言うべきか言わざるべきか
「あー聞いちゃったか、瑞月ちゃん」
「やっぱり秋津さん知ってたんですね」
「まあ、マネージャーの情報網は広いからねえ」
で、わたしは伊那沢さんのうわさを、タイミングを見てポツリと話してみた。
そしたら、秋津さんがため息をつくのがはっきりとわかった。
「ところで誰から聞いたのそれ?」
「えっと……明神君からです」
それを聞いた秋津さんの息を吐く音が、わたしの部屋中に響き渡る。
「そっか、まあいずれどこかで聞いちゃうとは思ってたし、遅かれ早かれかな」
「秋津さんは、朝日が伊那沢さんを好きになったって聞いたとき、うわさを知ってて黙っていてくれたんですよね」
あの時の秋津さんの割り切れない感じは、伊那沢さんについての悪いうわさをすでに聞いていたからだ。
「うん。あそこでいきなり朝日くんにショックを与えるようなことは、言いたくなかったからねえ」
秋津さんの声を聞きながら、わたしは壁にもたれかかって座り込む。
壁一枚隔てた向こうは朝日の部屋だ。
薄い壁越しに、朝日が台本を読むのが聞こえる。
「どうしてそんなこと気にするんだ?」
「な、なんでだよ!」
小さな声でも、ずっと一緒にいるわたしにはわかる。
朝日は目の前の台本に真剣に向き合い、いい演技をしようとしていると。
確かに、頑張ってる朝日に水を差すようなことは、わたしも言いたくない。
「で、瑞月ちゃんは朝日くんに話したの?」
「いえ、わたしも話してないです。朝日を悲しませたくないので」
でも。
わたしが明神君から聞いたように、朝日も。
「とはいえ、朝日もそのうちうわさを聞いちゃうんですよね……」
「だと思うな私も。それこそ明神が知ってるなら、どこかでポロッと喋っちゃってもおかしくない」
少なくとも明神君は、朝日の姉であるわたしに対し、そんなにためらわずにうわさのことを話した。
なら多分、朝日にも機会があれば同じように話すのだろう。
「今から明神君に口止めするのも、変ですもんね」
「というより、明神じゃなくても、他の子が朝日くんに話すかもしれないよ」
秋津さんの言う通りである。
本当に、芸能人ってこういううわさ話好きなのよね。
……はあ。
わたしからも、思わずため息が漏れる。
「まあ、かといって私や瑞月ちゃんから今話す必要も無いと思うよ。知ったときに、朝日くんが考えれば良い」
秋津さんは、最後にそれだけ言ってから、次の話題に移っていった。
でもわたしは、頭のどこかでどうすればいいのかという考えがぐるぐる回っていて。
朝日が嫌な気持ちになるから、言わなくてもいいことは黙っておくべきなのか。
どうせそのうちバレるのなら、とっとと言ってしまったほうが朝日のためなのか。
「伊那沢さん、髪切ってたんだよ。役作りのためなんだってさ。でも、こう雰囲気変わってさ……」
でも、そう楽しそうに話す下校中の朝日を思い出すと、結論は出なかった。
***
「おはようございます!」
「おはよう大宮。悪いけど、今日シーン21から先に撮っちゃうから準備しててくれ」
わたしが言うべきか言わざるべきかをずっと考えてたら、いつの間にか土曜日になっていた。
今日は朝日のドラマ撮影に1日付き添いだ。
大小様々なスタジオがある東京湾岸のこの建物に着いたのが、朝8時。
1日にいくつもの撮影が並行して行われており、すでにいろんなスタッフがあちらこちらを駆け回っている。
それに混じって、見覚えのあるタレントさんの姿もちらほら。
「じゃあ朝日くん。私はちょっとドラマスタッフと話があるから。瑞月ちゃんは一緒に来る?」
「いえ、わたしは朝日といるので」
一番奥にある最も大きなスタジオまで朝日を送り届けると、秋津さんは一旦スタジオの外へ。
それを見送ると、朝日が大きく息を吐いた。
「あー……どうしよ」
寝ぼけまなこで頭をかきむしろうとする朝日の右手をわたしは止める。
「もう、これからセットしてもらうんだからダメでしょ。ほら朝日、シャキッとして」
スポーツドリンクがたっぷり入った冷たい水筒を朝日の頬に当てると、朝日の肩が一瞬ピクリと上がった。
「わかってるよ。昨日ギリギリまで台本チェックしてたからさ」
「今日朝日のセリフ多いからね。それに1日びっしりだし」
「そうそう。でも、今日が正念場。今日の俺への評価は、今後の俺への評価につながる」
振り返った朝日の顔は、一瞬でキリッと決まる。
目が見開かれ、表情にもう幼さは無い。
行きの秋津さんの車の中でうたた寝していたというのに、ほんの数分でなんという変わり身の速さ。
わたしとの会話の中で多彩な顔を見せた明神君もだけど、芸能人はやっぱり顔の使い分けが必須なんだ。
って、なんでここで明神君が出てくるのよ!
