傭兵と男装王女

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本編

【一】

 


 ロイがその子供に会ったのは、春から夏へ移りゆく季節の、とある朝だった。

 早朝の空は薄曇り。空気はほどよく冷えて澄んでいる。

 山登りにはうってつけの天気。だが行楽で行くわけではない。


「案内は頼んだぞ」


 その子供がロイに声をかけた。尊大な口調の子供だった。

 年齢は十歳ほどだろうか。頬の曲線には、まだあどけなさが残っている。端正なかんばせと、年齢に似合わぬ落ち着きが印象的な少年は、ロイの黙礼に鷹揚に頷いた。


 貴族のお坊ちゃんだか知らないが、五人もの護衛を引き連れているのを見ると、結構なご身分のようだ。

 この総勢六人を、ある霊山の山頂付近まで案内するのが、ロイに与えられた役割だった。


 この霊山には魔物が多く棲みついている。

 だが、濃い蕭気しょうきが立ち込める山に生える薬草は、高い効能を持つものが少なくない。

 高貴な少年も、ここでしか取れない稀少な薬草がどうしても必要らしく、そのための護衛を兼ねた案内役として、ロイに白羽の矢が立った。


 足手まといとなる少年も連れていかねばならないのが少々厄介だが、目当ての薬草は地面から引き抜くとすぐに効能が薄れてしまう。採取したら、その場で煎じて飲まねばならない。

 無茶を承知で子供連れの登山に挑むのには、そうした事情があった。


 見たところ少年は元気そうで、体に異常がある様には全く見えない。この山も自力で登る予定だ。

 いったいどんな問題を抱えているのだろう、とロイは訝しく思ったが、最初に詮索はするなと釘を刺されていた。

 勿論、彼はむやみに依頼人の事情に立ち入る気はないし、十分な金さえ払ってくれたらそれで良い。


 彼は、この辺りでは名の知れた傭兵だ。魔物討伐でこの霊山に入った経験もあるので、案内人として理想的らしい。依頼を受ける理由はそれで十分だった。



 ◇◇◇



 ふもとまで魔法で転送された一行は、霧がかった山を見上げた。

 魔法で行けるのはここまで。山の中は、濃い蕭気しょうきに阻まれ、転送魔法が使えない。

 この先は魔物を倒しながら地道に登っていくしかない。


 ロイは全員を見回して注意事項を確認した。


「この山の厄介な所は、出てくる魔物が不死系アンデッドばかりな事だ。

 不死系の場合、爪や牙で傷つけられた者まで魔物になってしまう。ケガしたら、急いで傷口を聖水で洗って、早急に神官の浄化と治療を受けてほしい」


 少年や護衛達が、彼の言葉に頷く。


「転送の護符は持ったな。怪我したら躊躇わずに神殿に行け。魔法で山に入る事は出来ないが、出ていく分には問題ない」


 護符の行き先は神殿だ。この霊山は魔法で入る者を拒むが、魔法で脱出する事は可能。護符も使える。

 魔物にケガをさせられたら、速やかに神殿に移動し、治療を受ける事が最優先になる。


「では出発しよう」


 ロイは一行を促し、霊山に足を踏み入れた。




 ひと気のない霞がかった山を、草を掻き分けながら登っていく。

 山自体は高くも険しくもないが、魔物がうろつく山を訪れる者はそういない。人の手の入らない森には、異界のような不気味さが漂う。


 黙々と進む一行は、何度か魔物に遭遇した。

 魔熊に一度、魔兎に二回。

 体が半ば腐り落ちた魔熊は大きく、狂暴だったが、護衛達は果敢に立ち向かった。そして何の被害も出さず、あっさり討伐に成功した。

 彼らは相当な手練れだ。日頃から相当な鍛練を詰んでいるのだろう。


 護衛達に守られた少年は、魔物に襲われた時こそ青い顔をしていたが、弱音を吐かず、黙々と大人達についてくる。

 ロイは、疲れた少年を背負って移動する羽目になるだろうと予想していたが、それは外れた。彼は、意外に根性あるな、と少年を見直していた。


 中腹を越え、いよいよ山頂が近づいてきた。

 この分なら問題なく目的地に到着しそうだ。

 多少緊張が緩み、安堵の空気が流れる。


 いったん休憩を挟み、さらに上を目指す。そして、いよいよ目的地に着くと思われた頃。


「……止まってくれ、何かが来る」


 傭兵の感覚が、霧の向こうに何物かの気配を察知していた。

 驚いたように小さな魔鳥が飛び立つ。

 総毛立つような、禍々しい気配だった。それがこちらに近づいてくる。危険を察した護衛達も周囲を見回し、警戒を強めた。


 最初は微かだった、ズシン、ズシンという地面の揺れが次第に大きくなる。

 一行の緊張が増していく。


 やがて──霧の向こうに現れた巨大な影に、全員が息を飲んだ。白いとばりを裂くように、霧の中から不気味な姿を現したのは、白骨化した骸骨の竜。

 家一軒分は余裕でありそうな巨体に、翼の生えた蜥蜴とかげのようなかたち。

 だが、傘の骨組みのような翼に皮膜はなく、剥き出しの白い骨格に表皮や肉はない。


 蕭気の霧を吹き飛ばすように、骨の竜は声なき雄叫びを上げた。


髑髏竜スカルドラゴン……!」


 驚愕と共にロイが呟いた。

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