ごめんな、俺ドラゴンだから

飢杉

プロローグ


 ――人間の世界に転がり込んで、二年が経った。


「ごめんな、俺ドラゴンだから。」


 赤ワインが染みる空から、ひらひらと桜の花びらが降ってくる。静かな風が制服を揺らし、視線を落とすと胸元の布地だけが色を変えていた。

 風のささやきに隠れた小さな音が漂う中、彼女の肩が震えているのが伝わってくる。目元が、キラキラと輝いていた。目と目が合った瞬間に――。


「それでも――」




    ◇ ◆ ◇



「助けてくれ!」


 自分の心の声が頭の中に鳴り響いた。目が覚めると、辺りは自然に包まれていた。


 木漏れ日が揺れる葉の影が地面に踊り、その隙間からかろうじて残った角が、まるで森の精霊のようにひっそりと浮かび上がっている。背中や頭からは、赤い血の流れた跡が残っていた。


 そこは、ただ静かで心を沈めてくれた。


 ――なぜ、俺はここにいるんだろう。尻尾と羽は削がれたか……。感覚はもうないが、傷が痛む。


 食料を求めて森を彷徨っていた。

 草陰に身を潜め、ぴくりと動いた小動物を静かに見据える。

 空腹と、本能と、ただ生き延びたいという気持ちだけが体を動かしていた。そして、一息に飛びかかり、その息の根を止める。


 静かに腰を下ろし、獲物に息を細く吐くと火の粉が風に散る。その赤に照らされて、銀の髪がわずかにきらめいた。

 森の中ではあまりに異質なその色に、誰かが息を呑んだのが聞こえた。


「や、や……山のぬしだー!」


 声が響き、木々の向こうで人の気配が走り去っていく。

 俺は何も言わず、ただ肉が焼ける匂いを静かに嗅いでいた。


    ◇



 木を背にし、風に揺られながら目を閉じていた。

 どれほど時間が経ったか、ひんやりとした影の中で、誰かの気配が近づいてくる。


「こんなところで、何してるの?」


 穏やかで、けれど芯のある声だった。

 目を開けると、見知らぬ人間の女性が立っていた。年齢は中年といっていいだろう。

 どうやら、敵意はなさそうだ。


「ひどい傷ね! 家族は? 学校は?」


 家族か……。俺はずっと遠い世界でドラゴン狩りに、追われていた……?

 記憶はぼんやりとしていて、心の奥にぽっかりと穴が空いてるようだった。

 答えずにいると、女性は少し困ったように笑った。


「まあ、いいわ。とりあえず、来る?」



    ◇



 施設の小さな部屋の中。

 俺はまだ慣れない木の椅子に座り、じっと女を見返していた。


「私はここの孤児院の施設長よ。それで、あなた名前は?」


 施設長は、優しく問いかけてくる。

 名前……呼び名か。そういえばあの時――。


「やまのぬしだ」


 言葉が出たのは、それだけだった。

 女は少し首をかしげてから、くすりと笑った。


「山野 ぬしね。……変わった名前だけど、悪くないわ」


 そうして、俺にその名前が与えられた。


 それから一年間、俺はこの施設で読み書きや人間社会の常識を、ゆっくりと学んでいった。

 傷は癒え、言葉を覚え、社会のルールを少しずつ理解していく。


「山野くん、そろそろ高校に進学してみない?」


 ある日のこと、施設長はそんな提案をしてきた。


「人間社会の中で暮らすには、それが一番近道になるわ」


 俺の年齢は、人間に換算すると十七歳相当だと言われていた。

 少しずつ、人間の中で生きてみよう。

 施設長の言葉に、俺はただ静かに頷いた。



    ◇



 青く澄み渡る空から、ひらひらと桜の花びらが降ってくる。静かな風が制服を揺らし、学園へ足を運ぶ。

 どうやら、新学期という季節らしい。


「今日は新学期早々ですが、転校生が来ます! 中へ入って」


 ――ガラガラ、と音を立てて俺は教室のドアを開けた。

 一体どんな、人間がいるんだろう。少し、ワクワクした。

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