わたしとミステリの話で盛り上がったときの明神君と、冷たい感じで伊那沢さんの話をしてきた明神君は、確かに別人のようだったけど。
「そうだ、姉貴。1個聞いて良い?」
「えっ、わたしに? 何?」
ほら、動揺してるじゃないのわたし。頭を抑えたって何も変わらないのよ。
というか、せっかく朝日がわたしに質問しようとしてるのに……
って、わたしに朝日が質問? 聞いてくれるのは嬉しいけど、本当に何を?
落ち着け落ち着け。朝日が困ってるなら助けてあげないと。でも何だ?
色々考えるわたしをよそに、朝日は台本を取り出す。
「他人に惚れたら、やっぱりそれで頭いっぱいになっちゃうものなのかな」
……えっ?
わたしは思わず固まる。
台本を出してきたから、てっきり演技プランで迷ってるものだとばかり思ったのに。
ここで、恋の相談?
それもわたしに?
いや、してくれるのは嬉しいのだけど。
わたし、顔立ちが中性的なせいか基本的に男子よりも女子に頼られるタイプだったから、正直男子の気持ちなんてそんなに……
「そ、それは……人によるんじゃないかな?」
適当に答えてしまうわたし。
それに対し、朝日はあくまで真剣に台本をにらんでいる。
「そうか……いや、ここのセリフって、もっと好きになった人のことばかり考えていそうな気がしてさ」
――って、なあんだ。
やっぱり演技の話じゃないか。
わたしはほっとして、朝日の持つ台本を覗き込む。
「うーん、わたしは読んでも特に違和感は無かったのだけど。監督や脚本の人からはなんか言われたの?」
「特に。ただ、この前後のセリフが結構気持ちこもってるから、ここだけ何か薄い気がするというか」
「大宮さーん! そろそろメイクお願いしますー!」
と、入口のところでスタッフさんが声を張り上げた。
仕方ない。朝日との演技相談はここまで。
「おっと、じゃあ俺行ってくるわ」
「うん。待ってるね」
立ち上がった朝日が、スタッフさんのところに向かって、そして扉の向こうへ消えていった。
あれ。
朝日が今見せてきたシーンって、そんなに好きな子について考えるシーンだったっけ?
わたしは事前に撮っておいた、朝日のセリフが載ってる台本の写真をスマホに表示する。
――やっぱそうだよね。
確かに朝日が今回演じる男子高校生には、好きな女子がいるという設定がある。
けど、朝日がさっき読んでいた部分の台本は、好きな子について想いを語るシーンではない。
というか、場面の緊迫さを考えるとそんなこと語ってる余裕はないはずなのだ。何しろ行方不明になっている友達を必死に探している状況なのだから。
じゃあなんで、朝日は好きという方向性で演技を考えていたんだ?
もしかして、伊那沢さんが好きな自分と、この役を重ね合わせている……なわけないか。
そこの切り分けはしっかりやってよね、朝日。
あなたがおっちょこちょいなのは、普段の生活のときだけでしょ。
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