第29話

第29話「真価」



右手の通路とは違う、見慣れない岩壁が続いていた。本来、この第三階層アーカイブブロックでは人工的な構造物が続くはずだ。

だが、今進んでいる道は自然の岩がうねるように続き、時折、植物の根のようなものが壁面に絡みついている。


「……このルート、マップにないですね」


ほのかが端末を覗き込みながら呟いた。その声は、驚きよりも戸惑いが滲んでいる。


「おそらく、マップ更新前の構造か、あるいは……」


三崎は言葉を濁し、《計数解析(シンキングスコープ)》の視界を広げた。数値の波が、周囲の岩盤の硬度、湿気、そして微細なマナの流れを計測していく。


(構造安定度、標準以下。マナ密度、周辺より高い。そして……)


視界の端に、わずかなノイズのような波形が点滅している。それは、以前第四層で観測された「空間の歪み」に近い反応だった。


「三崎くん、この壁……なんか、色が薄い気がする」


ほのかが指差した壁面は、確かに他の岩壁よりも灰色がかって見えた。


「確認します」


三崎は壁に近づき、スキルで詳細なスキャンを行う。


(硬度、低い。マナ吸着率、高い。そして……exp濃度、異常に高い)


その壁面は、まるで吸い込むように周囲のexpを濃縮していた。これは、通常の岩盤ではありえない特性だ。


「この壁、構造が不安定です。無理に触らないでください」


「う、うん……」


ほのかは少し怖がったように手を引っ込めた。


(この不安定な構造……階層のにじみ出し、あるいは裂け目の痕跡か?)


三崎は端末に壁面の詳細ログを記録した。これは重要なデータになる。


さらに進むと、通路は急に開け、小さな空間に出た。天井は高く、岩がドーム状に組まれている。

空間の中央には、青白い光を放つ小さな結晶が一つ、静かに浮遊していた。


「わぁ……きれい……」


ほのかが思わず声を漏らした。


三崎は警戒を解かず、即座に結晶と周囲の空間を解析する。


(マナ濃度、極めて高い。exp濃度も……中心部で濃縮されている)


結晶から放たれる光は、周囲の空間のexpを吸い上げ、再放出しているかのようだった。


「これは……《マナ結晶》か? こんな浅層で……」


須藤が以前、研究課の資料で見たことがある、と話していた希少な結晶に似ていた。


「触らないでください。不安定です。……ほのかさん、この空間全体の『状態』を記憶してくれませんか?」


「うん、わかった!」


ほのかは少し緊張した面持ちで、スキルを起動した。


「《保管記憶(ストック・レジスター)》!」


淡い光が、空間全体を包み込む。三崎の《計数解析》の視界に、彼女のスキルが捉えた空間のデータが波形として流れ込んでくる。


(これは……単なる状態の記録ではない)


彼女のスキルは、空間の「現在の状態」を記録するだけでなく、そこに蓄積された「過去の変動」の履歴を読み取っているかのようだった。解析波形に、時間軸のような揺らぎが重なる。


「三崎くん、できたよ!」


ほのかの明るい声に、三崎は端末の画面を凝視した。

彼女のスキルと自身の解析を重ね合わせたデータには、結晶が浮遊する空間の「形成過程」のようなものが、数値として、波形として浮かび上がっていた。


(これまで調査で入った迷宮の波形データと見比べると……やはりこの空間は…自然にできたものではない)


それは、どこか人工的な、意図的な「操作」の痕跡に見えた。


「……三崎くん?」


「いえ、何でもありません。……記録、ありがとうございます。助かります」


三崎は、ほのかの笑顔を見つめながら、内心で思考を巡らせた。


彼女のスキルは、ただの「記憶」ではない。迷宮が隠そうとする「過去の動き」を映し出す鏡だ。


そして、その鏡に映ったものは──この迷宮に、確かに「人の手」が加えられている可能性を示唆していた。


「撤収します。この地点の情報は、研究課に直ちに報告が必要です」


三崎の言葉に、ほのかは少し残念そうに頷いた。


「うん……わかった」


彼女の不器用さ、空回り。それは、もしかすると、このスキルの真価を隠すための「仮面」なのか。

あるいは、彼女自身が、このスキルの本当の力を理解していないだけなのか。


(どちらにせよ……彼女は、この迷宮の謎を解く鍵になる)


三崎は、青白い光を放つ結晶を一瞥し、踵を返した。


二人は来た道を慎重に引き返す。岩壁の感触、空気の密度、微細な音。すべてが往路とは違って感じられた。

それは物理的な変化ではなく、三崎自身の認識が更新されたからだ。


(あの壁……異常なexp濃度。そして、あの結晶。マナの濃縮と、周囲のexpを吸い上げる挙動)


彼の《計数解析》が捉えた数値データは、迷宮の自然な法則から逸脱していた。まるで、誰かが意図的に作り出した「特異点」のようだ。


(そして、春日井さんのスキル……)


彼女の《保管記憶》は、単に空間の「状態」を写真のように記録するだけではない。

それは、時間の経過、そこに加えられた「変化の過程」そのものを、波形として読み取っていた。


(もし、あの空間が人工的なものだとしたら……彼女のスキルは、その「製作過程」を映し出したことになる)


背後を歩くほのかに、三崎はちらりと視線を向けた。彼女は足元に注意を払いながら、時折、不安そうに周囲を見回している。

その姿は、迷宮の深淵に立ち向かう戦士というより、迷子の子供のようだった。


(このスキルの真価を、彼女自身は理解していない。あるいは……誰かが、彼女に理解させないようにしている?)


