第四話 言の葉、初めての声~斎視点~
黄に朱を交えた色が西の空を染め上げる頃、我は一人、社へと戻った。
鳥居をくぐり、手水舎が帰宅を迎える。
我としたことが、どうやら少し先走ってしまったようだ。てっきりこちらに来るものだと思って用意をしたのだが……。
手水に浮かべた色とりどりの花たちは、誰にも見られることなく、ただそこに浮かんでいた。
「――君のため、散らせし花よ、許されよ。誰にも触れず、ただ濡れしだけ――」
花たちへ詫びを込め歌を詠むと、少し重い足取りで社の裏手へと回った。戸を開け、その足で居間へ入り、部屋を見回す。
色とりどりの紙で作られた飾りが、部屋の中を走っていた。
今朝見た光景と同じはずなのだが、何故か今はとても“滑稽”に見える。
机の上には三角帽子と術で保存したケーキが置かれ、立てられた八本のろうそくが火をつけられるのを今か今かと待っていた。
「片付けねばな……」
はぁ……。
どうしたことか、胸になにかが閊えたように重苦しさを感じ、ため息をつく。
三角帽子を手にすると、ふとそれを被りケーキを頬張る蓮の幻が見えた気がした。
馬鹿馬鹿しい……。
我はその幻を打ち消すように強く首を振った。
飾り付けた紙をひとつひとつ外していく。
そうしながら脳裏に過るのは、滝つぼでの楽し気に笑う蓮の姿だった。
小河童たちに囲まれ、踊り、はしゃぎ、そして―― 母親が好物を作ってくれると自慢していた時の……嬉しそうな満面の笑顔――。
その時、我の胸の中に得も言われぬものが生まれるのを感じた。
――次の瞬間――胸奥がざらりと軋み、術式が反応したのを感じた。
この気配――渡したばかりの守護の守り。
あれは、蓮の身に“異変”を感知した時に発動するよう作ったものだ。
――まさか渡したその日に役に立つとは。
我は意識を目に集中させ千里眼を使う。
千里眼は滝つぼを進み、森を抜け、街へと向かう。
守護の守りの気配を頼りに目を使い――見つけた!!
――蓮!!
蓮は酷く咽込み、側にいる母親がカラスに攻撃を受けていた。微かに瘴気の気配があったのを感じる。守りが起動したときに内部に仕込んでおいた術で吹き飛ばされたのであろう。
「待ってろ蓮! 今行く!!」
我は本来の姿へと戻ると急ぎ空を駆けた。
早く、早く、もっと早く――
蓮のアパートへ着くと人型に戻り、そのまま玄関へ飛び込む。
そこで目にしたのは――蓮の、泣き叫ぶ姿だった――
「ごめーなさーごめなさーーまーま、ごめなさーー!!」
それは、喉を裂き、魂を削るような――哀願だった。
我は一瞬動きを止めた。
(声を持たぬ子が、初めて声を得て発する言葉が――これ――なのか……)
まだハッキリと発音が出来ぬ声は、掠れ、細く、それでも必死に訴え続けていた。
我は咄嗟に蓮を抱きしめた。強く強く、己の存在を知らしめるように、蓮を抱きしめ続けた。
蓮から流れ込む感情が、何があったかを我に知らせる。
冷たくされようとも記憶の中にある優しい母を、期待し、求め、そして…… 最悪の形で否定された憐れな子供……。
この小さな命が、今まで一人で全てに耐えてきたのだと――思い知らされた。
ああ、神よ。 いったい何者が、何故これほどまでに悲しい存在を作り給うたか。
もう――抗えぬ――。
我は神の使いである理を超え、この存在を守る者となろう。
「蓮――帰ろう――」
* * *
社へ戻った我は蓮を布団へ寝かしつけ、悪夢を見ぬよう祓いの鈴を鳴らし、枕の下へ夢喰いの札をそっと差し込んだ。
共にいたカラスがバサッと羽ばたき、その姿を変えた。
背には濡れ羽色の大きな羽に、髪はまるで闇を流した絹糸。一方の瞳は、黒曜石の刃を思わせる鋭さと深さを湛えていた。
「あの女……てめぇの子に手ぇかけやがった……許せねぇ。畜生以下だ、あんなもん……!」
「ああ……さっき蓮の感情が流れ込んできたときに……見た」
「どうすんだ? 放っておくのか?」
――否――
我は障子を開け、縁側へと立った。
すっかり日が落ち、空には冷たい色を放つ月が、掛かる雲を怪しげに照らしている。
髪を一本抜き息を吹きかけると、式が生まれた。
「――行け――」
式はくるりと回転した後、街へと向かい空を駆けだした――
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