風雲児と風の女

私は、商人として、絵師として、時には茶人として、各地の大名たちの間を渡り歩いた。

甲斐の虎、武田信玄。越後の龍、上杉謙信。彼らの川中島での死闘を、私は丘の上から見守っていた。互いの知略の限りを尽くし、命の全てを燃やし尽くすような、凄まじい戦い。信玄の巧みな兵法も、謙信の鬼神の如き武勇も、そして、彼らに付き従う勇猛な騎馬隊も、確かに賞賛に値した。

だが、その光景を眺めながら、私は懐から取り出した新型の火縄銃の、冷たい鉄の感触を確かめていた。


「美しい……。だが、これも、もうすぐ過去の光景となる」

もうすぐ、個人の武勇など、何の意味も持たない時代が来る。訓練された足軽が、この鉄の筒を構え、引き金を引くだけで、十年修行した武芸者も、百戦錬"磨の猛将も、等しく、ただの肉塊へと変わるのだ。


そんな中、私は茶の湯の世界に、より深く心を沈めていった。

戦(いくさ)と戦の合間に、束の間、生まれる静寂。簡素な茶室で、一碗の茶を点(た)てる。そこには、身分も、富も、敵も味方もない。ただ、人と人とが向き合う、一期一会の空間が広がる。千利休が説く「わび・さび」の精神は、殺伐としたこの時代に、人間が人間であるための、最後の砦のようにも思えた。

私の点てる茶は、評判を呼んだ。また、私が描く、大胆な構図の屏風画や、力強い筆致の障壁画は、新興の大名たちに、己の権威を示すための道具として、ことのほか重宝された。


そんなある日、尾張の国の、とある小さな城下町で、私は一人の女と出会った。

私が茶を点てていた茶室に、まるで風のように、音もなく忍び込んできた女がいた。その気配に、私は驚きもしなかったが、その身のこなしは、常人のものではなかった。

「……あんたが、噂の茶人か。織田の若様に、茶を点ててやってくれと、殿からのお言伝だ」

女は、そう言って、私に書状を差し出した。

彼女は、自らをミウと名乗った。織田信長という、うつけ者で名高い、若き大名に仕える、「くノ一」だという。

私は、彼女の身体能力に興味を引かれた。それは、鍛錬だけで到達できる領域を、僅かに超えている。

「お前、面白い体をしているな」

「あんたもな。ただの茶人じゃあるまい」


ミウは、山で生まれ育ち、産まれつき人並外れた身体能力を持っていたという。山の外の世界に興味を持ち、親の反対を押し切って里を下り、その能力を活かせる、くノ一の道を選んだのだと、悪戯っぽく笑った。その姿に、私は、かつて出会った誰とも違う、生命力そのもののような、眩しさを感じた。


私たちは、すぐに恋仲になった。

彼女は、今川義元に嫁いだ姫君の側に仕え、その内部情報を、信長に送る任についていた。私たちは、敵地の真ん中で、密かに逢瀬を重ねた。諜報活動の合間に、彼女は、私が設計した城の石垣を、猿のように駆け上ってみせたりもした。


そして、その一週間後。永禄三年、西暦1560年。

その日は、朝から、土砂降りの雨だった。

今川義元率いる二万五千の大軍が、尾張へと侵攻。対する織田軍は、わずか二千。誰もが、織田の滅亡を確信していた。

その戦場で、私はミウと共に、事の成り行きを見守っていた。

信長は、豪雨の中、今川本隊が休息する桶狭間に、奇襲を仕掛けた。油断しきっていた今川軍は大混乱に陥り、総大将の義元は、あっけなく首を討ち取られた。

圧倒的な戦力差を、情報と、天運と、そして、常識外れの発想で覆した、歴史的な勝利。

「……見たか、ラン。うちの殿様は、天下を取るぞ」

ミウは、興奮した様子でそう言った。

私は、ただ、黙って、風雲児・織田信長の、常人ならざる器の大きさを、肌で感じていた。


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