師匠と蛇神の呪い。③


 俺は次の日の朝、河原のテントで旅支度を始めた。ここでの暮らしは短かったが、聖教会に追われることもない平和な日々は悪くないものだった。


 しょっちゅうここにやってきては何くれとなく世話を焼いてくれたアリスはもういない。彼女を取り戻すために、これから俺はやるべきことをやるつもりだ。


 つまりは、蛇神を相手取り勝ち目のない戦いへとおもむくつもりだ。


「弟子が困ってるんですよ。助けるのはマスターの役目です」


 頭の中にそんなアリスの声が響く。


「本当にアリス、お前の言う通りだ」


 そのひとり言に応える声があった。


「アンタには無理よ」

「ルビー、いたのか」

「いるに決まってるじゃない。弟子を助けるのが師匠なら、その手助けをするのも弟子の役目。そうよね、お師匠さん?」

「お前を弟子にした覚えはないよ」

「そうね、アタシもあなたの弟子になった覚えはないわ」


 ルビーの瞳はあまりに泣きはらしていて、その名前みたいに真っ赤に腫れていた。何を思って一晩中泣いていたのか、それを想像すると同情にあまりある。


「ルビー、お前も着いてくるつもりなのか」

「いいえ、旅に出る前に最後にアリスのことを謝りに来たのよ。でも、お師匠さんがそのつもりなら一緒に行ってあげてもいいわ。あなた弱いから道中の護衛が必要でしょ。超優秀な冒険者のルビーちゃんが無料ただで護衛の仕事を引き受けるなんて、本来ありえないことなのよ、光栄に思いなさい」


 ルビーがカラ元気を発揮する中、俺は旅支度を続ける。最後の縄をほどくとテントが横にばたりと倒れた。それを折りたたむと、この河原で俺が暮らしていたという痕跡は完全に消え去る。


 それは前世で逃亡生活を続けてきたときの癖みたいなものだった。アリスとこのテントだけが俺とこの世界をつなぎとめていた。大げさだがそんな風に思えばもう失うものは何もない。


 処刑されて命さえも無くした俺と、今の俺は、どちらも全く同じだ。


「……出発しよう」

「じゃあ、こっちよ。道案内もこのアタシが務めてあげるわ、光栄に思いなさい」

「いや、その前に寄るところがあるんだ」


 俺がそういうと、ルビーが小首をかしげた。


「今更、どこに行くっていうのよ?」

「この事態の元凶に責任を取らせに行くのさ」


 ……とまぁ、ルビーの前では格好つけてみたが、次の瞬間、俺は埃っぽい部屋の中で予測不可能な連続攻撃を避けることだけで精一杯になっていた。


「フラム、お前なら何か策があるはずだッ……うわッ!?」


 話しかけるたびに、部屋の壁やら天井やらから鋭い剣先が光の速度で迫ってくる。フラムは決して攻撃をやめようとしないし、もちろん俺もやめるつもりがないので室内はまるで針山の中みたいだ。この部屋にもう穴の開いていない本は一冊もないだろう。


 さっきまでのルビーとの会話でもそうだが、俺達は旅に出るとしか言っていない。だから、今のところは蛇神の呪いが発言していないが、これからはそうもいかない。蛇神の所に向かい始めれば、いつ呪いが発動するか知れたものではない。


 何か対策を練らなければ、近寄ることも出来ずに全滅するのは目に見えていた。


「頼む、フラムッ……痛ッ!?」


 ついに避けることに失敗して、俺は腕を貫かれた。ジャングルにいるみたいにそこら中が針だらけでもう避ける場所がない……が、諦めてたまるか。


「俺が死んだら、誰が食事を運ぶんだ?」

「……」

「この部屋にもいれなくなるぞ」

「……」


 意外なことにとどめは刺されずに、フラムは本に視線を落としたまま、石像みたいに固まっている。


「頼む、力を貸してくれたらなんでもする」

「……」


 俺はその瞬間、今までにないほどの強い殺気を感じた。頭上からの一撃を俺はよけきれない。フラムの攻撃は俺の肉体を上から下までつらぬ……かなかった。その攻撃は俺の頭でぽんっと間抜けな音を立てて跳ね返った。


「――カフェのケーキ、毎日」


 俺は頭に当たった後で床に落ちたそれを拾い上げる。それは可愛らしいカエルのぬいぐるみだった。


 俺はそれを拾い上げ、フラムに礼を言おうと思ってやめた。これ以上の攻撃は死を招きかねない……いや、マジで。

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