疑念が頭をもたげる。彼女の不器用さ、失敗。それは、もしかすると、このスキルの異質さを隠すための「仮面」なのか。

それとも、彼女がただ単に、自分の能力の恐ろしさに気づいていないだけなのか。


迷宮の闇は、人の心と同じくらい複雑で、多くのものを隠している。


「三崎くん、もうすぐ出口かな?」


ほのかが小声で尋ねる。


「ええ。マップデータと照合します」


三崎は端末で現在位置を確認し、マップを更新する。未知のルートから、既知の通路へ。

境界を越えるたび、空間の数値がわずかに変動した。


(この変動も……記録しておくべきだ)


端末にログを保存し、三崎はほのかに声をかけた。


「出口まで、あと50メートルです。周囲の反応はありません」


「よかったぁ……」


安堵の息を漏らすほのか。その無邪気な反応に、三崎の内心の複雑さは増した。


転送ゲートをくぐり、本社ビル地下へ戻る。慣れた空調の風と、人工的な照明の明るさ。現実に戻ってきた、という感覚。


しかし、三崎の心はまだ、あの Archive Block の未知のルートと、青白い光を放つ結晶、そしてほのかのスキルの可能性に囚われていた。


事務所に戻り、任務終了の報告を終える。端末から自動的にログが送信され、評価システムへと流れていく。

今回の異常に関する情報は、緊急度を高めに設定して研究課へも直接送信した。


数分後、端末に通知が入る。


【通知】

送信元:研究課・動態解析班(榊原)

件名:緊急:第3層異常ログに関するヒアリング要請

内容:至急、研究棟第2会議室までお越しください。同行者(春日井氏)も同席願います。


(……予想より早いな)


よほど、今回のデータが研究課にとって衝撃的だったのだろう。三崎はほのかに声をかけ、研究棟へと向かった。


研究棟第2会議室。


榊原は、いつもの冷静さを装いつつも、その瞳の奥には明確な興奮が宿っていた。


「三崎さん、春日井さん、ご苦労様でした。まず、お二人が取得されたログについてですが……」


壁面の大型モニターに、今回の探索ルートと、三崎の《計数解析》、そして春日井ほのかの《保管記憶》によるデータが並べて表示される。


「この未知のルート……既存マップには存在しませんでした。そして、この異常なexp濃度とマナ濃縮を示す壁面、さらにこの浮遊結晶」


榊原は指し示した。


「我々の定点センサー網にも、この区域で微細な空間変動の兆候は出ていましたが、ここまで明確な異常として捉えられていなかった。特に、この結晶周辺のデータ……これは貴重です」


そして、モニターに春日井ほのかのスキルログが重ねて表示された。それは、結晶が浮遊する空間の「形成過程」のような、時間軸を伴う波形データだった。


「そして、春日井さんの《保管記憶》スキル……これ、空間の『状態』だけでなく、その『変化の履歴』を記録しているのではないですか?

このデータと、三崎さんの《計数解析》による現在の歪みを重ね合わせると、まるで『過去の構造変動の瞬間』を再現しているように見える」


榊原の声が、わずかに高ぶる。


「もしそうだとすれば……これは、迷宮の構造変動を解析する上で、決定的な手がかりになり得る」


春日井ほのかは、自分がそんなすごいことをしたのか、という顔で榊原と三崎を見比べていた。


「……あの、私、そんなにすごいことしてたんですか?」


「ええ、春日井さん。あなたのスキルは、私たちが長年求めていたものかもしれない」


榊原の言葉に、ほのかは戸惑いながらも、少しだけ顔を赤らめた。


「……ありがとうございます」


「そして、もう一つ。この異常……自然発生の可能性は低いと見ています」


榊原の言葉に、三崎は静かに頷いた。


「人工的なノイズ処理の痕跡がありました。波形が不自然に圧縮されていました」


「その通りです。この『未知のルート』も、『異常な壁』も、『浮遊結晶』も……まるで、誰かが意図的に『作り出した』かのような構造に見える」


場の空気が、一気に重くなる。


「他企業による工作の可能性……」


榊原は静かにうなずいた。


「このデータは、上層部にも、そして《クリムゾン・セクション》にも共有されます。おそらく、正式な調査チームが編成されることになるでしょう」


榊原は三崎を見た。


「三崎さん。あなたのスキルと、今回の発見。そして、春日井さんのスキル。この三つが揃えば、あの異常構造の謎を解き明かせるかもしれない」


「……協力します」


三崎は即答した。これは、彼がこの会社で「登っていく足がかり」となる。そして、迷宮の「裏にある何か」を掘り下げる機会でもある。


「春日井さん、あなたにも、この調査チームに参加してもらいたい」


榊原はほのかに視線を向けた。ほのかは一瞬、戸惑った顔をしたが、すぐに決意したように頷いた。


「……はい! 役に立てるなら、頑張ります!」


「ありがとう。詳細は追って連絡しますが、おそらく近いうちに、あなた方二人を中心とした調査任務が組まれることになるでしょう」


会議室を出て、三崎とほのかは並んで廊下を歩いた。


「……なんだか、すごいことになっちゃったね」


ほのかがぽつりと呟く。


「ええ。迷宮は、まだ多くのことを隠している」


三崎は、ほのかを見た。不器用で、空回りもする。だが、そのスキルは、この会社の、そしてこの迷宮の未来を変えるかもしれない。


(彼女は、本当に何も知らないのか? それとも……)


疑念はまだ消えない。しかし、彼女の存在が、自分を「未知」へと導いている──その予感だけが、静かに彼の胸に広がっていた。

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