第2話 放浪の果てに
―放浪の果てに
平原へ逃げ延びて三日経過した。森からここへ抜けすぐに小さな道があり、それに向って歩き続けていたらやがて少し大きな道へ出た。何処へ向かうにせよこの道へ進めば今よりは安全な場所へ行ける事は間違いない。
そう信じて狐虎はとにかく歩き続けた。
喉の渇き
ひもじく飢える空腹
平原に出た時から想像はしていたが川と思わしきものは一切ない。だが、時折雨が降り水たまりが所々に出来た為水には困らず、逆に食うものには非常に困窮せざる終えなかった。
そんな時も祖父の言いつけが狐虎の命を食い繋げる。
(いいか狐虎、食べれる野草とそうでない野草、何も分からない時は本当に少しだけ、その草を舌の上に置いたり、飲み込んじまえばいい)
(舌が痺れるようなら毒草、少し飲み込んで具合が悪くなるようなら毒草、そうでねぇならそれは食える野草だ)
何ともいい加減と思うかもしれない。しかし、こうして何の知識がない場合ならそれはとても有効だとも思った。祖父はそういう事を父親か、そのまた上の先祖から教えられたに違いない。そんな知識が今の狐虎には大いに役に立っていた。
そうして何度か草を物色した結果、見事に口に入れても何ともない野草を見つけた。無味無臭で何の味もしない野草。勿論こんなものをいくら入れた所で何の腹の足しにもならない。
そこで狐虎はもうそこには無い左手を見つめた。手を失った腕は大きく化膿し、そこには見るも耐え難い蛆が埋め尽くされていた。
蛆は腐ったものしか食べず、細胞の再生力を促進させおまけに感染症すら防いでくれる。壊死した細胞を食われる度に耐えがたい程の痒みが襲ってくるが、空腹のおかげかそれには耐える事ができた。
狐虎は野草にその蛆を少量載せて自分の口の中に放り込み、そしてそれを一気に呑み込む。これで多少なりともたんぱく質を摂取できるはずである。何度も吐きそうになるが歩くだけで精いっぱいの今の自分にとって食料を探すという行為はあまりにもリスクが大きかっただけに、これが最善の方法であると己に言い聞かせた。
そして狐虎は歩き続けた。
来る日も来る日も、小川の水を飲み、小動物を丸呑みし、野草を咀嚼し、そしてついに・・・。
終わりの無いと思われた平原の先に表れたのは・・・眩く輝く黄金の城壁だった。この時点でも狐虎は自分が一体何処へ飛ばされてしまったのか全く理解できないでいたが、あそこへ行けば保護され、時間は掛かろうとも「きっと日本へ帰国出来る事はずだ!」心が躍った。
近くまでくると大勢の人間が行列のなして並んでいた。
その恰好たるやまさしく異国。
だが、どれもこれも現代とは似つかわしくない布巻きや質素な服にドレス。それはまるで映画のワンシーンのようにも見えた。
(迂闊に近寄るのはまずいか・・・)
消えた左手を眺めながら狐虎は少し隠れるように様子を見る事にした。あの容姿なら英語ですら無いかもしれない。日本語しか話せない狐虎がさらに制服姿とあれば怪しまれるのが運の尽きである。
だが、後方に並ぶ人たちの声を聞いた時・・・
「▲×◎・・・〇〇××・・・だからさ」
「へぇ、じゃあ○○xxは当分この辺りかxxxx」
(…なんだこの感じ・・・だけど言葉が段々分かってくる!)
それはまさしく日本語とは似ても似つかぬ言語なのだが、次第に頭がジャミングされたように目線にノイズが混じると、徐々に並んでいる人達の言葉が分かるようになってきた。
「全く、最近じゃ魔物の国が森のど真ん中に出来たって言うじゃないか、物騒でいけねぇや」
「魔物じゃねぇよ、竜の国、
「竜でも魔物でも一緒だろうが、何せその配下とやらオークだのゴブリンだのオーガだのフォレストウルフだのがわんさかいるだとか…おっかねおっかねぇ」
「でも、あの森に迷い込んだ人間の話によれば竜の王様は意外にいいやつみたいだぞ?なんでも人間を襲わないだとかなんとか」
「はぁ?そんな話信じられるかよ!!化け物は化け物、魔物は魔物!そして竜は竜だろうがよ!」
話を聞くにどうやら自分が迷い込んだ森の事を話しているようだった。
(人を襲わないだと?)
