第十一話 予兆

 隅田川の河原で雄馬は一人寝転がりながら夕焼け空が、燃えるような茜色から、夜の静けさを孕んだ深い藍色へと、柔らかなグラデーションを描く空を流れる雲をぼんやりと眺めていた。


「ちくしょう…。香織も美咲も何なんだよ…!」


「わけわからんねぇ…!俺がなにしたって言うんだよ…!」


 雄馬は悶々とした感情に心を支配されていた。


(……考えるだけ無駄だ。)


 体を横向きにすると、風が頬を撫で、土と草の匂いが混じり合った。


「…くそ!」


 あんなに暑かった夏も終わりを迎え、季節は初秋に移り変わろうとしていた。雄馬のポロシャツの襟を少し肌寒い風が吹き抜ける。


「――よし!」


 悶々とした感情のまま雄馬は立ち上がる。


 雄馬はその足で秋葉原のゲームセンターに向かった。彼は鬱憤を晴らすべく対戦格闘ゲーム『ストリートファイター6』のプレイに没頭することにした。


 雄馬が操作するリュウは強かった。


 その対戦格闘ゲームはオンラインに連動しており、どこか別の場所から対戦を申し込まれるも雄馬はその華麗なゲーム裁きで次々と打倒していく。ゲームセンターの筐体のボタンを叩く雄馬の手は強くなっていた。


「ふん!どんなもんだ!」


 雄馬の連勝記録は156連勝に達していた。


 その時だった。新たな対戦者がオンライン乱入してきた。


『"A challenger has appeared!" (挑戦者が現れました!)』


「ふん。この俺に挑戦してくるなんて身の程知らずめ。どこのどいつだ。」


 だがその対戦者(豪気)は強かった。


 雄馬の一瞬の隙を突かれ、流れるようなコンボ攻撃で、雄馬は為す術もなく体力を削られた。雄馬の連勝記録は156でついに途絶え、初の敗北を喫した。


「ちくしょう!そんなんありかよ!」


 思わず筐体を叩く雄馬。


 一方その頃、ホノオの自室では――


 対戦相手は雄馬のライバルであるホノオだった。


「ふふん。甘いな。」


「この『筆跡』という奴、中々やるが、まだ甘いな。」


「そのパターンはすでに攻略済みだ、フハハハ!」


 ホノオは自室のデスクトップPCのモニターに向かって高笑いを上げていた。


 「おおー。さすがはホノオさんだ。」「あそこからそんな切り替えしがあるとは。」元ホノオチームのメンバーたちは口をそろえてホノオの華麗なゲーム裁きに驚いていた。


「うわー。ホノオさん強いのね。」


 横で見ていた香織はホノオに笑顔を向けていた。


「ふふん。」


 ホノオは余裕の表情を香織に向けていた。


「香織ちゃんもやってみるか?」


 ホノオの言葉に、香織は一瞬ためらった。ゲームはあまり得意ではない。でも、ホノオが楽しそうにプレイする姿を見て、少しだけ興味が湧いていたのは事実だった。


 「え?私に出来るかな…?」と口では言いながらも、香織の視線はキラキラとモニターに吸い寄せられていた。その表情には、新しい世界への好奇心と、少しの戸惑いが入り混じっていた。


「はい、どうぞ。」


 ホノオは香織にアーケードコントローラーを譲った。


 「よーし!」香織はそう言うと、気合を入れるように、白いブラウスの袖をキュッと腕まくりした。初めての挑戦に、少しだけ胸が高鳴る。


 アーケードコントローラーのレバーを握る香織の手に力が入る。


(よーし、頑張るぞ……って、あれ?どうやるんだっけ?)


 香織はぎこちない手つきでレバーを動かし、ボタンを叩いた。豪気は、まるで彼女の意図に反するかのように、覚束ない動きを繰り返す。


「あ、なんか変な技出ちゃった……」


 画面の端で、ホノオチームのメンバーたちが「あー、そこはガードだよ!」「もったいない!」と声を上げるのが聞こえる。


 場面は変わり、秋葉原のゲームセンターでは――


 「ちくしょう。「吼えろ炎ペン」とかふざけた名前つけやがって。何者だ!今度こそやっつけてやる!」


 雄馬は百円硬貨を入れて自分を倒した相手に、挑戦状を叩きつけた。


 ホノオの部屋で『ストリートファイター6』をプレイする香織の画面に『"A challenger has appeared!" (挑戦者が現れました!)』が表示される。


