第1章 レンズ越しの世界
第1話 初登校
「三年、――
教室内に、台風が巻き起こる。笑いの渦だ。
「うっそ、マジで“山の主”って名乗ったぞアイツ!」
「狙ってんのかよ!」
「はい、静かにしなさい。山野くん、一番後ろの窓際に座って下さい。」
――これだから、人間は。
周りを睨みつけるように席に着くと、隣から視線が刺ささる。振り向くと、怯えた顔をした女の子の姿があった。
特に何も言わないようだった。でも、この子だけ笑っていなかったな。俺は開いた窓に視線を向ける。
――なんで自己紹介するたびに、俺は馬鹿にされるんだ。
そんなことを考えながら、静かな風が銀髪を揺らした。三階からの眺めは、居心地が良かった。
◇
授業は、意外と退屈ではなかった。新しい知識や、発見が増えるのは楽しかった。人間の文化を学ぶのは、俺にとっては娯楽になっていた。施設では毎日読書が日課になっており、図書館の主と呼ばれることもあった。
「では、今日はここまで。」
授業終了のチャイムが鳴り響く、みんなは一斉に足音を立てて教室を後にする。ただひとりを除いて。
教室内に、二人の沈黙が訪れる。隣の席の女の子だった。
俺は女の子に目をやると、不思議な物を顔につけているのがわかった。人間界では顔の一部を隠すのが礼儀なのか? それとも、何かの防御か――。
気まずい空気、言葉を投げかけてみる。
「なぜ、君だけ顔に……防具をつけているのだ?」
あまりの質問に、彼女は目を見開いた。
「え……? マスクと眼鏡……。」
マスクと眼鏡、というのか。俺は知らなかった。そういった類の物は、今まで読んだ本には載っていない。人間社会に触れて、初めて出会う物は多かった。
しばらくすると、彼女は気を使ってくれたのか。
「みんな……一階。食堂……行ったよ。」
食堂……? とりあえず、一階に降りてみることにした。
これが、食堂という場所か。本で学んだことがあるが、これほど人が多い場所とはな。
「あれ、転校生じゃん。入口で何突っ立ってるの?」
入口で呆然としていたら、見知らぬ声。
同じ教室にいた、赤茶髪が良く目立っている青年。
「お兄ちゃん、珍しいじゃん。友達?」
彼の後ろから、ひょこっと出てきたのは白髪のショートツインで、眼帯をしていた女の子だった。
見た感じ、兄妹のようだった。
この子も、顔に防具を付けているな……。
「そうだよ、俺にだって友達ぐらいいるさ。山野って言うんだ」
「へぇ、以外。山野さん、お兄ちゃんをよろしくね!」
友達……か。
同じ環境下で対等な関係をそう指す、と本で学んだな。
とりあえず、俺は頷いた。この二人とは、うまくやっていけそうな気がした。
「いけね! 早く並ばないと、完売しちまう。じゃな!」
慌ただしい兄妹だな。俺はお金を持っていない。
だから――安らげる場所を探すことにした。
◇
三階の階段を登ると、屋上に繋がっていた。風が、髪の間を冷たく撫でていく。頬に触れる空気が、春という季節を感じさせる。
周りを見渡せば、孤児院の施設や俺が最初にいた森が見える。更には、家として用意してくれた学生寮も、見つけることが出来た。地形を把握するのには絶好だった。
ここは心が静かになる。俺は気に入った。これからのお昼は、屋上へ行くことに決めた。
しばらく、目を瞑っているとある言葉を思い出した。
「友達か……」
言葉にしてみると、思いのほか胸の奥が、じんわりと熱くなった。
少し、人間社会に溶け込めたような気がした。それと同時に、あの青年に興味が湧いた。
そういえば、名前聞いてなかったな。
ガチャ、と扉の開く音がした。誰か来る。ここは俺の拠点にしようというのに……。
「あれ、転校生じゃん。」
「また会ったね、ご飯は?」
先程の兄妹だった。噂をすればなんとやらだ、これは絶好の機会だ。
