24話 炎に潜む影(3)
黒煙の中を進むたび、視界はさらに濁っていく。
焦げた匂いと熱気が肌にまとわりつき、遠くで何かが崩れ落ちる鈍い音が響いた。
それと同時に、不気味な低い唸り声が、煙の奥から迫ってくる。
黒煙の中を進むたび、視界はさらに濁っていく。
焦げた匂いと熱気が肌にまとわりつき、遠くで何かが崩れ落ちる鈍い音が響いた。
その奥から、不気味な低い唸り声がゆっくりと近づいてくる。
刹那、火花を散らして梁が崩れ、その影から炎の獣が姿を現す。
四つ足で歩くその姿は、肉体を持たない炎そのもの――意思を宿した灼熱の塊だった。
学園で習った魔物でもなく、図鑑にも載らない。纏う気配は、これまで遭遇したどの魔物よりも異質だ。
だが――その真紅の目だけは、見覚えがあった。
「ディスルド……」
柚月の声がわずかに震える。
炎の獣は床板を焦がしながら歩みを進め、その先には、倒れた女性と、それを庇う唯斗と美空の姿があった。
「ソラちゃんっ!」
「柚月、なんで……」
「わぁ、御堂君、助かった! 正直、僕らだけじゃ守るのも精一杯で……」
御堂は状況を一瞥し、舌打ちを一つ。
それは恐怖からではなく、ただ面倒だと言わんばかりの表情だった。
「……柚月、いいね?」
「駿……本当に、大丈夫?」
桁違いの魔物を前に、不安が胸をよぎる。けれど、彼の声は揺るぎなく短い。
「大丈夫。さっき言ったとおり、彼らと連携して即退避だ」
そう告げた御堂は一歩、炎の獣へ踏み出す。
肌を刺す熱気にも、黒い瞳は微動だにしない。
「……来いよ」
その低い挑発に応じるように、炎の獣が咆哮を上げた。
耳を裂く衝撃音と共に炎が揺らぎ、巨体が爆ぜるように突進してくる。
御堂が右手を軽く振ると、足元から黒い影が広がり、炎を裂くように鋭く伸びた。
「――
影の鎖が脚を絡め取るが、ディスルドは咆哮と共に引き千切った。
熱波が押し寄せ、火花が宙を舞う。
「駿っ!」
「下がってて」
御堂は片手で制し、足元に幾重もの漆黒の魔術陣を展開。
「
半月形の刃が炎の脚を薙ぎ、避けた獣が壁を焼く。
爆ぜた破片を防御障壁で受け流し、そのまま影の槍を生成。
「
槍が胴を貫くが、勢いは衰えない。
赤と黒の閃光がぶつかり合い、空気が震える。
――やはり、厄介だ。
吹き荒れる熱波に髪が揺れ、皮膚を焼くような痛みが走る。
だが、御堂の口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
それは炎の中で獲物を追い詰める――まるで狩人のような顔だ。
◇
柚月は両手を握りしめ祈るような気持ちで、その激しい闘いを見守っていた。
唯斗と美空も思わず息を呑む。
「アイツ……一体なんなんだ……」
美空の口から、低く呟きが漏れる。
「ソラちゃん、それ、多分つっこんじゃダメなやつ」
唯斗も同じ疑問を抱えていたが、視線は戦場から逸らさず、静かに首を振った。
「……っ……」
その時、治療を受けていた女性がかすかに呻き、ゆっくりと瞼を開く。
「よし、ひとまず応急処置は終わった。柚月、彼女は足をやられてる。そっと運んで」
「うん、任せて……
魔力光が柚月を包む。
小柄だがパワータイプの彼女は、強化魔術を重ねて女性を軽々と抱き上げた。
「駿! 約束だからね!」
「ああ……外で待ってて。すぐに終わらせる」
赤と黒の閃光が背後でぶつかり合い、轟音と熱が押し寄せる中、柚月たち三人は足早に安全圏へ向かった。
