第16話

第16話「沈む波形、浮かぶ影 ― 裂け目の兆候」



朝のメール通知に紛れて、ひときわ目を引く件名が届いていた。


【探索同行依頼】第4層資源帯・現地再調査

発信:研究課動態解析班(広瀬)

緊急度:中

目的:にじみ出し現象に関する追加観測ログの取得


(……ついに来たか)


三崎は無言で画面を閉じ、社内端末のロックをかけると、上着を羽織って探索課フロアを出た。


目的地は、社屋別棟にある研究課のセクションラボ。彼が研究課に顔を出すのはこれが初めてだった。



白衣を着た数人が慌ただしくモニター前を行き交う部屋。その中央で、ひときわ落ち着いた様子の人物がこちらに気づく。


「三崎さんですね。ご足労ありがとうございます」


声をかけてきたのは、動態解析班の主任、広瀬 明良(ひろせ・あきら)。年齢は三崎と同年代、研究者としては穏やかな印象の男だった。


「今回、あなたのログと精度に興味を持ちまして。ぜひ現場でもう一度、あの《計数解析》の応用を試してほしいんです」


「了解しました。同行者は?」


「臨時編成のフォーマンセルです。顔見知りもいますよ」



研究課内でのブリーフィングが始まる。


「現地は第4層資源帯、通称“深緑の斜面”。にじみ出しが発生していた領域ですが、現在はやや安定しているとの報告。ただし磁場の偏り、波形の干渉が継続中」


「今回はあくまで再観測と地形スキャンが目的です。戦闘は最小限で、深追いはしません」


三崎の隣では、すでに招集されていたメンバーが揃っていた。

• 青木 志麻:植物資源担当・臨時リーダー

• 日比野 翼:戦闘担当

• 須藤 祐也:技術解析担当

• 三崎 一郎:支援・索敵担当


青木が三崎に向けて軽く手を挙げる。「また一緒ですね、三崎さん」


「ええ、よろしくお願いします。今回はリーダーですか?」


「一応。まあ、草ばっかり見てる人間ですけどね」



最後に広瀬が端末を操作し、各メンバーに支給物資のリストを送信する。


「装備と経費精算の準備も完了しています。出発は二時間後、地下ゲートから直通で行きましょう」


「直通ゲート、使えるんですね」


「ええ、今回は“研究課案件”という扱いですから」


三崎はうなずいた。通常、探索者の出入りは各階層に設置された標準ゲートを経由するが、研究課案件では**事前設置された“簡易直通ゲート”**を使用できる。


それは、過去に命を賭して設置された“抜け道”であり、同時に──この地のダンジョンが制御不能な脅威ではないことの象徴でもあった。



探索の準備が進む中、三崎は再び画面を開き、スキル連動型端末のバッテリーステータスと演算補助デバイスを確認する。


(次は……見逃さない。あの乱れが、本当に“自然現象”なのかどうか)


その目に、静かな熱が宿っていた。



迷宮会社本社ビル地下。

厳重なセキュリティフレームの奥に設けられた直通転送ゲート・研究課仕様が、静かに発光していた。


「転送完了。ここが、深緑の斜面か……」


三崎の呟きに、青木はすでに目を細め、周囲の空気を読んでいた。


第4層資源帯“深緑の斜面”。

そこはまるで、熱帯雨林と苔むす針葉樹林が同居したような異質の地形だった。足元は滑りやすく、空気中の水分は肌にまとわりつくほど重い。


「無害種、多いですね」須藤が言う。地面を跳ねる小型の緑色の生物。おそらくは《環境安定種》だ。


「この辺はまだ“にじみ出し”の影響が薄い。問題は奥……磁場干渉の発生源」


「そこへ向かいましょう」


青木の先導で、4人は緩やかな斜面を下り始めた。



20分ほど移動した地点で、三崎が足を止める。


「……空間波形に偏差。誤差範囲外です」


「もう来たか」日比野が警戒するように手をショートソードの柄に添えた。


三崎は端末に軽く触れると、スキル起動のため小声で告げた。


「《計数解析(シンキングスコープ)》……モードB、起動」


視界が変わる。


空間に漂う微細な粒子──exp濃度の推移、熱源と振動。すべてが数値の波として視界に立ち上がり、情報の“濁り”が明確に浮かび上がっていく。


(通常の流れじゃない……波形が、交差して乱れている)