ジリジリと傷口が痛み出す。
その痛みを知る者こそのみ、あの森の恐ろしさを実感できる。
「それにしても今日は偉い並んでるなー」
「なんでも、異世界の冒険者達が訪れているらしく、その準備で検問が疎かになっているってよ」
「かぁー異世界人異世界人、全く連中が現れ出してから俺達平民は肩身が狭くなる一方だぜ」
「そう言うなよ、奴らのおかげでこの道中も随分と安全になった」
「そりゃそうだろよ、並みの異世界人でも元いた人間の数十倍の魔力、そして力を持つって分かっていりゃあなぁ」
「おかげで俺たちの生活も日に日に良くなっていく、異世界人様様だな」
「そう言う事ならこれくらいの行列ぐらい我慢しなきゃ罰が当たるってもんだな、ハハハハ!!」
ここまで聞いて狐虎は咄嗟に奥の方へと逃げるように駆け出す。そして誰もいない岩場の裏に身を隠すと、大きく深呼吸をし、今聞いた話を自分なりに整理していく。
(なんだ『イセカイジン』ってのは?ここは俺のいた世界とは本当に違う世界なのか?)
それに異世界人はこの世界の住人よりも遥かに強い力、そして魔力を持つと言う。
(力・・・魔力?)
ゲームやアニメの世界でのみしか聞いたことが無いワードが飛び交う。
ここはここでゴツンと自分の頭を小突いた。
(ハハハ、どうやらまだ夢の中にいるのか?)
訳の分からないまま不思議な森に飛ばされ、そこで獣に左手を噛み千切られ、そして何日も死に物狂いで歩き続けてやっと今に至る、そんな夢。悪夢以外の何物でもない。それに覚めるのならとっくの昔に覚めているに違いない。
だが、幸いにして言葉が通じる事はありがたかった。
うまくいけば『異世界人』として保護してくるかもしれない。彼らの話が本当ならば自分も紛れも無い『異世界人』なのだから。だが、それでもこの恰好で正門に並ぶのは不味い。自分が異世界人である事を伝えるもっとも効果的な方法は・・・
(なんでも、異世界の冒険者達が訪れているらしく、その準備で検問が疎かになっているってよ)
(・・・これだ!)
狐虎は城壁を一周するように何処かから中に入れないか歩き続ける。しばらくすると東側の中央付近に小さな鉄の扉があるのを発見した。周りには誰もいない。どうやら見回りの兵だけが使っている勝手口のようだ。
(普段ならばそこにも誰かが見張っているのだろうが今日は・・・)
狐虎は恐る恐る扉の取っ手に手をかける。
(やった!鍵はかかってない!)
扉はかなりの重圧で全力で押さないと開かない程ではあったが、それでも何とか城内に入り込む事ができた。
・・・・!?
