1 逃亡

「殺した……」キッチンに立つサブはそう言った。心なしか蒼ざめた顔をしている。 


「……今なんて言った?」翔子はサブをまっすぐ見つめた。




「だから殺したって言ってんだろ。――何度も言わせんじゃねえ!」サブは壁を殴る。


だが、翔子は怯まず、サブを睨みつけた。


「――出てって」そう言ってサブに詰め寄る。


「ば、馬鹿かてめえは。そう簡単に出てけるわけ、ねえだろ」


サブは翔子の勢いに少し体を逸らして言った。


翔子はサブを一瞥し、背を向けると居間に戻った。


そして、居間のテーブルのわきに立つと振り返った。


「出てかないんなら、組に電話するよ!」


そう言って、翔子が背を向けてテーブルの上のスマホに手を伸ばした瞬間、サブはそばにあった包丁を手にした。




(何これ、――血?


こう言うのなんて言うんだっけ?――血の海?――そうそう、そんな感じかも。


これ、――うそ、わたしじゃん!


どうしちゃったのよ?背中に包丁が刺さってるよ。


なんか、めった刺しじゃん。なんでよぉ!


やばいよ。このままじゃ死んじゃうよぉ!)




翔子は自分の身体のわきにしゃがみこみ、包丁を抜こうと手をかけた。


だが、掴もうにも手は握りをすり抜けてしまう。


何度かそれを試したが、ふいに動きを止めた。




(ちょっと待って。どういう事。わたしはわたしで、これもわたし?……)




翔子はジッと、自分の身体を見つめ、そして、あたりを見回した。


壁によりかかり、寝転ぶ自分を見つめるサブを見つけた。




(おい、サブ。何をやったんだよ!)




翔子はサブの顔前で言った。


ところがサブの目は虚ろに、自分を通して後ろを見つめている。


気づくと、その口からブツブツと言葉が漏れている。


「なんでだよ。……あんなこと言うから、つい、やっちゃったじゃねえかヨ……」


そう言ってそのまま頭を抱えた。


翔子は立ち上がってサブを見下ろした。




(あんたがそれを言う?――バカ言ってんじゃないよ。泣きたいのはこっちだよ!)




翔子はそう叫んだが、サブはそのまま泣き始めた。




(なんだよ、泣いてんの?)




翔子は心配そうにサブの顔を覗いた。


すると、ふいにサブは立ち上がり、ノソノソと歩き始めた。


翔子は唖然とそれを見送った。


サブは横たわる翔子の側に立つと、背中の包丁を抜いた。そして、髪を掴んで持ち上げ、頭の根元の方に包丁の歯を当てた。




(なにすんのよ……)




サブは髪を切り落とそうとするが、翔子の頭が動いてしまい思うように切れない。


「悪いな」


サブはそう言うと、翔子の頭に片足を乗せた。


今度は、髪はザクッ、ザクッと少しずつ、刃の下で裂けていった




(何すんだよ!)




翔子は叫んだ。


するとサブはテーブルにあったメモ用紙をはぎ取り、切った髪の毛を丁寧に包んでテーブルに置いた。




サブは風呂に入り、置いてあった自分の服をタンスから出した。


「オメエはほんと、きれい好きだな……」サブはタンスの中を見てしみじみと呟いた。


翔子はそばで、その様子を見つめていた。


サブは着替えると、鏡台の上の財布を開けた。そして、札だけを取り出し、自分のポケットに入れた。




(何すんだよ。……わたしのお金だよ!)




翔子は耳元で叫んだが、サブには届かない。


サブは血を踏まないようにテーブルに戻り、髪の毛を収めたメモ用紙を手に取って見つめた。


「土に埋めてやるからな」


そう言って、そのままズボンのポケットに押し込み、そのまま玄関に向かった。


(待ってよ。……逃げるつもり?……あのまんまで?)




サブは靴を履き、ドアを開けた。


(バカヤロウ!逃がさないわよ!)


翔子はサブの首に腕を回してしがみついた。掴んだ感触はなかったが、まるで磁石で引き寄せられるように、そのままサブの身体にまとわり付くことができた。


サブはカギを閉めると、首に手をやりながらエレベーターに向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る