第17話

第17話「裂け目観測 ― 潜在する境界の歪み」


──探索班が異常個体との戦闘を終えた現場。

静寂が戻った森の一角に、緊張の余韻だけが漂っていた。


「……やっぱ、おかしいっすよ。こいつの構造、普通の奴と違う」


須藤がひざをつき、倒れた害獣の残骸にセンサーを当てながら呟いた。

すでに腐敗が始まっているのか、皮膚は部分的に黒ずみ、骨格の一部が内部から変形していた。


「生態型と機械化型の中間……いわば、ハイブリッドってやつかも」


「解析は後回し。現場の空間自体、違和感が強い」


三崎が短く応じると、足元の端末を操作し、《計数解析(シンキングスコープ)》を起動した。


《モードB起動》──

視界に、空気の密度や熱波、exp濃度が数値化されて立ち上がる。


(……やはり、中心部の空間密度が不自然に変動してる)


風もなく、光の揺らぎもない森の一角に、わずかな“引き寄せ”のような歪みが存在していた。

expの波形が、まるで漏れ出すように薄く拡散している。


「この辺り……断層みたいになってる。expの層が薄く裂けてる感じだ」


三崎の言葉に、青木志麻が眉を寄せた。


「裂けてる? 空間そのものが?」


「いや、正確には“波層”……expの流れ自体が、外部に向けて引っ張られてる。通常じゃ起こらない」


「……《裂け目(ディメンショナル・リフト)》、ね」


青木が小さく呟いた。

その言葉に、他のメンバーが一斉に顔を上げる。


「そんなレアもん、見たことねえぞ?」


日比野が呆れたように言い、須藤が苦笑混じりに続ける。


「前に訓練で資料見ましたけど……確か、過去に数回しか確認されてない現象っすよ」


三崎は頷きつつ、現場のデータを圧縮してログに記録。

ビーコンを地面に設置し、警戒信号を発信させた。


「これで、本部に通報が届く。下手に踏み込めば……危険な状況になるかもしれない」


青木は真剣な面持ちでうなずく。


「予定変更。資源採取は最低限に。これ以上は、調査班に任せましょう」


現場にはまだ、かすかな“歪み”が残っていた。

それは、風景の裂け目に黒いインクを滲ませるような、不吉な兆しだった。


────


【CHIPS:裂け目(ディメンショナル・リフト)とは】


ダンジョン内で極めて稀に観測される、空間構造の層的歪み現象。

正式名称は《次元波層裂断現象(じげんはそうれつだんげんしょう)》だが、現場では通称「裂け目(リフト)」と呼ばれている。


● 概要

•通常の迷宮空間は、exp(エグジステンシャル・パーティクル)により安定した構造を保っている。

•しかし何らかの外的要因、または迷宮深層からの圧力により、空間にねじれや断裂が生じることがある。

•この現象下では、expの濃度が不自然に偏ったり、時間的・物理的挙動が乱れることがある。


● 特徴

•expの漏洩や逆流が起こる(波層が薄くなり、異常な放出が確認される)。

•害獣の**異常進化(ハイブリッド化・巨大化・機械化)**が加速する傾向。

•迷宮内部における座標・測量値の誤差増加が確認される。

•極稀に、未確認の構造物や物質が断層部から出現する例も報告されている。


● 危険度

•小規模であれば経過観察対象だが、進行性が見られた場合、**「階層変動」→「迷宮氾濫」**のリスクがある。

•記録上、過去3回の迷宮氾濫すべてにおいて、「裂け目現象」の初期報告が存在する。


● 原因(推定)

•迷宮そのものの自律的進化・拡張による圧力

•深層に存在する未知存在の干渉

•他企業による構造破壊・エネルギー抽出実験(工作)

