愛という名の深淵

逢瀬を重ねるうちに、私はエリーのことを少しずつ知るようになった。

彼女の『言葉』は、常に断片的なイメージとして、私の脳裏に直接流れ込んでくる。


『昔は、もっとたくさん、いた』

彼女が見せるビジョン。そこには、エメラルドグリーンの海を、陽気に泳ぎ回るたくさんの人魚たちの姿があった。彼らは笑い、歌い、光の粒のようにきらめいていた。エリーの、家族。友人。


だが、次の瞬間、ビジョンは血の色に染まる。

海面に浮かぶ、人間の船。そこから放たれる、無数の矢。水中で苦しみ、血を流しながら沈んでいく人魚たち。陸に引き上げられ、燃え盛る炎の中に投げ込まれる、その亡骸。


『人間は、わたしたちを狩る。見つけ次第、殺す』

『わたしたちが陸に上がると、疫病が広がるから』

『わたしたちは、ただ、ここにいるだけなのに』


彼女の魂から流れ込んでくるのは、千年に及ぶ悲しみと、絶望。そして、同胞を奪われ続けたことに対する、静かだが、決して消えることのない深い怨嗟だった。

私は、彼女の悲しみを、絶望を、怨嗟を、全て受け止めた。そして、怒りに打ち震えた。人間という種の、なんと傲慢で、残酷なことか。私自身もまた、その一員であることが、耐え難いほどに恥ずかしかった。


守りたい。

この、あまりにも永い孤独をたった一人で生きてきた、か弱く、そして美しい魂を。この俺が、この腕で、守り抜きたい。

かつて父が言っていた「守りたいもの」。それは、家や、国や、帝といった、公(おおやけ)のものだった。だが、今、私が抱いているこの感情は、それとは全く違う。もっと個人的で、盲目的で、身勝手で、そして、どうしようもなく純粋な、魂の叫びだった。


この女のためならば、私は、世界を敵に回せる。


「エリー」

ある夜、私は決意を固めて、彼女に告げた。

「俺は京へ戻る。そして、全てを捨てる」


エリーの瞳が、驚きに見開かれる。


「地位も、家族も、帝への忠誠も。俺がこれまで築き上げてきた全てを捨てて、お前の元へ戻ってくる。そして、二人でどこか、誰も知らない場所へ行こう。人間の手が届かない、海の果てへ。もう、お前を一人にはしない」


それは、駆け落ちの約束だった。

禁忌を破り、全てを捨て去る覚悟の表明だった。


エリーは、何も言わなかった。ただ、その海の色の瞳から、一筋、真珠のような涙がこぼれ落ちた。それは、千年の孤独が、初めて溶け出した瞬間だったのかもしれない。彼女は小さく頷き、そして、私の首にそっと腕を回した。

初めて触れた、彼女の唇は、海の味がした。


船団の出航は、明日に迫っていた。

私はエリーに、必ず迎えに来ると、固く、固く約束した。

そして、後ろ髪を引かれる思いで、船団へと帰還した。


京へ戻る船の上で、私は一人、これから為すべきことを冷静に組み立てていた。資産の整理、信頼できる部下への後事の依頼、そして、妻たちと子供たちへの別れの言葉。帝へは何と伝えようか。

心は、既にこの身体にはなかった。魂は、あの西の海の、月の光が照らす岩礁に、置き去りにしてきたのだから。


橘嵐という、栄光に満ちた男の物語は、ここで終わる。

これからは、ただ一人の女を愛するためだけに生きる、名もなき男の物語が始まるのだ。

そう、信じていた。


だが、運命は、私たちが描いたささやかな幸福の絵図さえも、許してはくれなかった。

私とエリーの愛は、もっと過酷で、もっと絶望的な形でしか、『永遠』になることを許されていなかったのだ。

京で私を待っていたのは、平穏な別れなどではなかった。それは、エリーの同胞を狩り尽くさんとする、人間たちの、さらに強大な悪意だった。

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