第12話

第12話「原生採取 ― 迷宮の静寂と罠」


設営地点の湿地帯周辺は、想定よりも安定した環境だった。


青木の判断で、日差しを遮る枝葉の下にタープを張り、簡易キャンプの拠点が設置された。周囲には湿潤な地質を好む薬用植物が点在し、採取に適した条件が揃っている。


「これが……《ミズノハの根》。外皮は滑りやすいから、素手で掘らないで」


青木はしゃがみ込んで、ぬかるみに根を張る植物を慎重に掘り起こしていた。その動きには迷いがない。手元の採取デバイスに記録しながら、収集データと比較していく。


「根の内部に含まれるのは解熱成分だっけ?」


「そう。加工次第で外傷用の冷却ジェルにもなるし、医療班が欲しがる素材よ」


三崎は少し距離をとった場所から、周囲の生物反応を《計数解析》で確認していた。


(湿地の奥に向かって微弱な反応が三つ……たぶん草食性の無害種だ。敵性反応はゼロ)


「現時点で脅威はなし。監視範囲も継続して確認中です」


「ありがとう。話には聞いていたけど、あんたのスキル、地味に便利すぎるわ」


青木が軽口をたたく。口調は砕けているが、集中の糸は切れていない。現場指揮官としての優秀さが、静かににじみ出ていた。


一方、日比野は湿地の外周を警戒しながら、短剣を片手に動いている。


「このあたり、痕跡は無し。泥に足跡もついてねぇ。新規の侵入個体は少なそうだな」


「地面の水位が変動していないから、外から大型個体が入ってきた形跡もなし。迷宮が安定してる証拠だね」


須藤が、自作の測定ツールを使いながら、土壌センサーを突き立てていた。


「ま、安定してる迷宮ってのは、逆に言えば……沈黙してる時期とも言えるけどな」


日比野が呟くように付け加えた言葉に、場の空気が一瞬だけ引き締まった。


迷宮が静かなとき──それは、何かが起こる直前でもある。


三崎は振り返り、設営された簡易拠点を確認する。


テント、糧食、採取道具、緊急搬送用ストレッチャー……必要最低限の装備が、効率的に配置されていた。


(この装備で、何がどこまでできるか。支援側としても判断力が問われるな)


タープの下で青木が立ち上がると、手元の端末を操作して今日の採取計画の第一段階完了を登録した。


「予定の三種、採取完了。次は奥の湿地帯──“浮き根エリア”に移動します」


「了解。移動前に10分だけ休憩取って、補給してから進みましょう」


青木の一声で、チームは一旦装備の確認と水分補給に入った。


迷宮の静寂は、相変わらず。だが――その裏に潜む“何か”の気配を、三崎のスキルがわずかに捉えていた。


(数値の振れ……微細だけど、異常反応?)


それは、まだ“騒ぎ”になる前の、かすかなさざ波に過ぎなかった。


――――――


【CHIPS:無害種とは】

ダンジョン内に生息する生物のすべてが敵対的というわけではない。

探索者たちは、脅威となる存在を「害獣(クリーチャー)」と呼ぶ一方で、人間に対して敵意や攻撃性を持たない存在を「**無害種(ノンホストル)」と区分している。


◆無害種の特徴

攻撃性・警戒心が極めて低く、人間を見ても逃げるか無反応


主に草食性または菌食性の小動物が多い


特定のエリア(湿地帯/苔の森/浮き根地帯など)に環境適応した種として定着


自然環境の“生物的安定度”を示す指標になるため、迷宮の静穏期の目安とされている


◆探索者との関係

基本的に干渉・接触禁止(必要な場合は専門部隊の指示を待つ)


観察・記録は自由だが、無断での捕獲や持ち帰りは処罰対象


探索ルートの安全性確認、現地調査、初動分析において重要な存在


◆代表的な無害種(例)

《ウモレネズミ》:落ち葉に擬態する小型齧歯類。地中を移動。


《カサコケトカゲ》:背に苔を生やした微毒性のトカゲ。光に集まる習性。


《ノホホウサギ》:外敵がいないと判断するとその場で丸くなる。生息地の気圧安定指標にもなる。


◆備考

過去、無害種と誤認されていた生物が突発的な環境変異や迷宮の活動変動により“変異害獣化”した事例もあり、油断は禁物である。


――――――


「……動いた?」

須藤が立ち止まり、視線を地面に落とす。


その足元には、落ち葉のように見えた小さな生き物がいた。

丸っこく、淡い茶色。周囲の腐葉土に溶け込むような姿。だが、目だけははっきりこちらを見ていた。


「《ウモレネズミ》だね。ここにいるってことは、風も水も安定してるってこと」


志麻がそっとしゃがみ込み、ポーチから小型のスキャナーを取り出した。直接触れないように注意しながら、生体反応と空気の微粒子濃度を確認する。


「酸素飽和度良好。粒子密度も問題なし。迷宮の《静穏期》で間違いないね」

「へぇ、そんな指標にもなるんですね」

三崎は隣でメモを取りながら、無害種の動きと周囲の地形を観察していた。


(緊張感は保ちつつも、ここは“今のところ”安全という判断になる)