•高度なスキル・装備の無秩序な使用が影響を与える可能性も議論されている


● 現場対応

•発見次第、速やかにビーコン信号による通報

•調査専門班(研究課・動態解析班など)による精密解析を要請

•一般探索班は接触・干渉を避けることが推奨


────


三崎たちは裂け目の周囲を円を描くように移動し、マッピングと記録作業を進めていた。


「……マナの流れ、やっぱりおかしいな。熱分布も時間とともに偏りが強くなってる」

須藤がタブレットに並ぶ可視化ログを睨みながら、低く言った。

「通常の環境異常じゃない。裂け目そのものが“起点”になってる可能性が高い」


「それって、拡がる……ってこと?」

志麻が不安げに視線を向ける。


「現時点では断定できない。ただ、発生時より波動振幅が増してる」

須藤はごく淡々と続ける。

「内部構造が動いてる可能性がある。“自律変化型”か、外的な何かによる誘発……」


日比野が眉をひそめる。

「なんだよそれ。俺らがいない間に誰か仕掛けたって言いてぇのか?」


須藤は、少しだけ目を細めて応じた。

「データだけ見れば、その線も完全には否定できない。短期間でこの変化量――自然由来にしては異常だ」


三崎はその言葉に、端末のスキャンログを重ねて確認する。

《計数解析(シンキングスコープ)》によるマナ波形も、確かに不穏な変動を示していた。


(何かが、どこかで“触れて”いる。この変異は、静かな侵食だ)


志麻がそっと言う。

「……これって、報告ライン、変えた方がいいよね?」


三崎はうなずいた。

「動態解析班だけじゃ不十分だ。開発系の部署、それとセキュリティにも回しておくべきだな」


須藤も同意するように、短く答えた。

「念のため、バックアップとログ保存。端末内にもミラーしておけ。消される可能性も考慮する」


その一言に、志麻と日比野の表情が引き締まった。


(やはり、これは“何か”が動いている)


裂け目の前に立つ探索者たちの背に、冷たい風が通り抜けた。



調査班は裂け目の周辺に仮設観測機器を設置し、リアルタイムでの波動計測と気圧モニタリングを開始していた。


「センサー1から3、接続良好。ログ転送開始」

志麻が小型端末を操作しながら指示を出す。


「周辺の反応、定期ログに比べて変化率が高いな」

須藤が地形スキャンを見つめながら呟く。

「土壌温度も上がってきてる……。やはりこの“裂け目”は、固定構造じゃない」


「動いてるってこと?」

日比野が短く問う。


「いや、内部の構造が変化しているか、あるいは──外部と“つながろう”としてる」


三崎はその言葉に、別の可能性を直感していた。

(外からの影響……単なる迷宮の自然変化じゃない)


その時、設置された観測センサーのひとつが突然、微細な振動アラートを発した。


「振動波、検知──地下からの小規模な反応。マナ波との同期あり」

志麻の声が低くなる。


三崎は《計数解析(シンキングスコープ)》を起動し、即座にモードBに切り替えた。

彼の視界に、マナと振動が絡み合う“波形の歪み”が浮かび上がる。


「……外から、何かが仕掛けられた可能性がある。これは自然なノイズじゃない」


日比野が反射的に腰の剣に手をやる。

「侵入者……ってことかよ? 同業か、それとも……」


「いや、開発チームが勝手に何かやったとしても、こんな形にはならない」

須藤は淡々と補足する。

「これは、波長が“消音処理”されてる。明らかに人為的だ」


三崎の思考が急速に加速する。

(探索者でも研究者でもない“別の誰か”……動機は? 得るものは何だ)


と、その時、社内ネット経由で警告アラートが端末に届いた。


【注意:階層連動異常の兆候】

現在、第四層および隣接層にてマナ濃度の不安定な変動が複数報告されています。

引き続き観測を継続し、変動パターンを収集してください。

――研究課・動態解析班


「……どうやら、ここだけの話じゃないみたいだな」

須藤が端末を閉じながら呟く。


「誰かが、階層構造そのものに手を入れてる。そう考えた方が説明がつく」


「仮にそれがライバル企業の工作だったら……?」

志麻が、静かに言った。


「……氾濫の引き金を、他社が引く時代か」

三崎は口にした言葉の重さを噛みしめる。


人為的な“裂け目”。

自然と偽装が重なった、“操作された異常”。


迷宮というフィールドは、今や戦場であり、企業の競争の最前線だった。


その深淵を覗き込むように、三崎は再び《解析》の視界を広げた。


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