◇
柚月たちが煙の奥へ消えたのを見届けると、御堂は呼吸を整え、炎の向こうへ鋭い視線を送った。
「……出てこいよ」
「おやぁ、バレてた〜?」
炎の揺らぎの奥から不釣り合いな軽口が飛んでくる。
と、同時に炎の獣は静かに静止した。
煙と炎に溶けるように立つ人影。姿がはっきり見えずとも御堂には分かる、奥多摩の森で会ったあの“組織”の男だ。
「お前ら、何をしようとしてる」
「……“お前ら”ねぇ? 事情通やなぁ。殺したくないんやけど〜」
「質問に答えろ」
「答えたら仲間になってくれるんで?」
「……答え次第だな」
もちろん、仲間になる気が無いことも見透かされている。それも承知の上だ。
互いに探り合うような、言葉のやりとりの末、やがて男は唇を吊り上げ、人差し指を立てる。
「まぁええわ……その度胸に免じて、一つヒントをあげましょか」
わざとらしく間を置き、炎の中で目を細めた。
「――“南”や。全部、そっから始まる」
「南……?」
御堂の眉がわずかに動く。だが、男はそれ以上説明せず、炎の向こうで肩をすくめた。
「ヒントはここまで。……ほな、あとはこいつに遊んでもろて」
男が指をパチンと鳴らすと、炎の獣は再び息を吹き返したように低く唸り声を上げた。
真紅の目がさらに爛々と輝き、全身の炎が一段と膨れ上がる。
男はわざとらしく間を置き、炎の揺らめきの中で目を細めた。
御堂が構えを取った瞬間、男の姿は炎と煙の中に溶けるように消えた。
残されたのは、灼熱と殺意をまとった異形だけ。
「……悪いが、すぐに片付ける」
――オオオオオオンッ!!!
咆哮が空気を裂くより早く、御堂の影が地面を叩く。
漆黒の波紋が一瞬で広がり、足元から槍の群れが芽吹く。
もはや詠唱もなく、次々に繰り出される魔術。
黒い槍が、嵐のように胴と脚を穿つ。
だが、ディスルドは全身の炎を爆ぜさせ、衝撃波で吹き飛ばす。
熱が皮膚を焼き、視界が揺らめく。
獣の巨体が、弾丸のように突進――
灼熱の風が前線を薙ぎ払い、床板が悲鳴を上げて溶け落ちる。
(速い――だが、見えてる)
半円形の漆黒の壁が、灼熱の爪を受け止めた瞬間――御堂は跳んだ。
爆ぜる火花をすり抜け、獣の懐へ潜り込む。
足元から伸びた影が鎖となって絡みつき、その節々から黒刃が突き出す。
肉を裂く音と共に、巨体が鈍る。
「……沈め――
床一面に広がる魔術陣が、獣の影を飲み込む。
炎が揺らぎ、咆哮が途切れた。
「終わりだ」
右手に収束した漆黒の槍が、灼熱の光を呑み込み――
次の瞬間、胸を貫いた。
轟音と閃光。爆ぜる炎。
熱風が瓦礫を巻き上げ、視界を白と赤に染める。
やがて炎は崩れ落ち、残ったのは黒焦げの核だけ。
御堂は服の煤を払いながら息を整え、眼鏡の奥で視線を細めた。
「……“南”か。面倒なことになりそうだ」
◇
火事場から脱出し、外の空気に触れた瞬間、御堂はわずかに息をついた。
その姿を見つけた柚月が、息を荒げて駆け寄ってくる。
「駿っ!!……平気? ケガしてない?」
「ああ……ただいま」
短く返したところで、ふっと視界が揺らぐ。
つい数時間前まで高熱で寝込んでいた身体は、極限の緊張と消耗で限界を迎えていた。
膝が落ちかけたその瞬間、柚月の腕が強く彼を抱きしめる。
「……おかえりなさい」
温かい声が届いたのを最後に、意識は闇へと沈んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます