第4章「黙約」

16話「支柱」

〈ヴァルハストから離れた郊外・黄砂の窪地〉


 風だけが、言葉の尾をさらっていく。


「……そうか。やはりルーチェを“支柱”に収めるのは骨が折れるか」


 落ち着いた声。送信機のランプが、ピッと一度だけ点った。


「AAの総司令が頭が切れすぎる。内部に送り込んだ駒は、もう排除されているようで」


 風はまた何もかも受け流す。砂粒がコートの裾を叩いた。


「ノアの準備はできている。各双塔に配置すれば、計画は第二段階に移行する」


「「了解」」


 通信は切れ、影が6つ、砂の向こうへ溶けた。


 


 ————


〈ヴァルハスト・双塔内部/螺旋回廊〉


 ギシ……と手すりが鳴る。石床の上に、まだ靄が薄く残っていた。


 ユウたちは合流し、内へ駆ける。壁には蹴りの跡、扉は内側から割られている。


「ここでやり合ったのか。誰が、何と……」


 角を曲がる。ドアが蹴り破られていた。そこを抜けると——


 ガルド・ヴァン=ヘリオス総司令が、壁にもたれて座り、息を整えていた。


「司令ッ——何があった」


 ブランドが駆け寄り、水筒を差し出す。

 クロエは空気に残る白い霧のにおいを確かめ、足跡と擦れをなぞる。

 ユウは、漂う金属と紙の匂いに記憶の端を掴みかけ、目を細めた。


「お前たち、ここに来る途中、奴らには会わなかったか」


「奴ら?」


 ユウは近づき、先生にもらった紙片を取り出す。端に書かれたOrthusの文字を示した。


「こいつらが、ここに?」


 ガルドは短く頷く。


「ルーチェをここに連れて来い、引き渡せと、連絡があってな」


 クロエが言葉を継いだ。「それで一人でここで相手をしたわけね」


 ガルドは喉に手を当て、落ち着いた声で告げる。


「褐色の肌でハットの男——イデアが厄介だ。私の頸動脈に触れてきた。……油断するな」


(リダス・キャム。録画越しに会話した相手。首の中に触れる——)

 クロエが短く頷く。「了解、警戒を上げる」


「それと——六人いた」


 ユウの眉がわずかに動く。先生の言葉が具体に変わった。


「o印、t印、h印を見た。厄介だ。だが『まだ時ではない』と言って、奴らは引いた。……命拾いしたよ。六人を相手にしたら、私はここで終わっていた」


 ブランドが目を丸くする。「o印!? それって、グレイブが仕掛けていた**“o”**じゃないのか」


 ガルドは目を細めた。「面識があるような口ぶりだった。そして——首にドッグタグを提げていた」


 ッ。

 ユウの背筋が反射で固まる。


「ドッグタグ……そこに何て書いてました、司令」


「一瞬しか見えなかった。だが、私もどこかで見た覚えがある」


 クロエが自然に差し込む。「先生もドッグタグ持ってなかったかしら?」


 その瞬間、ガルドの記憶が結び直された。

 ユウも視線を落とし、「先生も持ってた。——そして、稽古に使って……」


 


 ◆◇◆◇


〈回想/若いガルドと“先生”〉


「お前が師匠か。弟子は大変だろうな、ワハハッ。……まあ、その双印のダグは一人しか持てないってことは、後継者は一人だけってことだろ?」


「あぁ。でもねぇ、ガルド。意思さえ継いでくれれば、形はどうでもいいと思ってるんだよ。……まあ、先に正当な後継者を見つけなくちゃねぇ」


「弟子なんて取らない頑固者が、急にリベラルぶるなよ、ハハハ」


 数週間後。

 稽古場の隅に、小汚れた少年が立っていた。目は乾き、生に執着のない顔。


「彼は——蒼凪 要(かなめ)。遠い東の国の出でね。家族に捨てられてたから、拾ってきた」


 若いガルドは少年に近づき、構えを取る。「雰囲気が、他の子と違うな。……少し組み手しよう」


 少年は無表情のまま、仕方なさそうに前へ出た。


 バシッ!


 一瞬。要は仰向けに落ちていた。

 目を見開く少年。今までにない圧に、呆気を取られて。


「要。ここは、君の負けだ……」


 ガルドは笑い、手を差し出す。


「ガルド君ねぇ、まだ一か月も経ってないのよ、要は」

 若い“先生”が呆れながら肩をすくめた。



◆◇◆◇



 クロエが目の前でひらひら手を振る。「総司令〜、生きてますか〜」


 焦点が戻る。ガルドは腰に力を入れ、立ち上がる。


「思い出した。私は奴を知っている。——奴も私を知っていた」


 ブランドとクロエが顔を見合わせ、肩をすくめる。

 ユウは部屋の隅から静かに言葉を落とした。


「もしo印の男が先生と繋がり、ドッグタグを下げているなら——確認しないと」


 ガルドが低く呟く。「おそらく、o印の奴は……」


 ユウは真っ直ぐに前を見た。

 足が、出口へ自然に向く。


「——団長だ」


 絡み合う運命が、いま同じ塔の中で交差する。

 新しい世界を整えるために動くオルトロス。彼らを押す正義がどこに眠るのか、まだユウは知らない。


——つづく。

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