「ああ、済ませた。ところで……名はなんと言う?」
咄嗟に、済ませたという嘘が出てしまう。
だが、空腹よりも今は、この二人が気になっていた。
「え、そういえば! 俺は
「私は、池田まりっていうよ。よろしくね」
志貴と、まりか。人間の名前を覚えるのは、意外と難しそうだな。友達のこいつらは、忘れないようにしよう。
「お、名前で笑わなかったわね。池貯まり、だなんて、馬鹿にされてたんだから」
「おい! そんなこと言ったら気づいて――」
池貯まり? 池に貯まった水のことか。覚えやすい名前だな。気に入った。
「え、笑わない! お兄ちゃん、この人良い人じゃん」
「まぁ、こいつの名前も山の主って言うんだ。朝、自己紹介で大笑いされてたからな」
「へぇ、親近感湧く! これからよろしくね、ヌシくん!」
そうか。池田まりも、自己紹介で他人に笑われる宿命を持っていたのか。
ヌシくんか……。初めて人間に、そんな風に呼ばれた気がした。
馴れ馴れしい、と切り捨てるには――少し、心地よすぎた。
しばらくすると、授業の始まるチャイムが鳴った。俺らは教室へ戻った。
◇
今日の授業が全部終わった。意外と、学校というのは楽しかった。友達、というのも出来たし、人間社会に溶け込めそうな気がした。
朝のことは、正直今でも火炎スキルで灰にしてやりたいぐらいだ。それでも、どこか胸が苦しかった。
そういえば、施設長が言っていたな。学校の図書館はここより広い、と。
図書館に着くと、たしかに広かった。施設にある図書館の三倍はある。人もいない。ここも静かでいい、気に入った。
適当に本を選び、席について読書することにした。校庭から聞こえる叫び声や、廊下の足音が響いた。
施設の静かな図書館と違って、いざ集中してみると雑音が少し気になった。
この空間に人はいないのに、うるさい場所だな……。
ガララ、ドアの開く音が響いた。
現れたのは、隣の席のマスクと眼鏡の女の子だった。あぁ、あいつは、笑わなかったいい奴。
池田まりも顔に防具をしているし、この子も防具をしているから、いい奴なのかもしれない。
俺は少し、興味を持ち始めた。自分から声をかけてみた。
「こん――」
「山田さん!」
声をかけられる……そう思った瞬間だった。
言葉が発せられる寸前、彼女の後ろから鋭い声が飛んだ。
俺の視線の先に割り込むように、男子生徒が一人、駆け寄ってくる。
短めの黒髪に、制服のボタンをきっちり留めた、真面目そうな顔つきの男だった。
彼は俺を見もせず、山田と呼ばれた彼女に視線を注いでいる。
「ごめん、探したよ。こんな所にいたら、また体調崩すよ?」
「……大丈夫、ここ静かだから」
「でも、日差しが強いし、先生も心配してたし……ほら、移動しよ?」
彼は自然な動作で、山田の鞄を取ろうとした。だが彼女はそれを一度、止めようとしたかのように見えた。
「……ま、まだ、ここに――」
俺は、いつの間にか閉じた本を持ったまま、二人のやり取りを眺めていた。
男の視線が、ようやく俺へと向けられる。
「転校生か。……悪いけど、山田さんは人見知りで、あんまり話しかけない方がいい」
その言葉は、まるで俺が“害”であるかのように断じられていた。
だが、それは違う。俺は、害ではない。ただ、話をしたかっただけだ。
喉の奥まで言葉が届いていた。それなのに、黒く濁った何かが、出口を塞いでいた。
――その言葉を返そうかと思ったが、俺は黙ってしまった。
なぜか、胸の奥に、黒いものが渦巻いていた。
「じゃあ、山田さん。行こうか」
そう言って、彼は彼女の腕を取る。彼女はこちらを向いたまま、どこかへ行ってしまった。
彼女の顔は笑っていない。ただ、俺と同じように――何かを飲み込んだように見えた。
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