過去編レン視点②
デビューしてから一ヶ月、もう九月と言うのに気温が三十度を超えるのが当たり前になっていた。私が学生の時はちゃんと九月は冷えていたな。まだ種類はわからないけど蝉の声が聞こえてたりした。レッスン室のエアコンの調子が悪くなり、冷房がいつもより頼りないのに室内までに蝉の声が響いたらより暑くなる。
「ちゃんと水分とってね。体調が少しでも悪くなったら報告してね。休憩にするから。」
私がそういうと三人は声を合わせて返事をする。グループのコンセプトに合ったクールな返事だった。ルリは笑顔だが、暑さが不快なのかカナはいつもより俯きがちだし、メルは「エアコン壊れたのならレッスンなんかさせないで帰らせろよ。」と分かりやすく顔に書いてある。……気持ちはわかるし、今の時代はそれが正しいんだろうけど。二週間後のワンマンライブまでに新曲のパフォーマンスを完璧に仕上げたいし、多少は無理をしてほしいとプロデューサー兼社長にもお願いされた。自己満足の罪滅ぼしに一人二本ずつのスポーツドリンクを自腹で購入してレッスン前に全員に渡した。四百円分の水分で許してもらえるとは思ってはいない。……今日は私がトレーナーを任されてるから頑張らないとな。
『深海真珠』、新しい曲はブルエコには珍しいバラード調のゆったりしたテンポの曲だ。勢いで誤魔化せない、踊りには繊細さが求められるし、音域も広めで、今のメンバーには難易度の高い曲だな、と思った。メルの声と相性が悪いのにこの曲は何故かメルのパートが多い。彼女は苦戦しているようだ。カナも声の相性が合っていないが大事なパートを任されている。この曲はルリの透き通るようなクリアな声の方が合いそうなのになぁ。いつもプロデューサーが歌割りを決めているけど、相変わらず偏っている。
「メルちゃん、Cパートの歌い出し苦しそうだけど大丈夫?フルカワさんに頼んで歌割り変えてもらえるかもだけど……。」
「……っ!いえ!レンちゃん!メル頑張ります!お気遣いありがとう〜!」
「カナちゃん、ラストにポーズ入れたいんだけど、……まってちょっと描くね。こっちと……こっちどっちが良いかな。」
「……どっちも良いと思います。レンさんの好きな方で良いですよ。」
「ルリちゃん、大丈夫?ここまででなにか分からない事はある?」
「大丈夫です。レンちゃんの教え方が上手で、今は特に困っていません。」
リーダーは難しい。私はブルエコになる前まで人の上に立った事は無かった。このグループで年齢が一番上だから任されたのだが、慕われている気はないし、ちゃんとリーダーを出来ている自信もない。向いてないとしても任されたならその期待に応えたい。でもメルとは十歳以上離れているし、価値観とか考え方が全然違うのかもしれない。私のやり方は古くて鬱陶しいと思われているのかも。だからと言って、私を捻じ曲げて若い子の意見に合わせるのも違う気はする。分からない、私は。どうしたら。
「……そろそろ休憩しようか。」
心がずっとバラバラな気がする。私のファンは、きっと私がグループのリーダーとしてしっかりメンバーをまとめている姿がみたいと思うのに。三人は軽く返事をしてスポーツドリンクを手に持って会話する事もなくそれぞれに休憩を始めた。
これでちゃんとグループになれるのかな。イナズマショウジョの時の方が、みんな仲良くて、一体感あって、グループって感じしてたな。
──ことん。
静寂なレッスン室に小さな音が響く。
「ルリ?」
ルリがペットボトルを床に落としたようだった。ルリは急いでしゃがみそれを拾い上げようとする。
「……?」
しかし動きが止まる。私は小走りで駆け寄る。
「大丈夫……?どうかしたの?」
「指が……動かなくて。つっちゃったのかな。」
「……!えと、ほらキャップ開けたから左手で持って飲んで。」
「え、あ、ありがとうございます。」
指先がつるのは脱水の初期症状だ。昔お父さんが指が攣った数十分後に熱中症で倒れた。……幸い大事にはならなかった。
私はルリに軽く事情を話して冷房の効いた事務所の椅子に座らせた。ルリは意地でもレッスンを受けようとするのでリーダーの言うことを聞くようにとキツく言うと、彼女は俯いた。これで彼女からも嫌われてしまったな、でも彼女が倒れて最悪な事態になったら会社に迷惑がかかるしリーダーとしての責任も問われる。そして何より、彼女を思うファンが悲しむ。だから良い。リーダーは嫌われる仕事だから。……私もイナズマショウジョの時のリーダーは嫌いだったし。
「……え、その話本当なんですか?」
「うん、リンリの方からグループを抜けさせて欲しいって。……このご時世、ライブをしたら叩かれるしリンリも精神的に病んでしまったみたいだから。しばらくお休みが欲しいって。」
「それなら脱退じゃなくて、落ち着くまで休養でも……!」
「リンリの希望だから、俺からはもう何も言えないよ。」
新しい感染症が流行って順調だったイナズマショウジョが勢いを止めた。そんな中、私と同い年でリーダーだったリンリがいの一番にグループを抜けていった。彼女が辞めてから、それに続いてほとんどのメンバーが引退を決意して、……残ったのは私一人、グループは解散の形になった。
「最後にファンのみんなとライブをして、それでお別れしたいです。」
「……ごめん、それは出来ない。」
「でもこのままだと私……!」
「レン、気持ちは分かるよ。できる限りレンのやりたいことはやらせてあげたい。でも俺はさ、夢を叶えてあげる慈善活動家じゃないんだ。ビジネスをしているんだ。レン一人で会場を埋められないでしょ?」
イナズマショウジョはそうやって音もなく静かに終わった。……その一週間後。
「なに、これ……。」
リンリがえるまにあの新メンバーとしてデビューした。えるまにあはライブに力を入れているイナズマショウジョと違い、動画投稿やライブ配信にも力を入れていた。だから感染症で沢山のグループが痛手を受けている中、生き残った。リンリは活動が自粛されているイナズマショウジョに見切りをつけて、乗り換えていった。賢い選択だ。でもあんたはリーダーでしょ?あんたが抜けて、それで残された私達はバラバラになって終わったのに。
えるまにあがバズって人気になっていくのを見ると複雑な気持ちになる。リンリが人気者になるのを見ると複雑な気持ちになる。
……彼女みたいにメンバーを裏切りたくない。グループが終わるとファンが悲しむ。ファンを悲しませるアイドルは私の好きなアイドルではない。私の好きな私じゃない。頑張らないと、頑張らないと、頑張らないと。
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