが悔しい。


「……あーもー。悪いね、ちょいネガすぎた。いーよ、出来んならお好きにどーぞ」


 "出来るなら"というその言葉尻が引っかかった。ヴェルデに話しかけると、何か不都合でもあるのだろうか。


「なぁ、その出来るならって──」


「エイトー! まだかかるのー⁉︎」


 遠い席からも十分にさわる大声。まぁ俺でなく、肉マシブロードなるものを待っている声だ。


「飼い主が呼んでるっぽいよ?」

「……俺は犬じゃないぞ」


 むしろフラムの方が大型犬に似ている。旺盛おうせいな食欲と有り余る体力ではしゃぎ続ける。


 首輪をつけ、"お手"のようにリードをこちらに手渡す犬耳着用のフラムを幻視する。って、そんなことはどうでもいい。こんな変な妄想は俺のせいでなく、前にシアンが手錠なんかをつけてきたせいだ。


 俺は目の前の少女に何もできないのか。名前も忘れていた上に、沈んだような彼女に、気の利いた言葉一つ掛けれないままというのはあまりに忍びない。《緩流かんりゅう》で考えて──


「そんな顔すんなし。ほーら、行ってら。女の子、待たせちゃいかんよ」


 茶化すように言い切るなり、ヴェルデは背を向けて歩き出してしまう。


「あぁ。──また今度な」


 俺は慌てて付け加えてその場を去った。なぜかそう言葉にしないと、彼女ともう話せなくなってしまいそうで。


 彼女はその言葉に手をあげて答え、屋上を去っていった。


 パンを二切れ取り、その一つに肉をこれでもかと盛り付けた。これが何に対しての腹いせなのかは俺にもわからない。


 ややあって席へ戻れば、仏頂面ぶっちょうづらのフラムが出迎えてくれた。


「まーた女の子にちょっかい出して。いつか刺されるわよ?」


 俺が座る前からそんな調子かよ。本当に俺のことを犬な子供とでも思っているんだろうか。


「そうだな、昨日は二箇所刺されたよ。あと別に話しかけたわけじゃない」


 パンを一つだけ取り、残りの肉まみれのトレイをフラムの前に置く。


「じゃあ、やっぱりヴェルデから話しかけってワケ? ふーん……」


 彼女は何か考えるような難しい顔でこちらを見ている。


「なんだよ、その顔は」


「べっつにー? あの子も女の子ってことなのかしらね」


 フラムは訳のわからないことを言いながら、肉にかぶりついた。


「ヴェルデのこと、知ってるのか?」


「そんなの当ったり前じゃない。この前までアタシが隣だったのよ? 一番話してたって言っても過言ではないわね!」


 こんなところでも発揮されるフラムの勝気かちきさに辟易へきえきする。誰に対して負けじと躍起やっきになっているんだ。


 むしろ自信があるなら好都合か。


「出来たら教えて欲しいんだけど、あいつは何でをしてるんだ?」


 あの悲哀に満ちた眼差し。何か大事なものを諦めて、ただ死んでいないだけの眼だ。歳若い子がしていい目つきじゃない。


「……あのね、気になる子のことを別の女の子に訊くって、かなりサイテーよ? わかってる?」


「待て! ……だいぶ誤解がある。きっと物凄い思い違いをしてるぞ」


 フラムは俺のことを無類の女好きとでも誤認しているんだろうか。ただちょっと風呂場で裸を見たり、天下の往来おうらいで手錠プレイをしたり、命乞いする女の子を人気のない物陰に拉致したりしたくらいで。


 周囲に流れる噂をピックアップしたが、歯がゆいくらいに事実に根ざしている。なんでこう語弊ごへいのある形で歪曲わいきょくしてしまうんだろう。


「そもそも、人のことをペラペラ喋ると思う? このアタシが」


「……それもそうだな」


 フラムは不義理をするようなヤツじゃない。本人のいない所であれなこれやと言いふらすことはしないだろう。


「ただ、見てわかるようにあんまり友達は多くないわね。これ以上のことは、たとえ命令されても言いたくないわ」


 それくらいなら俺も何となく察しはついていた。彼女の言う『変に思われたくないなら話しかけるな』というのは、きっと孤立している自分に話しかけるなということだろう。


「っていうか、言ったろ。命令はしないって。なんでそんなに命令権使わせたいんだ?」


「だって、怖いじゃない。……こんなスケベなヤツが持ってるなんて。きっと、好き勝手体をもてあそばれた挙句、アンタなしじゃ生きていけないようにされたりとか……」


 もじもじと身をよじり、恥じ入りながらそんなことを呟く。


 その様は実に可愛らしいが、言ってる内容がまったく可愛くない。


「彼女もいなかったヤツがそんなこと出来るわけないだろ……」


 自分で言ってて悲しくなってくる。だが、これも噂を否定するため。涙を飲んでこんな事実を口にするしかなかった。


「そんじゃ、噂を気にするなって命令はどうだ? これで権利は失うし、安心だろ」


「下心がなさすぎて嘘っぽいわね……」


 フラムは首を振り、海外の通販ショッピングのように大袈裟にやれやれというジェスチャー。


「ならデートとかか? ちゃんと外出届けを出して、校外行ってブラつくみたいな」


「ナシでしょ。別にデートくらいアンタから誘ってくれれば受けて立つわよ」


「……一緒に風呂入るとか」


「なっ──! アンタってどんだけバカなの!? アタシが逆らえないのをいいことに、そんなことするなんて!」


 どうしろって言うんだよ。


 お手上げしたいのは俺の方だ、となげく俺に一つの名案が浮かぶ。これならフラムからは気のあるように思えるだろうし、丸く収まりそうだ。


「じゃあ、デートってわけじゃないけどさ。校内戦の後に俺の部屋に来てくれよ」


 似合わないが、努めてさわやかに。この誘い文句なら、そんなに捉えられることもないだろう。


「──えっ? アンタの部屋に?」


「あぁ。前々からそう思ってたんだよ。お前がいつ来てもいいようにって、ちゃんと食器とかも新調したんだぞ」


 ザハル先生の襲撃があってから、突然の来客用にと陶器を一式揃えた。もちろん、茶葉もいいのを購買で買ってある。


 用意した以上、使いたくなるってのが人情だ。実は誰か訪ねてこないかと、今か今かと待っていたんだ。


 校内戦の結果はどうあれ、パーっとやろう。それが祝勝パーティかお疲れ様パーティかはわからないが。多少は親睦しんぼくも深まり、妙な誤解も解けるだろう。


「……………………わかった」


 フラムはうわの空で、そんな風に答えた。


 その後も他愛もない話を続けたが、その日、彼女は心ここに在らずのままだった。

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