「三崎さん、どう?」


「断定はまだ早いですが、“異物の干渉”が発生している可能性があります」


「異物って……害獣じゃなく?」


「ええ。この層のロジックに属さない何か、あるいは外部からの逆流」


須藤がデータパッドを急いで開く。「それ……階層の“にじみ出し”が進行してる兆候じゃ?」


「その可能性が高いです。おそらく、空間構造そのものに何かしらの干渉が起きてる」


「まさか……また、階層変動か?」


日比野の呟きに、全員が無言になる。



「ここからは、気を引き締めましょう」


青木の声が再び緊張感を戻す。


「予備観測点まであと600m。万一、害獣の出現パターンがズレてたら……」


そのときだった。


「…………」


三崎の《解析》視界に、波形の乱れとはまったく異なる“強い熱反応”が点滅した。


「っ……一つ警告。10時方向、100m先に強反応。これは──害獣。数は……」


(……6体。だが、動きが違う)


「展開準備。来ます」


日比野が剣を抜き、須藤は素早く後方へ移動。青木は採集バッグを手早く遮蔽物の裏へと移す。


三崎も、慎重に拳銃型モジュールを構えた。

現れるのは、ただの獣か、それとも――“何か”が裂けて漏れ出した存在か。


森の奥、陽の届かぬ湿地帯。


水飛沫をあげて現れたのは――牙と鎧に覆われた獣型害獣。

ただし、その姿は“この階層の生態系”とはあまりに乖離していた。


「おい……こいつら、色が違う」


日比野が小声で言いながら、前へ出る。

通常の《鉄樹グマ》であれば、体毛は深緑に近い茶褐色で、苔や草を宿すような皮膚構造のはず。

だが、今出てきた個体は――全身に黒い亀裂模様が走り、目は赤く濁り、皮膚の一部が金属のように硬化していた。


「異常個体です。階層汚染を受けている可能性が高い」

三崎が即座に解析視界から視線を上げ、警告を発した。


「汚染……? まさか、裂け目経由で“他階層の因子”が混ざってんのか?」


「可能性は否定できません」


会話の隙すらなく、獣が咆哮し――突進してきた。


「来るぞッ!」


日比野が剣を構える。

その動きは素早く、重く、常軌を逸していた。


剣と牙がぶつかり、火花を散らす。

日比野のショートソードが斬撃を与えるが、相手の表皮は一部が金属化しており、通常の打撃が通らない。


「効きが浅い! 三崎!」


「了解!」


三崎は即座に《DMG-09 ベクター》を抜き、照準をつける。

視界の《計数解析》は、敵の動作パターンと体表の硬度の偏差をリアルタイムに表示していた。


「……左肩後方、硬化不完全」


(狙える)


トリガーを引いた。

弾丸は、ダンジョン内部のexp波形に最適化されたベクター軌道を描き、獣の関節裏へ――貫通。


「――一体撃破!」


青木が小声で報告し、須藤が即座に反応する。「増援は――来てない、今のところ!」


「残り五体!」


日比野が踏み込み、別の個体の首元に斬り込みを入れる。

三崎は支援位置から順に火線を展開し、的確に獣の弱点を撃ち抜く。


やがて数分後、戦闘は終了。

6体の異常個体はすべて、沈黙した。


「……妙だな」

日比野が剣を納めながら言う。


「こんな個体、この階層で見たことねぇ。完全に……“どこかの階層と混ざってる”」


須藤が静かに頷く。「構造解析を進める……でも、これ、階層変動の前兆ってより……階層のにじみ出しそのものだよ」


青木が周囲を見渡しながら、呟くように言った。


「ここに“裂け目”があるのかもしれない……境界を侵す、深部の歪みが」


三崎は視界を切り替え、波形の異常が周囲に広がっていることを確認した。

(いずれ、ここも――通常の階層ではなくなる)

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