「あ!」


 思わず香織は驚く。


「ふふん。さっきの奴だな。」


 横で見ていたホノオは笑みを浮かべる。


「香織ちゃん。やっちゃえ!やっちゃえ!」


 ホノオチームのメンバーたちは香織を応援した。


「よーし!」


 アーケードコントローラーのレバーを握る香織の手に力が入る。


「今度こそ負けないぞ!」

 雄馬はゲームセンターで一人意気込んでいた。


 だが雄馬はあっさり対戦者を倒してしまった。


「あれ?こんなに弱かったかな??あっさり勝てちゃったぞ」


「ううー。ホノオさーん」


「よーし。今度は俺にやらせてくれ!香織ちゃんの敵討ちだ」メンバーたちが名乗りを上げる。


 ホノオは椅子から立ち上がる。「俺、ちょっとタバコ買ってくるわ。お前ら何か欲しいものあるか?」


「あ。じゃあ俺、アレお願いします。最近コンビニで発売された話題の、」「ああ、俺もそれで。」「俺もー。」


「じゃあ、ホノオさん。私はミルクティーでお願いします。」香織はホノオに笑顔を向ける。「わかった」と返事を返し、ホノオは部屋を出て行った。


 ホノオがタバコとメンバーたちの買い物のために出掛けていると、歩道橋の上に見慣れた人影を見つけた。


「ん?あれは美咲ではないか。あんなところで何を……」


 美咲は目に涙を浮かべ、虚ろな表情でゆっくりと歩道橋の手すりに手を伸ばしていた。その視線の先には、闇に沈む街の明かりが広がっている。まるで、自分だけが取り残されたかのような、寂しい光景だ。


(もう、何もかも終わらせてしまいたい……。)


「まさか、あいつ…!」


 ホノオの胸に、嫌な予感がよぎる。(これは、ただ事ではない……!)


 美咲が、かすかに震える声でつぶやいた。

「雄馬くん…ごめんなさい……。」


 その言葉とともに、美咲はふわりと体を乗り出そうとした。


 その瞬間――。


 ホノオの手が、美咲の手を強く掴んだ。


「何をしようとしているんだ、美咲!」


 美咲は、驚きと混乱が入り混じった涙目で、ゆっくりとホノオを振り返った。


「美咲……。」


 ホノオは、美咲の震える手から切実な心の痛みが伝わってくるのを感じた。彼は迷わず彼女の腕を力強く引っ張り、歩道橋から引き戻した。そして、人気の少ない都内の自動販売機の傍にあるベンチまで美咲を連れて行き、二人は静かに腰を下ろした。


「………。」


 美咲は肩を震わせ、膝を抱え込むようにして、小さな塊のようにベンチに座っていた。顔を上げようとせず、乾いたアスファルトを見つめている。


 ホノオはポケットからタバコを取り出し、火をつけた。「ふー」と長く煙を吐き出すと、夜空を見上げながら静かに美咲に語りかけた。


「何があった?」


 ――美咲は、ホノオにその胸の内を、余すことなく語った。


「そんなことが…。」


 ホノオは美咲を連れて自宅に戻り、神妙な顔でメンバーたちから頼まれた物を置いた。


 「ホノオさん待ってましたー」「いつも悪いっすねー」とメンバーたちはホノオに感謝の言葉を並べる。するとホノオは「香織ちゃん。ちょっと良いかな?」と言って彼女を外に連れ出した。


 そしてそこにいたのは目を真っ赤に晴らした親友の美咲だった。


「美咲…。」


 香織は悲しい顔で彼女を見つめていた――。



 ゲームセンターでストリートファイター6の対戦プレイに夢中になっていた雄馬のスマホが、突然、筐体の上でブルブルと震え、着信メロディが鳴り響いた。


『燃えろファイアー!たーたーかえー!』


 雄馬はスマホを手に取った。だがそこには見慣れない携帯番号が表示されていた。


「ん?誰からだろう?」


 雄馬は電話に出た。電話の向こうから三十代半ばの男性の声が聞こえる。


『雄馬くんかい?』


「はい。どちら様ですか?」


『えっと、覚えてるかな?君が高校生の頃に持ち込みした時の編集者だよ。』


「え?」


『ほら、君が描いた「夕焼けニャンニャン」だよ。』


 雄馬は高校生の頃に、漫画出版社「秀英社」に持ち込みをしていた事を思い出した。


「あー、あれか。どうしたんですか?」


『実はね。あの作品を見直すことになって、特別に「佳作賞」を出すことになったんだよ。』


「え!本当ですか!」


『今どこにいる?』


 雄馬の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。まるで、諦めかけていた夢に、突然光が射し込んだような感覚だった。


「秋葉原のゲーセンです。」


『今からそっちに行く。詳しいことはあとで話そう!』


 それだけを伝えると電話は一方的に切られた。そのことから相手が急いでる様子が雄馬には感じられた。


 絶望の淵にいた雄馬の心に一筋の光が灯る。突然の出来事に困惑していた彼だったが、じわじわと喜びが沸いてきた。


「やったーー!!」


 思わず雄馬は叫んでいた。周囲の客は、突然の叫び声に驚き、一斉にこちらを振り返った。




第十一話 完

第十二話に続く

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