第六章「還界」

24話「暁の還り道」



崩壊した王宮に、静かな朝の光が差し込んでいた。

 血と影と灰――さまざまな戦いの残響が、ようやく夜明けに溶けていく。


 リュナの復活を喜ぶ仲間たちの輪。その中心で、ユウは目を細めたまま、まだ夢のような現実を噛みしめていた。


 「リュナ……」


 クロエが震える声で名を呼び、セラフィムがそっと肩を抱く。

リーシャも泣きながらリュナの手を握りしめる。

マニックが照れ隠しに帽子を深くかぶり直すと、リュナは「みんな……ただいま」と微笑んだ。


 その傍らで、ブランドがそっとグレイブの拘束具を締め直していた。もはや意識はほとんどなく、うわ言のように「ル……ル……」とだけ呟くその男の顔は、かつての威厳をすっかり失っている。


 クロエはリーシャの肩を借りて立ち上がり、ふとセラフィムの方へ振り返る。

 「今は深く気にしないで。……さ、戻ろう?」


 セラフィムは小さく頷き、マニックと共に荷物の残りを拾い上げた。

 「ここを離れられるなんて、正直、信じられないな……」


 そこへ、城門の方から重い車輪の音が響いた。

 数人の護衛兵と本部の馬車――、それはまるで“勝利”を祝福するかのようなタイミングだった。


 「おいおい、ちょうどいい時に来たな!」

 ブランドが苦笑混じりに言う。


 「本部、仕事が早いなぁ!」

 マニックがいつもの調子で冗談めかす。


 だが、セラフィムは警戒を隠さず首を傾げた。

 「……ちょっと早すぎない?」


 マニックが「きっと先に伝令が届いてたんですよ」と言って場を和ませようとする。

 リーシャは不安げに「もし私たち負けてたら、どうなってたのかな……」と呟く。


 クロエは深く息を吐き、「今はとにかく、無事に帰るのが一番よ」と、皆を促した。


御者が小さく口元を覆い、


「……観測完了――いえ、到着の報を」

 と言い直した。


 簡易検診では体温と脈拍のあと、白布の札が胸に当てられた。

「“名の振れ幅”は安定しています」

随行の一人がそう言うと、セラフィムが小声で


「順番が……変ね」とだけ漏らした。


 仲間たちは順に馬車へと乗り込んでいく。

 クロエは馬車の扉の前でふと振り返り、ユウに静かに声をかける。


 「あなた、本部は初めてよね。大丈夫、今はもう……みんな“仲間”だから」


 ユウは一瞬だけ戸惑った表情を見せたが、すぐに小さく頷く。


 「……ああ」


 誰もがそれぞれの傷を抱えたまま、王都を後にした。



 朝焼けの光が、王宮の瓦礫を黄金色に照らし出していた。

 長い戦いの夜が明け、廃墟の中にも、少しずつ新しい一日が満ちていく。


 城門を抜けた馬車は、しばらく静かな石畳を走る。

 その振動は疲れた身体に沁みて、誰もが無意識のうちに背もたれに重さを預けていた。


 車輪の軋み、馬の蹄音。

 遠ざかる王宮、消えた咆哮と硝煙のにおい。

 それでも、目を閉じると、まだあの玉座の間の暗さが網膜に焼きついている。


 ――リュナは隣に寄り添っている。小さく震えてはいるが、その指先は確かに温かかった。

 クロエはそっとリーシャに体を預け、セラフィムは外の空をぼんやりと眺めている。

 マニックは、何度も落ちかけた帽子をいじり、無言で車窓の影を眺める。


 ブランドは窓に肘をつき、静かに前を見据えていた。彼の視線は、何かを探るように遠くへ、まだ届かないものを求めていた。



 馬車の中には、しばらく静寂が流れていた。

 揺れる車輪のリズムだけが、かつての死闘を遠ざけていく。


 リーシャは、リュナの手を離さずに座っている。

 クロエは肩で息をしながら、窓の外に流れる城壁を見つめながら

 ふとリュナに視線を向け問いかけた。


「……リュナ、グレイブに記憶も存在も消されたのに、どうして“還って”これたんだろ思い当たる節はあるの?」


リュナは、そっと自分の胸に手を当てる。


「……たぶんね。誰かが“名”を、

