第14話

第14話「変質する森 ― 見えない境界」



森の奥から、地鳴りのような響きが届く。


三崎は遮蔽物の陰に身を潜めながら、端末のログを確認した。

マナ濃度の上昇は止まっていない。上昇率はさらに増し、既に通常の2.5倍を超えていた。


(階層変動。間違いない……)


「出るよ」

須藤が小声で言った。赤外感知モードに切り替えたゴーグルのレンズ越しに、変化の中心が映っている。


「何が?」と日比野が短く聞き返す。


「……新種。もしくは、変異個体」

須藤の声は冷静だったが、その口調にはわずかな緊張が滲んでいた。


次の瞬間、森の中からぬるりと姿を現したそれは、既知の害獣の形をしていた。

だが、構造が違う。体表に植物の芽のような突起が複数生え、呼吸のたびに微細な胞子を撒き散らしている。


「見たことねえぞ、こんなの……」


志麻が低く呟いた。


「ログに該当種はなし。現地変異個体と判断します」

三崎は端末を閉じ、手元の《ベクター》を確認した。


(弾倉、装填済み。スキル応答、待機中)


「行くなら早めに。あの胞子が風に乗れば、制圧対象が広がる」

須藤が言う。


「志麻さん。任せてもいいですか、後方の無害種と採集資材の保護」

三崎の問いに、志麻は頷いた。


「分かってる。あんたら、やるべきことをやって」


三崎と日比野はアイコンタクトを交わし、ゆっくりと遮蔽物から身を乗り出す。


「俺が前、あんたが後ろから支援。いいな?」


「了解。突っ込む前に、左へ一歩流れて」

三崎の指示に合わせ、日比野がわずかに体を動かす。


突如、変異個体が動いた。低く、静かに、だが確実にこちらを認識している。


日比野が駆け出す。その体はまるで獣のようにしなやかに草を踏み分け、変異個体へと迫った。


直後、三崎の視界に数値の波が走る。


《計数解析 ― モードB起動》

それは、《計数解析》の応用運用の一つ。

対象の動き・重心・発汗・筋肉の張力・空気の流れなど、戦闘に直結する“動的因子”のみを抽出・視覚化するモード。

通常の索敵モードよりも解析対象は限定されるが、代わりにリアルタイムの予測補正が加わるため、攻防支援には最適化されている。


体表のわずかな膨張、重心の揺れ、振動。

すべてが数値として浮かび上がり、三崎の脳内で最適解として構築される。


(今だ)


引き金を引いた。


銃声一発――。

弾丸は風を裂き、日比野の突撃と完璧に噛み合うタイミングで、敵の“芽”を貫いた。


引き金を引いた。


銃声一発――。

弾丸は風を裂き、日比野の突撃と完璧に噛み合うタイミングで、敵の“芽”を貫いた。


「いいぞ、そのままっ!」


日比野のナイフが、胴体を深く裂いた。


変異個体は、ほとんど抵抗もせず崩れ落ちる。


だが、すぐに気配がまた一つ、森の奥で息を吹き返す。


「……終わりじゃないか」

三崎の口元が引き締まった。


(この階層……想像以上に、変わってる)


彼の中で、かすかに緊張が増していく。


草木が騒めく。弾けたように日比野が走り出した。


「翼、左斜め下、間合い三メートル。変異体!」


青木が叫ぶと同時に、三崎の足が前へと出る。


視界に数値の波が立ち上がる。空間を満たす生体の反応は、瞬時にフィルタリングされていた。


日比野の動線、その先に飛び出す変異個体。


両者の軌道を数値として捉え、導き出される一点の交差点。


三崎はわずかに姿勢を変え、引き金を引いた。


銃声。乾いた破裂音。

瞬間、変異個体のこめかみに赤黒い花が咲いた。


「……ナイス、支援!」


日比野が跳ねるように着地し、すぐに次の行動へ移る。


三崎はすでに次の対象を捉えていた。


(もう一体。距離は五メートル、こちらに気付いていない)


角度を調整し、照準を合わせる。


「三時方向、敵一体。対応する」


「了解、先に潰す!」


声を合わせ、動く。

この短時間で、Fチームはすでに戦術連携を始めていた。


須藤は後方で機器を回収しつつ、戦況を見守っている。青木も戦闘域には入らず、冷静に植物の状態と戦闘の影響を観察していた。


(悪くない連携だ)


三崎はそう思いつつ、次弾を装填した。


――――――――


敵影が完全に消えたのを確認し、三崎は深く息を吐いた。


日比野が軽く手を振りながら戻ってくる。


「……ふぅ、終わり。今回はちゃんと動けたな」


「的確な連携でした。俺もやりやすかったです」


「俺も支援ありきだったけどな、マジで。ありがとよ」


日比野の言葉に、三崎は小さくうなずく。


その後ろから、須藤がメインスキャナーを携えて歩み寄ってきた。


「植物の一部、損傷が確認されたが、データ採取は問題ない。敵個体の成分サンプルも採取済み」


「変異個体のデータは社に持ち帰って分析だな。これ、報告書が面倒なやつかもなー」


須藤が苦笑しながらも、すでに回収済みの器材をチェックしている。


「青木さん、そっちは?」


「採取は完了。多少の踏み荒らしはあったけど、重要な薬草群は無事だったわ。あとで保全のための位置情報と写真、ちゃんと記録しといて」


「了解。帰社後に全部まとめておきます」


チームが落ち着きを取り戻す中、三崎は一歩、森の奥に視線を向けた。


(……この空気、どこかおかしい)


変異個体の出現理由。その数や反応パターン。

“偶然”にしては、不自然な点が多すぎる。


「なあ、ちょっと気になったことがあるんだけどさ……」

日比野が低く呟いた。


「今回の変異体、なんか普通と違ったろ? 動きっていうか、反応っていうか……人が来るのを待ってた、みたいな」


「俺も同じことを考えていました。場所の特定も、出現のタイミングも。まるで……“誘導”されたかのような」


青木も険しい表情を浮かべる。


「……深層生態の干渉かもね。普通は地表に干渉は出ないけど、階層構造って時々、変動するから」


三崎はそこで、ふと前に読んだ社内レポートの一節を思い出していた。


(階層の“にじみ出し”現象……あれが本当に存在するなら、この迷宮、近く大きな変動が来る可能性もある)


彼は周囲を再確認しながら、警戒レベルを少し上げた。


「今回は幸いにも無事だったが、今後は潜行前に階層動態の最新データを確認したほうがいい。リスクが高まっているかもしれません」


「だな。俺も次は、もうちょっとマジで臨むわ」


「撤収準備、進めよう。帰投は予定どおりで構わないけど、報告内容は慎重にまとめましょう」


青木の一言で、チームは動き出した。


戦闘と採取を終えた今、残されたのは“この異変の正体”という新たな宿題だった。

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