そこは正しく黄金の街そのものだった。城壁もそうだったが、街の中や石畳、一つ一つの建物に至るまでが美しい金色の光で輝いている。だが、それはけして悪趣味な空間では無く、それこそ一つの街として素晴らしい調和がなされていた。まるでパステル調で描かれたどこまでも続く小麦畑の平原の中に町が佇んでいるように。
だが、その情景に対して中心地は騒がしく人でごった返している。恐らくさっきの人達が言っていた冒険者達を見ようと皆が集まっているに違いない。
(とにかく彼らに会わなければ・・・)
仮に近づけずにいたとしてもきっとその周辺に伝言ぐらいは伝えられそうな人間がいるはずだ。狐虎は意を決してゆっくりと騒ぎの中心へと歩き始め
「おい」
突然肩を強引に掴まれた。
振り返ると兵士の3人が狐虎を見てニヤニヤしている。
「なーんでゴミがこんな所に紛れ込んでいるんだぁ?」
兵士の一人がニヤニヤと下種な笑いを浮かべながら顔を近づけてくる。
「おうおう、お前、この黄金の石畳に汚れでもつけりゃそれだけでお前の首がいくつあったって足りやしねぇってのになぁ」
(・・・何か言わないと・・・)
弁明をすべきだと思った、自分は異世界から来たもので保護を求めてきたのだと・・・だが、いざこういう連中を目の前にすると足が竦み思考がフリーズしてしまう。そしてどんどんと状況は悪化していく。
「・・・おい、ここでやるな。本当に場が汚れちまう」
二人の後ろにいた色白で目つきの悪い男が神経質そうに子声で兵士の一人に忠告している。
「はいはい、分かってますって分隊長殿。おい、ここじゃなんだから表に行くぞ」
そう言われると狐虎は先ほど入った場所とは逆の方向にある勝手口の外へと連れだされた。
「ここなら問題ねぇな、お前のようなくせぇガキににゃ二度と市街地に入れねぇよう教育的指導をしてあげなきゃなぁ・・・」
そう言うと、兵士は狐虎の顔面を思いっきり殴り始める。あまりの一瞬の出来事、其れでなくとも体力などとうにつきかけている狐虎はガードする暇も無くまともに受けてしまう。
口の中が切れ、鼻と口の両方から血が染みた唾液が宙を舞う。そのまま仰向けに倒れ込もうとする狐虎の背中をもう一人の兵士がキャッチする。
「おいおい、まだ倒れるのは早いぞクソガキ、お前には久々に日ごろのうっぷんを存分に吐き出させて貰うからなぁ」
そう言うと兵士は狐虎の体を突き出し、思いっきり蹴り出した。意識が朦朧とし、前に倒れ込もうとする狐虎を今度はまた殴った兵士が掴み上げ、狐虎を殴る→蹴る→殴る、そんな一方的な暴行が何度も続いた。
(・・・なんだ・・よ・・・これ)
薄れゆく意識の中、狐虎は同じような出来事を走馬灯のように思い出していた。
―いたい、やめてよ、やめて―
―気持ち悪い顔して変な名前してんじゃねぇよ―
(・・・あれは施設に入ったばかりの頃、よく一緒にいた連中にいじめられた時の・・・)
―あの子、なんであんなに髪伸ばしているの?もしかして、本当にソッチ系?―
―家が貧乏だから髪を切る金もないとか言ってるそうよ―
―うわぁ、最悪・・・お化けみたいで本当に気持ち悪い―
(なんで女ってのはわざと聞こえるような声で陰口叩くんだろうな)
―狐虎、お前も俺も、そしてお前を捨てた馬鹿も、お世辞にも運には全く縁がねぇ、だがな、だからこそお前は運命に逆らって生きなきゃならねぇぞ。腐るな―
―狐虎!!―
永遠と続くサンドバックにより狐虎の顔は風船のように膨れ上がり、もはや原型を留めて冴えいなかった。そんな中でも頭に過る祖父の言葉。
(おじいちゃん・・・俺はもう・・・)
し・・・ぬ・・・
もういい、ころしてくれ、しにたい。
そう願うと同時に膨れ上がった瞼の下から涙が流れる。子供の頃何度も流したその涙の意味するところを狐虎は痛い程知っていた。
余りにも何も出来ない自分が情けなくて狐虎はいつも泣くのだ。何で自分はこうも無力なのだろうかと。どうして何も出来ないのだと。その繰り返しが頭を巡っても答えは出ない。
狐虎は泣きながら意識を失い、そのまま眠るように静かに崩れ落ちた。傍から見ればそれはまさしくボロ雑巾のような有様だったに違いない。兵士達も満足したのか、動かなくなった狐虎に唾を吐きかけると、そのまま何も無かったかのようにその場を離れて行った・・・。
一人その場に取り残された狐虎。
最早痛みの感覚も無く、己の体が急速に冷え込むのを感じながら静かにその目を閉じた・・・・。
―悪夢からの目覚め
「うっ・・・うう」