ちゃんと覚えててくれたから。私がこの世界にいない間もきっと、誰かの中に“リュナ”が残っててくれた。

だから……私も、戻る道が見つけられたんだと思う」




 セラフィムは目を閉じて何か考え込み、マニックはぼんやりと空を見上げている。

 ブランドが、ふとユウの方へ顔を向けて、静かに口を開いた。



 「なあユウ……お前、どうやってあそこから戻ってきたんだ?」


 全員の視線がユウに集まる。


 セラフィムも、顔を上げる。

 「私も……気になっていた、リュナの事もユウ、

アンタの事も」


 クロエも微笑みながら、「あなたが倒れてから、私たちみんな、絶望しかけてたのよ」とそっと言葉を添える。


 ユウはしばらく黙っていた。

 静かに外の景色――夜明けの光が混じる森の彼方を見つめる。


 車内の空気が、少しだけ張り詰めた。


 やがて、ユウがぽつりと呟く。


 「……あの時、俺は……」


 言葉の途中で、ふっと視界が滲む。



 ――暗闇。

 身体の輪郭がほどけていくような、永遠の夜の中で。


 ユウの意識は、どこまでも沈み込んでいった。


 (……ここは――)


 自分がどこにいるのかもわからない。

 ただ、深く、静かな虚無の底。



 音も、色も、重力も消えた世界。

 唯一残っているのは、“感覚”だけ――

 痛みも、疲労も、重さも、不思議なほど遠くでぼやけていた。


 この虚無は、夢か現か。それすら分からない。


 (俺は……死んだのか?)


 ふと胸に、名残の痛みが浮かぶ。

 けれど、それもどこか現実味を失っていく。


 自分の輪郭が、滲むようにほどけていく。

 記憶の断片が、雨粒のように降り注ぐ。


 ――仲間の顔、剣の感触、桜の花びらの温もり。

 ――けれど、どれも遠い昔の記憶のように、指の間から零れ落ちていく。


 (……まだ、終わっていないのか?)


 心の底で、誰かの声が響く。

 その“誰か”が、自分自身なのか、あるいは他人なのかも分からない。



 ――その闇の奥で、小さな声が聞こえた。


 「……どうして、泣いてるの?」


 それは、どこか懐かしい、しかし決して思い出せない“自分”の声だった。


 「大丈夫。

 きみは、まだ終わってない。

 約束したでしょ。きみは、絶対に――」


 ユウは、必死にその声の主を思い出そうとする。

 だが、何か大事なものに手が届きそうで、届かない。


 闇の奥で、幼い誰かの姿がぼんやりと浮かび上がる。

 小さな手、小さな背中。

 ――剣を握りしめていた、あの日の“自分”のような面影。


 「――きみが、終わらせるんだよ」


 その囁きが、確かにユウの胸を貫いた。



 (……この声、どこかで――)


 ユウは闇の底で、自分の足元を探る。

 靄の向こうに、何か大切なものがある気がして。

 だが、その正体は曖昧なまま、遠ざかっていく。


 声はなおも、優しく、どこか寂しげに囁き続ける。


 「――もし、つらい時がきたら思い出して。

 きみが“終わらせる者”でいられる理由を」


 ユウは、名前を呼ぼうとして、声にならない。



 馬車の外は、もう朝焼けの金色に染まっている。


 ユウはそっと目を伏せた。


 「……ありがとう」

そっと呟き

 それは、仲間たちにも、もう一人の“自分”にも向けた小さな声だった。


「あの時、意識が遠のいて行く中...」


 クロエがそっとユウの肩に手を置く。

 

 誰もが聞き入り

 ただ、車内に静かな安堵の空気が広がる。


“本当の自分”だけが呼びかけを待っているような気がした。


 答えのない問いが、静かに物語の底で息づく。


 “誰が、あの声の主なのか”――

 “なぜ、自分は生きて帰ってこれたのか”――


 その謎が、ユウの胸で淡く揺れている。


(つづく)

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