中西と行った前回の探索とは違い、今回は出張任務。より深く、長時間にわたるダンジョン滞在を前提としている。

だからこそ、こうした細かな観察と分析が欠かせなかった。


「……そっち、何か反応ある?」

翼が、護衛役としてやや前方に立ちながら、三崎に声をかけてくる。


「多少の動体反応あり。反応波形からして、こちらも無害種っぽい。群れで動いてるけど、あっちに逸れてく」


三崎の《計数解析》には、木の根の向こうに複数の波形が映っていた。低速で、規則的な脈動。警戒している様子はなく、ただ環境に溶け込むように歩いている。


「迷宮にも、こういう“静かな時間”があるのか……」

「そう。だからこそ、こういう時にどれだけ“見ておけるか”が大事なんだよ」


志麻の口調は、柔らかさの中に厳しさを含んでいた。

植物採取も、技術解析も、こうした環境判断の上に成り立っている。


三崎は端末を操作し、現在の環境ログを保存。微気流、反応密度、無害種の軌跡まで、全て自動で記録されていく。


(環境が安定している時ほど、落とし穴は見えづらい)


経験者たちは、それをよく知っている。

だからこそ、三崎は目を細めながら、次の一歩を慎重に踏み出した。


――――――


(……風が変わった)


三崎は足を止め、空気の流れに違和感を覚えた。

ほんのわずかだが、湿り気と温度が一変している。


「志麻さん。環境ログ、さっきと比べて変動ありませんか?」


声をかけると、志麻が端末を確認しながら頷いた。


「うん、微細だけど空気密度が上がってる。植物の呼吸じゃ説明できないレベル。……こっちに“何か来てる”ね」


「地形的に、この先は渓流状の分岐ルート。地熱で霧が出る場合もある」

須藤が小声で補足する。


三崎はすぐに《計数解析》を起動。

視界に広がる数値の波形の中に、先ほどまでなかった鋭い振動と熱源を捕捉した。


「――発見。方位42度。移動体ひとつ。距離80。反応波形は“濃い”。恐らく中型害獣」


その言葉に、翼が一歩前に出る。


「数は?」


「単独。速度遅め。けど、痕跡がもう一方向に散ってる。こっちは群れの通り道かもしれない」


「……誘導だな。あいつは“偵察型”かもしれない」

翼の目が鋭くなる。


(単独行動に見せかけて、群れの進路を確保するタイプ……ここで放置すれば、後方が襲われる可能性もある)


三崎が呼吸を整えた。

と、その直後。


「見えた。40度、斜面下――来るぞ!」

翼が先に叫んだ。


茂みをかき分けるように、影が走る。

獣というよりは、節足動物に近い形状。鋭く湾曲した前脚と、鎧のような硬質外皮。


「《ケラバウア》か! 厄介なのが来やがった!」


翼が即座に抜刀し、前方へ飛び出した。


志麻と須藤は指示なく後退。三崎もすかさず援護位置に回る。


「距離50、接近中。推定個体サイズ:1.6m、熱量高、突進型!」


「三崎、後方から連携射撃頼む!」


「了解!」


三崎は腰のホルスターから、《DMG-09〈ベクター〉》を抜く。

迷宮環境に最適化されたこのモジュラー拳銃は、通常弾の他にダンジョン由来のexp拡散体を装填可能で、目標の軌道予測と一体化して支援射撃を行える。


(突進が来る――)


視界の波形を読み取り、トリガーを引いた。


パンッ。


一発で、ケラバウアの左前脚の関節部を破壊。

突進の軌道が大きく崩れたその隙に、翼が肩口から斬りかかる。


「もらった――!」


鋼のような皮膚を、鋭い一閃が貫いた。

ケラバウアは絶叫のような金属音を残し、地面に倒れ伏す。


数秒の静寂。

志麻が声を上げた。


「他の反応は?」


三崎が《計数解析》を再展開。


「……今のところ無し。でも、この通路は危険。群れの通り道の可能性あり。引き返した方がいい」


「賛成。情報も取れたし、ここでのサンプル回収は完了ってことで」

須藤が静かにうなずく。


「じゃあ、撤退経路の再確認して戻ろうか」

志麻がまとめ役らしく全体に声をかけた。


三崎は最後にもう一度、視界に広がる数値波形を見つめた。


(この階層……何かが変わってる)


表面上の静けさとは裏腹に、何かが蠢いている気配。

それを、身体のどこかが告げていた。

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