ここは鈍りのように重くなった瞼を何とか開けようとした。体はまるで固定されたように動かない。だが、そこは冷たい死後の世界と言うより、なぜか温かみのある空間だった。
「!!・・・お、おとうさん!おかあさん!!」
誰かの声が響き、慌てて部屋を出る足音が聞こえる。首を動かし、音のする方を見ようとしたが激痛がそれを阻む。
(何もできないな)
それが最初の感想だった。
そして、己の記憶を辿っていく、自分は確か・・・兵士達から暴行を受け・・・そのまま倒れた。
そこで目覚めた先はベッドの上、手を見ると左手を始め、傷が酷い箇所には全身に包帯が巻かれていた。そこから染み出る強い薬品臭。
どうやら自分は命拾いをしたと自覚する。
そしてすぐに、初老の男が覗き込むように狐虎の顔を見る。
「ようやく起きたか、君はもう5日もずっと寝たままだったんだよ」
「そ・・っ!!」
『そうなんですか』と言おうとして口元に激痛が走り、思わず悶絶する」
「まだ喋るのは無理だろう、一体誰がこんな惨い事をしたのか、娘のアネが君を見つけるのがあと少し遅かったら、本当に助からなかったかもしれない」
「とにかく、今はゆっくり体を休める事だ。口の中が回復するまでは薬のみで苦しいと思うが、もう少しの辛抱だ」
初老の男の言葉遣いは始終暖かみがあり、身を預けるには充分すぎるほどだった。隣にかけよった女性と小さな女の子も心配そうに狐虎の様子を見守っている。
「目覚めて本当に良かったわ、私はソレルよ。この子はアネ。そういえば貴方、自己紹介まだしてないじゃない」
「ああ、すまない。私はプランタン・グラス。この旧市街地で薬の知識を生かして治療院を営んでいるものだ」
プラタインと名乗った男は狐虎の右腕に触れて挨拶をした。こちらから名乗れないので何とか右腕を挙げてそれに応える。
「じゃあここからは私の出番ね、少し痛いかもしれないけど我慢するのよ」
そう言うとソレルと名乗った美しい女性は狐虎の体を横向きにして体を拭き始めた。
「うぐぅぅ・・・!!」
一体どれだけ殴られ蹴られたのだろうか、その一つ一つに灼けるような激痛が走り、思わず声が漏れる。
「本当に・・・ううん、今はしっかり我慢して体を治す方が先決ね」
ソレルは何か言いかけたが、出来るだけ体が痛まぬよう優しく狐虎の体を拭き上げていく。
そして、狐虎は仰向けになり、天井を見つめる視線に戻る。体が休息を欲しているのは嫌でも分かり、恐らく顔全体が風船のように膨れ上のさらに膨れ上がっている重い瞼を静かに閉じようとした。
その傍らに先ほどアネと紹介された少女がじっと狐虎の閉じようとする瞼を見守っていた。
・・・・・・
「前に支給されたこれが役に立ったかな」
狐虎がひと眠りついた後、プランタンがほぼ空になりかけている瓶を見つめながらそう呟く。
「支給されたポーション、それも何度も薄めて飲ませただけなのに、本当に凄い効力なのね」
それに同意するようにソレルは答えた。
「これも異世界からきた転生者によるものらしい。なんでも向こうの世界にある医学の知識とこちらの魔法技術の応用などで、こうやって我々みたいな者にでも支給してくれるものなら、汎用性の高いポーションだという事にはなるのだろうけど」
唸るように瓶の中に残っている液体を見つめるプランタン。
「これじゃいよいよ私もお役目御免と言った所かな。私の薬草学では彼を救う事など絶対に出来なかっただろうし」
「でも、アネがあの子を連れて来て貴方がしっかり診て無ければあの子はいずれ死んでいたかもしれないわ。ポーションだけのおかげじゃ…」
「いいんだよソレル。私は元々『スキルランク』も低いし、魔力もそれほど持ってない。私に出来ることは精々かすり傷程度を治すしか」
プランタンが少し悲しい顔で言い終わるのを遮るようにソレルはプランタンの胸にそっと身を寄せる。
「たとえそうだとしても、貴方がいなければ今の私はいなかったわ」
「誰だってこの世界に存在する意味はあるはずよ、貴方も私も、アネも、そしてあの子にだって」
「・・・ああ、そうだな、ありがとうソレル」
「それにアネのスキルは将来きっと素晴らしいものになってくれるはずよ」
「ああ、その為にも私は頑張らなければなるまいな」
抱き合う二人が見つめる先には、まだ5歳もいかない小さな可愛い娘の曇りなき大きな瞳。アネはそんな二人を不思議そうに見上げていたのだった。
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